第4話
足音を忍ばせ、寄宿舎の自室に入ろうとドアノブに手を掛けた時、
「ナディア、どこ行ってたの!?」
耳元で怒鳴られ、キンと音がなった。振り返れば腰に手を当てた同期のラーナがいた。その姿にナディアは目を疑った。
「今日が公爵様との初対面って日に朝帰り? 独身最後を満喫する男か、あんたは。」
呆れ顔で、廊下で大声で出すラーナを自室に引っ張り込むと、今度はナディアが声ををあげた。
「どうしたの、その服。まるで侍女じゃない」
ラーナはふふっと笑い、その場で一回転した。赤いおさげが一緒にくるりと回る。
「まるで、じゃないわ。私、侍女になったの。ナディア専属の、ね」
「私、専属……」
「昨日、ナディアが出て行ってから、私の叔父である騎士団長宛にオーランド辺境伯から手紙が届いたの。びっくりしたわ、騎士団を辞めさせるって書いてあるんだもの。で、それを読んだ叔父がナディアを心配して、父と相談して私を侍女にすることが決まったの」
いきなりで大変だったんだからね、とラーナは膨れる。
「で、昨晩どこにいたの?」
「呑んでた。気づいたら知らない宿だった」
「まさか、隣に男がいたなんて言わないわよね」
「隣にはいなかったわ。部屋の隅で丸まってたけれど」
「…………何したの?」
ラーナは胡乱な目でナディアを見ると矢継ぎ早に質問し、詳細を聞き出した。そして。ナディアにジャンプをさせ、元気に跳ねるのを見て安心したような、憐れむような顔をした。
そのあと、ナディアは、「自分と二人だけの時は敬語を使わずに友人として過ごすこと」を条件にラーナを侍女とすることを受け入れ、二人で寄宿舎からルシアナ公爵邸へと向かった。
ルシアナ国時代の城はそのまま公爵邸として引き継がれた。ナディア達騎士団はルシアナ公爵の直轄兵として、敷地の端の寄宿舎で変わらず過ごすことになっていた。だから、寄宿舎から公爵邸と言っても同じ敷地続きにある。
「私も、侍女の話は昨晩聞いたところだから、初めて入るのだけれど」
ラーナは慣れない動作で扉を開けると、ナディアの入室を促した。
「凄いわね」
大理石の床に、白い壁。クリーム色の寝台と鏡台。大きな窓の向こうには広いベランダがある。そして、クローゼットの前には……
「ねぇ、ナディア、これ……き、着るの? ヒッ、ハハハッ」
耐えきれず引き攣り笑いをするラーナが指差す先には、ピンクフリフリのドレス。豪華な部屋の中で一際異彩を放っている。
どう見てもプリシラの趣味だ。裾に強引にフリルを付け足してナディアでも着れるように誤魔化しているのだろうけれど、明らかに不自然だった。
「ぜっ、ぜったい、似合わないわよ! ハハハハッ」
ナディアは笑い転げるラーナの背中をバシリと叩く。かなり強く叩いたが、彼女も騎士、いや元騎士。そして、女にして筋肉をこよなく愛する脳筋。痛がることもなく、笑い続ける。
「いいから着るのを手伝って。侍女でしょう?」
「はいはい、でもその前にシャワーを浴びて。貴女、凄く匂うわよ。酒臭い」
うっ、とナディアは言って自分の服を嗅ぐ。酒場に煙草はつきもの。アルコールと紫煙と汗の芳しく香りに思いっきり顔をしかめた。
シャワーを浴びて部屋に戻ると侍女が一人増えていた。白髪を後頭部で綺麗に纏めた、やけに姿勢のよい初老の女性だ。
「彼女はスザンヌ。我が子爵家で侍女をしていたの。昨年引退したのを呼び戻したのよ」
「来るのが遅くなり申し訳ありません。昨晩遅くにスザンヌ様……いえ、スザンヌから話を聞きましたので」
「私達だけじゃ、いろいろ不安でしょ? かつては叔父の侯爵邸で従姉妹の専属侍女として働いていたこともあるから、絶対頼りになると思って」
自慢気に腰に手を当てながらラーナはスザンヌを紹介した。二人だけの時は敬語なしと言ったけれど、気心知れたスザンヌの前でも敬語を話すつもりはないらしい。ナディアも昨日まで仲の良い同僚から主人扱いされても落ち着かないので、それでよいと思っている。
「ありがとう、スザンヌ。頼りにしています」
騎士らしく礼をするナディアを見てスザンヌは眉を顰めた。
「ナディア様、貴女は公爵夫人となられるのです。そのような礼の仕方はお辞めください」
そしてどこからともなく、長さ三十センチ程の細い棒を取り出してきた。少々鷲鼻のスザンヌが持つと魔女の杖のように見える。
「スザンヌの叔父上、騎士団長様よりビシバシと淑女教育をするよう頼まれておりますので、覚悟なさってください」
(団長!!)
