第10話 浩一先輩との出会い

 私が浩一先輩と初めて出会ったときのことは明確に覚えている。高校に入学して、私が推薦で剣道部に入部したことを顧問が部員全員に紹介し、ひとしきり自己紹介を終えて拍手が起きたときだった。

 大勢の部員のなかから、ひときわ身長の高い先輩が後ろのほうで手を掲げているのがわかった。顧問は「どうした神崎、なにか言いたいことがあるのか」と私の前に呼び出すと、神崎と呼ばれた先輩は私に向かってこう言った。


「試合をしよう、いますぐだ」


 驚きに溢れる部員たちだったが、難なく顧問の許可も下りてしまい、急遽私の意思など無視して練習試合が行われることになってしまった。

 なんなのあの先輩、と内心思っていたのだが、聞いた話によると次期剣道部の主将候補らしい。つまり、ここで神崎先輩を叩きのめせば、私の強さが白日の下晒され、そして認められる。こんなできすぎたスタートの機会は他になかった。

 一本試合は顧問が主審を務め、まだ名前も知らない先輩二人が副審を務めた。私を応援する声と、先輩を応援する声が錯綜さくそうする。面越しでもわかる、神崎先輩は明らかに笑っていた。

 蹲踞そんきょして腰を下ろし相手を出方を窺う数秒間、私は相手の一手を予想していた。高校からは判定となる決め手に、面の下部分、あごの位置を狙う「突き」も判定に含まれるようになる。きっと中学校と高校の差を思い知らせるために突きを狙ってくるだろう。

 だが、私は中学時代から顧問の勧めで既に突きは会得えとくしていた。突きはのど部分を狙うため、竹刀の軌道が上に外れたならいいが、横にすこしでもれた場合、強烈な竹刀の勢いが喉をえぐるように仕留め、呼吸困難に陥る。私も一度同級生に突きを外され喉をやられたことがあったが、一度体育館から退場しなければいけない事態にまで発展した経験がある。

 そんな危険な技を女子に対してしてくるだろうか。いや、主将候補というくらいだ、腕前は確かなはず。私が素人みたく、変な動きを見せなければ、突きをしてきたとしても致命傷にはならないだろう。


「はじめっ」


 主神の声が聞こえた瞬間、私は素早く立ち上がると、叫ぶ直前で思わず息を飲み込んだ。神崎先輩は通常の中段の構えではなく、両手を頭上高く挙げ、上段の構えをとっていたのだ。胴まるだしの上段の構えは余程のことがなければ身に付けようとはしない。私も中学時代に上段の構えを見たのは一度しかなかった。

 どう打ち込めばいいのかわからない。私は牽制けんせいして大きな声で叫んだ。神崎先輩は私の声をかき消すほどさらに大きな野太い声を上げると、胴を強調するように体を動かした。

 なんだ、胴まるだしなのに胴を打ち込んでこいって言っているのか。明らかに罠だ。それだけはしてはいけない。

 しかし――小手の位置は高く、当てようとすれば妙なラグができるし、なにより胴ががら空きになる。面は両手を高く挙げているため打ち込めない。だからといって、このまま攻めなければ戦意なしと見なされて注意を受けてしまう。どうすれば……。


 私はありったけの対処法を考え、最善の一手を実行に移した。

 まずは基本に忠実に左小手を狙う。相手が面を打ち込んでくれば避け、何度も左小手を執拗しつように狙う。そして、相手に隙が生まれたと思ったら右小手を狙った。惜しくも外れたが、周囲からは歓声があがる。だがこれは決め手にはできない、次だ。

 竹刀のきっさきを下げ、下段の構えをとった。胴まるだしの相手には、面まるだしで勝負といこう。あからさまに狙ってこいと言っている場所を私も作ったのだ。会得はしていないが、下手をしなければ問題ないだろう。今度は先輩から攻めてきた。上段から高速で面を繰り出すが、私は振り下ろしてきた竹刀の右側面をこするように竹刀を振り上げた。相手の竹刀は私にまで届かなかった。いまや形勢は逆転、私が上段、先輩が下段の構えになった。しかも、距離が近い。

 面を打てても、外れれば鍔迫つばぜり合いに持ち込まれる。そうすれば単純な力比べだ。私よりも大きい男だ。流石に私が負けるに決まっている。

 上段から振り下ろすと同時に、私は引くように面を打った。引き面だ。距離が近いから打ちやすいし、距離を離すことができる、とんぼ返り戦法だった。問題は、相手が私と同じことをしてきたことだ。私が振り下ろすと同時に竹刀を右側面に擦るように当ててくると、刹那せつな、私の竹刀は上空に舞い上がった。技量ではなく、純粋な腕力で私の竹刀は吹き飛ばされた。


 その間、たっぷり三秒。がら空きになった胴に技を打ち込まれ、私の高校初試合は完膚かんぷなきまでに負けてしまった。

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