第12話


「視察ですか?」

「あぁ。教会からぜひ来てほしいと言われていてな。しかも婚約者もご一緒にということだ」


 イーサンが眉間に皺を寄せながら、手元の紙に視線を落としている。

 場所はイーサンの執務室。ふたりは部屋の端にあるソファーに向き合うように腰を下している。


 ルシアナではそれほど教会は権力を持っていない。しかしカーデラン国はその信仰心の強さからか教会の権力は強い。ルシアナがカーデラン国の一部となったことは、教会にとっては僥倖で権力を伸ばそうと躍起になっている。


「教会と、教会が運営している孤児院も見て欲しいらしい。視察の後は支援金の増額要請をしてくるのだろう」


 イーサンは忌々しそうに言った。ナディアは、はてと首を傾げる。カーデラン国の人間の割にはイーサンの教会への態度は冷たい。視察に行きたくないのが表情にありありと浮かんでいる。


「教会が嫌いなのですか?」

「好きか嫌いかと問われると嫌いだ」

「子供も嫌いですか?」

「そちらは俺の好みより、向こうが逃げる」


 なるほど、とナディアは納得する。イーサンは体格が大きく強面だ。整った顔ではあるけれど、王子と言うよりは騎士、いやもっと野性味あふれる感じの整い方だ。船乗りのような荒々しさで、それは子供にあまり好かれない。


 ナディアとて、子供の相手はうまい方ではないけれど、イーサン一人で行かせるわけにはいかないと、同行することに同意した。



 

 次の日、二人が訪れたのは公爵邸から馬車で一時間ほどにある教会。ルシアン国時代はこの教会が総本山となっていた。教会の壁は真っ白だけれど、塀は所々黒ずんでいる。庭には果物の木が植えられ、教会の裏庭では野菜を作っているようだ。


「公爵様、ようこそいらっしゃいました」


 ナディア達を出迎えたのは腰の曲がった大司教と、灰色の瞳と灰色の髪をした副司教の二人。声を掛けてきたのは大司教のほうだが、どうも耳が遠いようでナディア達は何度も大きな声で名前を名乗った。


「ほっほっ、申し訳ございません。最近では会話も難しくなっておりまして。詳しい話はこちらのロドリックがしますので、質問がございましたら彼にしてください。それから、ナディア様。お父上はいかがされておりますか?」


 ナディアの父はルシアン国時代、城で教会をまとめる職についていた。今はその職はカーデラン本国に吸収されている。


「元気です。教会のことはいつも気にかけおりました」


 ナディアは大声で答える。内容はもちろん適当だ。父親とは婚約破棄以来会っていない。

 聞こえているのか不明だけれど、大司教は長く白い顎髭に手をそわしながら、ふむふむと頷いている。


 四人はまず大聖堂に入った。目の前にあるのはまるで少女のような聖女の像。ふわりと緩くうねる髪に大きく丸い瞳。少しふっくらとした頬と唇が幼さを強調する。


(プリシラに似ている)


 この像を見るたびにナディアは思った。幼いときは、自分の容姿もこうであれば、と何度思ったか知れない。そうすれば、両親の関心も自分に向いてくれるのではないだろうかと。


 ふと隣を見ると、イーサンは聖女の像を一瞥するとすぐに顔をそむけた。そして天井を見上げる。聖女が、海の魔物と悪魔をその聖なる力で滅する物語が絵として描かれていた。この国で子供たちが一番に聞かされる物語だ。しかしイーサンはその天井画からもすぐに目を反らした。


「カーデラン国に比べては質素かもしれませんが、かつてのルシアン国では一番豪華な像と壁画です」

「俺は異国に長くいたのでその辺りはよくわからない。教会はもう良いから孤児院を案内してもらえるか。それから本題である話を聞こう」

「……かしこまりました」


 ロドリックは穏やかな笑みを浮かべていたけれど、その目には目論見が外れたことへの落胆が浮かんでいた。


 四人は教会の敷地の隅にある孤児院に向かった。教会の裏の畑を通り小さな木立を抜けた場所にそれはあった。赤い屋根とくすんんだクリーム色をした壁、ニ階建てのこじんまりとした施設だった。施設の前の木にはロープでブランコが作られていたけれど、そのロープもかなり年季が入って黒ずんでいる。


 案内されるまま二人は施設に入り、ダイニングに通された。大きな机が四つありここで集まって食事を摂っているようだ。


「ねぇ、お姉さん新しいシスター?」


 突然スカートを引っ張られ振り返ると、五歳ほどの男の子がいた。


「ううん、違うわ。ちょっとどんな場所か見に来たの」

「そっか……だったら僕が案内してあげるよ!」


 男の子は人懐っこい笑顔を見せナディアの手を引っ張った。


「こら、公爵夫妻はこれから教会で大事な話があるんだ」

「でも、この家を見に来たんでしょう? 副司教様はほとんどここに来ないじゃないか。だから僕が案内するよ」


 手を放そうとしない男の子に、ナディアは眉を下げると目線を合わせるようにしゃがんだ。


「お名前は?」

「ジャック」

「ジャックはここに詳しいの?」

「もちろん。産まれた時からここにいるんだから」


 胸をはるジャックの姿に、ナディは少し複雑な笑みを浮かべると、その亜麻色の髪をくしゃりと撫でた。


「じゃ、お願いしようかしら」

「ナディア様! しかし……」


「あら、何か問題でも? イーサン様はどうされますか? 教会に先に戻られますか?」

「……いや。俺も一緒に案内してもらおう」


 子供が苦手なイーサンは、眉間に皺を寄せながら渋々頷いだ。

 ロドリックには先に教会に戻るように伝え、二人はジャックの案内で二階建ての小さな家を視察することになった。


「ここが僕たちがねているへやだよ」


 そう広くはない部屋に三段ベッドが所狭しと並んでいる。ベッド一つ一つは綺麗に使われていて、床に物も落ちていない。こじんまりとして窮屈な感じは拭えないけれど清潔に丁寧に使われていることが伺える。


「他に部屋は幾つあるの?」

「四つだよ。このへやのとなりに一つ。それから二かいに二つ。二かいはおんなのこがつかうんだよ」

「そうか、普段はどこで遊んでいるの?」

「そとだよ。あめの日はダイニングで。べんきょうもはれの日はそとでするの。もうすぐおねえちゃんやおにいちゃんがかえってくるよ。あっ、ほらかえってきた! 声がきこえるでしょう?」


 ジャックは背伸びをして窓から外の様子をみる。ナディア達も見ると三十人ほど子供たちがこちらに向かって歩いて来るのが見えた。そのうち五人はジャックと同じ年ごろに見える。どうやらジャックは勉強をさぼって逃げて来ていたようだ。


 窓の外に大きく手を振り、玄関へと走り出したジャックの後を二人はあえてゆっくりと追いかけた。

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