第14話 誓約書

 書類にはゲームの内容を元にした禁止事項が書かれていた。悪役令嬢の相手は一番攻略しやすい第二王子だ。それを念頭に置くと、どれも妥当な内容ではある。しかし、ここに書かれている事を守ろうとすると、学園に通うのも難しいだろう。


 悪役令嬢が書いたとは思えないから、私がアランに話したように悪役令嬢も執事に全てを話したと考えたほうがよさそうだ。


「お嬢様、この者は『転生者』だと思われます」


「あら? どうして?」


 突然そんなことを言われて、ページを巡る手が止まる。なぜ、そう思われてしまったのか検討もつかない。


「本物の孤児なら、誓約書の読み方など知らないはずです」


 私はその言葉にハッとして顔をあげる。執事と目が合うとニヤリと笑われた。


 驚いてしまった事で転生者であると確信を持たれてしまったようだ。孤児でも生い立ちは様々だ。文字が読める者は少ないだろうが、いてもおかしくはない。緊張していて色々なことに頭が回っていなかった。油断すればいつでも殺してきそうな執事の視線も、私の冷静さを失わせるためだったのかもしれない。


 執事が合図を送ると、手下の男の一人が私の服の首元を乱暴に掴んだ。そのままグイッと持ち上げらて、私はつま先立ちになる。


「お嬢様を騙すとはいい度胸だな。生きて帰れると思うなよ」


「苦し……」


 私は必死で背伸びをして、首が絞まらないように頑張った。ここで死ぬなんて絶対に嫌だ。こうなったら相手がどうなろうと……


「止めてちょうだい! 殺しは駄目だと言ったでしょ。化けて出そうで怖いわ」


 悪役令嬢は、私のことを汚いものを見るような目で見つめている。命が助かるなら、理由は何でも良い。


「申し訳ありま……」


「私を守れ!」


 私を掴む男の手が緩んだ瞬間、加護を唱えて男を弾き飛ばした。驚いて先手を取られてしまったが、私には力がある。全てを諦めるにはまだ早い。


「これが聖女の力の一端です」


「すごい! 本物だわ!」


 悪役令嬢は嬉しそうに近寄ってくる。執事が慌てて止めていたが、不満そうだ。


「少しくらい良いじゃない。ジャンヌがわたくしに逆らえるとは思えないわ」


「ですが、お嬢様……」


 執事が悪役令嬢を説得している間に生き残る手立てを考える。悪役令嬢を敵に回さない方法。私には一つしか思いつかない。


「彼女は殺しに反対のようですし、取り引きしませんか? 私はバッドエンドで構いません。その代わりに支援がほしいのです」


 私は悪役令嬢だけを見て言った。執事の知恵はなるべく使われたくない。


「バッドエンド? 『昔なじみの年上男性』って言うのは、一緒に冒険者をしている少年の事なのかしら? 結婚するの?」


 悪役令嬢は知っていて当たり前のようにアランの存在に触れた。本当はアランとゲームにはないハッピーエンドを迎えたかったが、この状況でアランを巻き込むのは良くない。アランが年下でゲームの登場人物ではないことが救いだ。


「いいえ。私が目指しているのは一学期ではなく、二学期のバッドエンドです。彼は残念ながら年下なので、ゲームに出てくる結婚相手ではありません。ただの友人ですよ」


 自分で言って悲しくなる。年下のアランと幸せになる未来など、ヒロインの私には最初から用意されていなかった。こんな結果を迎えるのは欲張ったせいだろうか。


「隣国に渡るの? 転生者なら話し相手になって欲しかったのに残念だわ。でも、殿下と会う可能性はなくなるわよね……良いわ。それで? いくら欲しいのかしら?」


 話が早くて助かる。前半の信じられないような言葉は聞かなかったことにしよう。ここまでしたのに、そばに置く選択肢があると思うなど傲慢だ。


 私は無言で指を一本立てて見せる。相場が分からない。執事たちを怒らせても良くないから、金額を悪役令嬢の判断に委ねるためだ。お金にうるさい孤児院の院長のそばにいなければ、こんなことは思いつかなかっただろう。


「一億ね。その程度なら、わたくしの個人資産から用意できるわ」


 私は冷や汗をかきながら笑顔を保った。平民の生涯年収より多い額だ。隣国への移住に必要な寄付金は共通通貨で一千万。それだけ貰えれば良い方だと思っていた。公爵家の財力は前世の知識を持つ私の想像をも越える。


「お嬢様!」


「たった一億で安心が買えるのよ。安いものじゃない」


「ですが……」


 執事が困ったように悪役令嬢を見ている。『安いもの』そんなふうに言われてしまったら、金額を減らしづらい。


「一度に振り込めるのは五千万までです」


「そんな決まりがあるのね。ジャンヌはそれでも良いかしら?」


 執事は渋々といった様子で金額を半分にまで下げて提案した。悪役令嬢はよく分かっていなさそうだが、私も事実なのか判断がつかない。どちらにしろ、ここでごねるのは得策ではないだろう。


「ええ。仕方がないことなので、その金額で構いません。では、今から冒険者ギルドに言って振り込んで頂けますか? 入金が確認できたら栞をお渡します」


 私はアランと作った栞を愛用の手提げ鞄から取り出して悪役令嬢に見せる。いつも使っている栞ではなく予備を見せたのは、アランとの思い出が詰まった栞を渡したくなかったからだ。


 悪役令嬢が気づく訳もなく、ゲームの小道具だと場違いにはしゃいでいた。

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