13.手、握っててもいいですか?

 最悪な気分です……。どんよりとした気持ちのまま、私は揺れる幌馬車の隙間から暮れなずむ空を眺めていました。


 人に対して敵意を向けるというのが、これほどまでに自分にもダメージが返ってくる事だなんて知りませんでした。今さらながら己に対して嫌悪が込み上げてきます。

 おかみさんは、包み隠さず正直に打ち明けてくれました。副リーダーだったという男性も、努力してあの幸せを手に入れたのでしょう。そこに部外者の私が突っ込んで、とやかく言う資格はあったのでしょうか。


(隊長さん……)


 膝を抱えて彼の事を思います。会いたい、今すぐにでも会いたいです。

 あの街に居た『リーダーのウィルフレド』が、隊長さん本人だったかどうかなんて確証はありません。ですがそうだとしたら、彼はどんな思いで街を出たのでしょう。どれだけ人を怨み、自分の粗暴な性格を呪って――


(あれ?)


 ふと、疑問が浮かびます。あの街に居たという少年の野蛮な振る舞いや考え方は、今の隊長さんとは結びつきません。むしろ、


(……やっぱり、そうなんでしょうか)


 ある仮説に思い当たった私は目を閉じて馬車の揺れに身を委ねます。

 まぶたの裏に描き出されるのは、優しく微笑む隊長さんと、泣いている裏人格さんの姿。一つの身体に二つの人格があるというのは、どんな気分なのでしょう。


 しばらく二人を思い描いていた私は、揺られる感覚に次第に意識が落ちていきました。


 ***


(よし、決めた!)


 約束の期日が迫っています。帰宅するなり私はある決意を固め、工房に引き籠りました。


 そこからろくに食事も取らず一心不乱に調合をすること数日、呼び出した隊長さんが扉口に立つなりその手を掴んで店内に引きずり込みます。


「おはようございます隊長さん、早速ですが私と寝て下さい!」

「え!?」

「問題解決の糸口を見つけたんです!」

「…………うん?」


 鼻息荒く宣言すると、固まっていた隊長さんはしばらくしてフーっと肩の力を抜きました。口の端を引きつらせながら軽く頭を押さえるような仕草をします。


「えーと、それはつまり、どういう……」

「ちょっとこちらに来て貰えますか?」


 促した私は、店内奥の階段を上がり二階へと案内します。自分の部屋の向かいにあるお父さんの部屋に入ると、大きなベッドを指し示しました。


「すみません、隊長さんが横になれそうなベッドはこれしか無くて……。シーツは洗濯してあるので清潔ですからね。どうぞ」

「……これは治療と言う認識でいいのか?」

「そうですよ?」


 不思議に思って見つめますと、隊長さんはなんとも言えない顔で苦笑を浮かべました。どうしたんでしょう?


「私、思ったんです、お二人は一度ちゃんと向き合うべきなんだって」


 少し引っかかりはしたもの、私はテキパキと準備を進めながら続けます。

 六つのフラスコに用意していた薬剤をビーカーに順々に混ぜていくと、ボコボコと泡が立ち上がり夏の夜色をした飲み薬ポーションが完成しました。目の前に掲げると紫のリキッドの中に煌めく光が本物の星さながらに瞬いています。

 私はベッドに腰かけた隊長さんの目の前に立ち、それを差し出して言いました。


「これを同時に飲めば、私が隊長さんの精神世界にお邪魔できます。裏人格さんは隊長さんの意識のどこかに隠れているはずです。私が案内しますので、彼を探し出しましょう!」

「……そんなことが出来るのか」


 驚いたように私の顔を見つめていた隊長さんでしたが、しばらくして表情を引き締めます。しっかりと一度頷くとフラスコを受け取りました。


「わかった、先導を頼む」

「はいっ」


 まず隊長さんが半分飲み、続けて夢に入る側の私が残りを飲み干します。鼻から抜ける風味は何と言ったらいいかその……うぅ、次に作る時はここを課題にしましょう。


 睡眠剤の成分も含んでいるので、一分ほどすると少しずつ瞼が重くなってきました。隊長さんはベッドに横たわり、私はその傍らで椅子に座ります。

 窓に引いたカーテンの向こう側では朝の光が揺れていて、賑わいだした外の喧騒が遠く聞こえてきます。

 なんだかこの部屋だけは世俗から切り離された箱の中のようで、私はトロトロとまどろみながら目の前の大きな手を眺めていました。鈍くなっていく頭でぼんやりと尋ねます。


「手……握っててもいいですか? きっとその方が、上手く入れると、思う、から」


 返事はありませんでした。ですが返した手が軽く開かれます。私は嬉しくなって、大切な物を扱うようにその手を両手で握りしめました。

 ベッドにもたれて、意識が落ちる……落ちる……。


 ***


 他人の精神世界で自分の存在を保つというのは容易ではありません。

 人によって内面に抱えている自意識世界というのは差があるのですが、隊長さんの『ナカ』は真っ暗でした。ですが完全な闇というわけではなく、お芝居小屋が演劇を始める前のような暗さです。割とスタンダードなタイプですね。


 自分がなぜここに居るかをハッと思い出した私は、いつもそうしているようにまず自分の手を見つめました。……うすぼんやりと指の形が見えます。悪くありません、これくらいなら……。

 目を閉じた(つもりの)私はイメージを始めます。夢に入る前の自分の姿を斜め上からの俯瞰視点で思い描いて、ゆっくりとその姿を地面に降り立たせました。すると実際の足の裏にも地面を踏みしめる感覚がします。

 続けて右手を前に差し出し、暖かいオレンジ色の光を宿すランタンをイメージして握りこみます。カシャンと言う音がして目を開けると、手の中には思い描いた通りのランタンが握られていました。長細い四角の物で、上に持ち手の鉄輪が付いています。現実世界ではずいぶんと前に壊れてしまった物ですが、夢の中ではいつもこれを使い続けています。お母さんの形見でもありますしね。


「隊長さん、聞こえますか? 隊長さん」


 自分の存在を掴んだ私は、暗闇の中に向かって声を掛けます。しばらくして、どこからか返ってきた声はどこか眠そうにぼんやりとした物でした。


 ――チコリ……君?

「そうです、チコリです。思い出して下さい、問題解決をしようといっしょに薬を飲みましたよね。今、隊長さんの夢の中にお邪魔させて貰ってます」


 状況を思い出させようと眠る直前のことを事細かに話していくと、隊長さんもだんだん起きてきたようです(夢の中で起きるというのもヘンな話ですが)


 ――む、何やら妙な感覚だな、私はどこから君の姿を見ているんだ?

「落ち着いて下さい、今から私の言う通りにやってみて下さい」


 空中に向かって呼びかけた私は、先ほど自分がやった通りのイメージに隊長さんにアドバイスします。しばらくして、現実世界と同じ彼の姿が目の前にふぅっと現れました。


「なるほど、自分の存在をしっかり認識するというのがコツなのだな。ずいぶんと慣れているようだがやったことが?」

「はい。心に病を抱えた患者さんは、こうやってお邪魔して原因を特定することがあるんです」


 ここで照れ笑いを浮かべた私は、ちょっとだけ早口になりながらこう続けました。


「でも、普段はお父さんがやっていて補佐ばかりなんですけどね。こうやって主導で入り込むのは今回が初めてで……がんばります」

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