第3話

そんな日々が5年にも及び、私は23歳になっていた。本来なら大学を卒業して社会人として働き始めるころだ。まああの年に受かっていたらの話だが……。


その日もいつものように訓練と言う名の虐待が終わると次の任務が言い渡された。



「今回は、俺とエルネスト、そしてお前の3人で行く」



アシルはそう言うと、資料を渡してくる。資料に目を通すと、そこには隣国リスティア王国の王太子の暗殺任務だった。そういえばメイドか誰かが王太子が来るって騒いでいた。ちなみにエルネストというのは影の中でアシルの次に権限を持っている“影”のナンバー2である。


オスナン帝国とリスティア王国の間には広大な森がある。抜けるのに馬車で2日、馬だと1日かかる。そこで森の中で王太子が野営するから、寝静まったところを襲えという事だ。決行は今日の夜と書いてある。つまり現在昼過ぎの時刻なのでもう出発するということか。直前に言うとかほんと性格悪いな……。



「王太子は戦闘能力が群を抜いて高い。おそらく俺たち三人でかかっても殺せるかわからん。だからいいか?お前は正面から行って一気に殺せ。なに、お前の死は無駄にはしないさ。俺たち二人がうまくやるよ」



アシルがニヤリと笑った。



「お前ならできるだろう?」


「……はい」



要するに死ねということらしい。ここにきて5年の月日が経った今“影”の中で実力NO.1にまで上り詰めた私でもリスティア王国史上トップレベルの実力を持つという狼獣人の王太子に一人ではきっと歯が立たない。だがアメリーはそれに疑問を持つこともなく了承した。所詮自分は使い捨ての道具にすぎず、それが命じられた自分の仕事なのだから。



「よし、じゃあ準備しろ」


「はい、わかりました」



そう言うと部屋に戻り、荷物をまとめる。といっても服と剣、そして暗器ぐらいしかないのだが。



「…………これでいいかな」



服を着替えて、剣を腰に差し、懐に暗器をしまう。鏡を見ると相変わらずひどい顔をしていた。5年前、奴隷となったあの日からろくに寝れていない。眠れたとしても悪夢を見てすぐに起きてしまう。そんな日々を過ごしているせいだろう。目の下の隈や肌荒れが目立つようになっていた。髪も唇もパサパサだ。



(でも、それも今日で終わる)



ふぅっと息を吐く。もう二度と戻れない故郷を思い浮かべる。だがすぐに頭を振ってそれをかき消した。




***




夕方。まだ日が暮れてない中、私たちは出発した。目的地までは馬を使えば半日の距離。途中まで馬で行ってそれからは歩きだ。耳のいい王太子に気づかれる可能性があるため、できるだけ静かに行くには馬は向かないのだ。そのため馬で距離を稼ぎ、その後馬を降りて自分たちの足で王太子の元へ行くことになったのだ。



日が暮れた時間、馬から降りて馬を放す。賢い馬たちなので自分たちで城まで帰ってくれるのだ。馬での移動の目標ポイントに着いた私たちはこれから音を立てないよう慎重に移動する。


今宵は満月だ。しかし空を見上げると分厚い雲がかかり月明かりを遮っている。まあ、月明かりがあったところで木々によって月明かりは届かないだろうし、私は夜目が効くので問題はない。


しかしなんだろう。この焦燥感は。何か変だ……。ここは魔物が出る森で、しかも今は任務中。一瞬でも気を抜いてはいけないのに、なぜこんなにも落ち着かないのかわからない。



「アメリー、探れ」


「はい」



アシルの声に思考が引き戻される。すぐに身体強化の呪文を唱え聴力を限界まで上げる。これによって数キロ先の声や音もはっきり聞こえる。すっと目を閉じて集中すると話し声が聞こえてきた。どうやら就寝の準備をしているようだ。その事を伝えるとその場で時機を待つ。



しばらくしてあたりが静まり返る頃、ようやく王太子がテントに入ったのが聞こえるとそれをアシルに伝える。



「そろそろいいだろう。これより作戦を開始する。アメリー、いいか。『王太子を殺せ』」



アシルの魔力のこもった命令に思考が鈍っていく。魔力が込められた命令は普通の命令と違って絶対遵守される。逆らうことはできず頭の中がそれで埋め尽くされていく。



(王太子を殺さないと……)



私は剣を抜くと足音を消して駆け出す。その瞳は光を失っており、ただ命令に従って行動しているだけだった。


数分もすると身体強化で上がっている視力がテントをとらえ、さらに気配に気づいたのか様子を見るためテントを出てきた王太子の姿も捉えた。すぐさま拘束の呪文を唱えスピードを上げる。拘束の魔法は相手がどんな遠くにいようが姿さえ目視できていれば発動する。


森を駆け抜けひらけた野営地に躍り出ると、王太子が拘束をとこうともがいてているところだった。


私は一気に間合いを詰めると王太子の首めがけて剣を振り下ろそうとしたその時、目が合った。……王太子の碧色の目と。


その瞬間私は悟った。そして振り下ろす剣の軌道を無理やり変え、飛びずさる。とっさに変えたとはいえ頬に一筋傷が刻まれ血が流れる。



「うそ……」



思わず口から言葉が漏れた。だって目の前にいるのは紛れもなく私の番だ。



「……私の番」



信じられないといった表情でこちらを見て呟く王太子。私たちは時間が止まったようにただ見つめあっていた。



「どうして……」


「何をしてる!さっさと『殺せ』!」


「うっ……!」



追いついたアシルの命令が再び私を支配する。だがそれに本能が抗う。



(嫌だ……殺したくない……殺しちゃいけない!!)



私は剣を落とし心臓を押さえる。命令に従いたいと思う気持ちと、それに反して従いたくないという相反する思いがぶつかり合う。そんな葛藤をしているうちに刻印はどんどん心臓を締め上げていく。



「うぅ……」



(苦しい……息ができない……。このままじゃ意識を失う……。そうしたら確実にこの人を殺すことになる。それだけは避けないと……。)



でも体が言うことを聞いてくれない。意識を失ってしまえば体は勝手に命令を遂行しようと動くだろう。


震える手が懐にのびる。取り出したのは暗器。それを未だ拘束が解けていない王太子に向けて構える。



「……ごめん……なさい……」



命令に従って暗器を振り下ろすがなんとか歯を食いしばって王太子への攻撃を逸らす。



「何やってんだ!!」



いつの間にか集まってきていた護衛騎士と応戦しながらアシルが怒鳴る中、私はその場に崩れ落ちるうずくまる。太ももに暗器を突き刺したのだ。しかし新たな痛みで思考が少しだけクリアになる。



(今ならまだ間に合う。彼から距離を取らないと……)



ふらつきながら立ち上がると、森の奥に向かって走り出す。



「待て!逃げるな!」



アシルの声に刻印が反応するも、振り切って走る。背後からは激しい戦闘音が聞こえ、その音を聞きながら走る。途中何度か転びそうになりながらも私は必死になって走った。

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