第2話 治ってないじゃん!

 思い返せば、世間一般の六歳には過酷な運命に違いなかった。私も例外じゃない。

 スペインの片田舎に父親の仕事の都合で暮らしていた私を襲ったのは、突如として眼が見えなくなる病気だった。後に母から聞いた話だが、初めこそ、私が失明していたかどうかは、近くにずっといた家族でさえ見破ることはできなかったそうだ。両親が私の眼に異常があると判断したのは、近所のおじさんが家にお菓子を持ってきたとき、右眼が不自然な方向を向いていたかららしい。私の右眼は、黒い部分が白く染まっていた。

 スペインのバルセロナの病院に視力検査を受けにいった。スペインの幼児用の検査にはランベルト環は用いることはなく、象とか動物のイラストだったのを覚えている。といっても、母国語は日本語だったから象だって説明することさえ難しかったのだが。


 診断結果は【先天性緑内障】、母も祖母も通った道だった。


 先天性というだけあって、私が生まれる前から両親はある程度決心していたらしい。しかし、いざ現実のものとなってしまったとき、両親は泣いてしまった。いまでは堅物な父親も泣いたのだと思うと、不思議な気持ちでいっぱいだった。

 病気を治すには手術する必要があったが、スペインより日本の方が当時の医学の技術力は高く、私は思い出こそなかったが、母国である日本へと向かうことになった。日本語を日常的に話すのに日本を知らないのもおかしな話で、一種の辻褄合わせ、憧れのようなものを描いていたのだと思う。

 教会の別棟に間借りしていたというのは出国する前日の一日だけだった。教会には毎日のように眼が治癒するのを願って訪れていて、自然とマザーや他のシスターたちとも仲良くなった。なかでもマザーだけは私の病気のことを知っていたようで、「心配しなくても大丈夫よ」と事あるごとに話しかけてくれた。私は初めて飛行機に乗って他の国に行くというのが不安でたまらなく、無理をいってマザーに一日だけ泊まらせてほしいと頼んだ。マザーの近くにいれば不安も和らぐと思っていたのだ。

 日本に着いた直後、私の左眼を病気が襲った。

世界が白黒に変わっていく。両親の顔も段々ぼんやりとしてきたことに私は泣いた。見えなくなるのは嫌。お母さん、お父さん、妹の顔が二度と見れなくなるのは嫌。泣き叫ぶ私を母はずっと抱っこしてくれた。手配通り、手術は翌日のうちに行われた。

 病院での夜、深夜二時。ふと目を開けると、そこには開ける前とさほど変わらない景色が広がっていて、私はまた泣いた。そんなとき、近くで見守ってくれていた母が頭を撫でてくれた。


「ふみが手術をして、また眼が見えるようになったら、いままで見えなかったものが、見えてくるようになるよ」


 母の言葉の真意はわからなかった。しかし、目を閉じると世界は見えなかったが、広がった気がした。

 初めての海外。初めての手術。初めての家族以外の日本人。ついぞ思ってもみなかった環境の変化に緊張しっぱなしの私だったが、手術室に入り、口にマスクを当て睡眠導入剤を投与され十五秒も数えると、全身麻酔が体に効いて意識が遠ざかった。

 気が付いたときには、私は病室のベッドの上に移動していた。右眼が見えなかったが、どうやら眼帯を付けているだけのようだ。目覚めた私を両親は泣き腫らした目で抱きしめた。このときは知らなかったが、幼児期の全身麻酔は二度と目を覚まさないことがあるらしい。そんな心配を知らなかった当時の私はにこやかに笑顔を振りまき、元気にしていたそうだ。


 眼帯が外れたのは早いもので翌日のことだった。だが、私は驚愕した。視界が白黒どころではない、オレンジ一色で視界は染まり、物が七重に見えた。両親が七重で十四人に増えても嬉しくも何もなかった。

 思わず「治ってないじゃん!」と叫んだが、二、三日後にはすっかり見慣れたいつもの世界に戻ってくれていた。

 そして左眼の手術も終え、「治ってないじゃん!」と再び叫んだ頃には、私には一筋の希望の光が見えていた。

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