ナディアは眼力で人を殺せるんじゃないかと囁かれるぐらい鋭い目をした男を思い出し、眉を下げた。
その後、イーサンと面会するギリギリまで立ち居振る舞い、礼の特訓を受け続けた。
指定された部屋の前で、スザンヌはもう一度ナディアのドレスを確認した。肩と胸が大きく開いているので、貧相な胸周りが露わになり心許ない。それに対し、腰から下はオーガンジーのフリルが幾重にも重ねられていてボリュームがある。
(今すぐ脱ぎたい)
鏡でみた自分の姿を思い出してうんざりした気分になる。
スザンヌは髪を巻こうとしたけれどそれは全力で拒否をした。ハーフアップにして、ラーナから借りた髪留めを付けるだけのシンプルな髪型にした。
途中渋い顔をしていたスザンヌも、濡れたような艶を持つナディアの黒髪の美しさが引き立つと思い直し、最後には満足気にうなずいた。
扉を叩き中に入ると、ソファに座っていた男が立ち上がった。茶色の髪は撫で付けるように後ろに流され、形のよい額と凛々しい
ナディアは数歩進むと先程覚えたばかりの淑女の礼をした。足がちょっとプルプルしているけれど、ドレスに隠れているからスザンヌ以外は気づいていない。
「オーランド辺境伯、長女ナディアと申します」
ナディアの自己紹介に男が首を傾げた。
「……ナディア? 確かプリシラと聞いていたが」
低く太い声だった。ナディアは頭を下げたまま答える。
「はい、少々手違いがございまして、長女の私が来る事になりました」
「……なるほど。手違いか。それにしても連絡がないとは妙な話だな。まるで、取ってつけたような……代役、のような感じだな」
察しの良い言葉に思わずナディアな肩がピクンと揺れた。
(だから、連絡は必要だって!!)
冷や汗が背中を伝う。先程見た、冷たい月の光のような瞳が自分に向けられているかと思うと、緊張が走った。
「顔をあげろ。別に妹から姉に代わっても大差ない」
(可憐なプリシラから、私みたいなきつい顔つきの女に代わったのに、大差ない?)
イーサンの言葉に首を傾げながら顔を上げる。自然と
左目の鋭い眼光と、眉間に深く刻まれた皺が側にいる人間に無言の圧力をかけている。
もし、これが深窓の令嬢であれば、その容姿と険しい表情に恐れをなす所だが、戦場で血走った目で歯を剥き出しにして自分に剣を向けてくる男を知っているナディアはそれぐらいでは驚きもしない。
(私に切り掛かってきた男の顔のほうがよっぽど悪魔だ)
剣で切り裂こうとしてくるわけではない。
顔や雰囲気が怖いくらい別に気にする程のことではない。
冷静にイーサンを見るナディアに対し、イーサンは、顔色ひとつ変えないナディアが珍しいのか、やや呆然としているようでもあった。
しかし、女としての自己評価が限りなく低いナディアはそれを落胆の表情と解釈した。
(やっぱりがっかりするわよね。先程は妹でも姉でも大差ないと言っていたけれど、実際目にしたら雲泥の差だもの)
幼い時から母に言われ続けた「可愛くない」「男のような顔つき」という言葉をナディアは頑に信じていた。
「……イーサン様」
たまりかねた側近と思わしき男が、イーサンを肘で突く。突かれた方は、ハッとしたような顔をしたあと、体裁を整えるかのようにコホンと咳をした。
(こんな屈強な方を茫然自失とさせるぐらいに、プリシラと私は違うのか……)
改めて自分の価値を確認するナディアにイーサンは意外な言葉をかけた。
「二人で少し話をしたい」
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