第39話 罰

 僕は今、クレアンヌさまの前で、床に両膝りょうひざをついている。

クレアンヌさまのご慈悲じひあらわれか、この部屋の床には毛足の長い絨毯じゅうたんが敷きつめられていて膝をついても全く痛くない。

板張いたばりの部屋ではなかっただけありがたいと思う。


「ドネットを引き連れて、夜通よどおし帰ってこないと思ったら、私の馬車を失い、怪我けがをしたドネットを連れ徒歩で帰ってくるなり、寝込む始末しまつ

私への連絡や報告も一切なしでこの時間!」


 クレアンヌさまは部屋にたたずむ大きな時計をゆびしめす。

時計が刻む時刻は午後3時手前を示していた。

僕たちがお屋敷にたどり着いたのは昼前でクレアンヌさまのおっしゃるように僕の意識はそこで途切れている。

先程目覚めたばかりだ。


「これは一体どういうことかしら、フィーロ?」


 さすがに、怒らせてしまった。

怒るのも無理もないと思う。

豪奢な馬車を実際に失い、危うく大事な使用人を失うところだったのだ。


「すみませ」


 僕の萎縮いしゅくした謝罪など耳に入っていないかのようにさえぎられた。


「私は昨日。

ジュリーにあなたの監督を任せたはずですわ。

でも、あなたはなんだかんだとジュリーの同行どうこうこばみ、代わりにドネットを付けさせたの。


ドネットからはすぐに報告があり、晩餐ばんさんの時間にドネットがあなたに付き合わされて外出する予定だと聞いたわ」


「はい、おっしゃる通りでございます」


「その時は、あなたが私の依頼の遂行すいこうの為に尽くしてくれていると、自分を納得させてドネットとあなたの不在を許したわ」


「そのふしは、お許しを頂きありがとうございました」


「でも、あなたは!フィーロ!」


 ビシッと音がなりそうな勢いと機敏きびんでかつ、力強い手の動きと言葉で、クレアンヌさまの怒りの矛先ほこさきは明らかに僕に向いていると一目瞭然いちもくりょうぜんだった。


「あなたは!

ドネットを連れたまま0時を過ぎても戻ってこない!


夜の街で何をしていたのか。

途中までは監視につかせた者達から報告もあったわ。

なんでも、あなたはダーラムで1,2を争う人が多く集まる酒場サルーンで店員になったそうじゃない?」


 こう顔を合わせると、クレアンヌさまの顔色が優れないのは、僕やドネットさんを心配してくださっていたのだろうとわかる。


「既にお耳に挟まれていたのですね・・・あの、普通の店員じゃないことも・・・?」


「あなたは女装をして、しかもあろうことか、胸を大きく見せて男客共に愛想を振りまいていたそうじゃない?」


 冷たい視線が僕に突き刺さる。


「あの、それはお仕事としてできることを仕方なく・・・、成り行きで・・・」


「そう。

じゃあ、わたくしにもお見せなさい。


そのあられもないウェイトレス姿を」


「え?!いや、でも、あれは僕の意思じゃないというか、マスターにいわれて着せられたというか」


 パチンッ!


「連れていきなさい」


 クレアンヌさまが指を鳴らすと、マルコーご夫人と数名の従者達が奥のカーテンから突如とつじょとして現れた。

おそらくずっとそこに控えていたのだろう。

そして僕の両脇をかかえ、その場から連行された。



 ほどなくして、僕は再びあのDRM's Barrels Saloonダーラムの樽酒場のウェイトレス衣装に換装かんそうされていた。

いつの間に入手したのだろう?

やはり貴族とは瞬時に物事を動かせる人脈やパワー(権力)を持っているものなのか。

しかも、ナンシーさんが施してくれた簡易的なメイクではなく、バッチリキメキメのフルメイクだ。

こうしてみると、もはや別人である。

別人なら可愛い人だなと、思ってしまうほどの出来できなのだ。

鏡に映された知らない人は、困惑している表情であり、たしかに僕なのであるらしかった。

僕としては困惑よりも諦観や憂慮が勝っている表情をしていると思っているが、鏡の先にあるのは困惑こそ見えるが、物憂げな様子は見受けられない。

いっそ僕じゃなくてこういう人がいるよと紹介されたい。

しかし、フルメイクがこれほど時間がかかり、準備にこれほどの労力のいることなのだと、知れたことは僕が今後メイクをしている人を見る時の基礎的な教養になったので、その点だけは感謝してもいいのかもしれない。


 何しろ、僕が想像していた数十倍は長い道のりだった。



━━数時間前


 まずは全裸にかれ、風呂に入れられて隅々まで、僕自身が届かないところまで隅々としっかり洗われた。

その後、顔にパックという、腰痛の人に処方する湿布のような質感テクスチャのシートをのせられ、数十分待機させられる。

顔の表面に隙間なく貼り付ける必要があるらしく、わずかな空気でも入念に締め出す。

かゆくてもとることはできないし、表情も変えてはいけないのだ。

忍耐力が試される。

パックを外した直後に、時間勝負と言った具合でピチャピチャと何かの液体を顔に吸収させるように振りかけてよく練り込まれた。

さらに白っぽい液体もその上からペチョペチョと上塗りされ、チーズのドレッシングのようなテクスチャのクリームをさらに顔によく練り込まれた。

その後は少し肌に馴染むまではそのままでいるようにと言われ、待つこと15分ほど。

その間に、髪にはブラシが入れられて、サラッサラでふわりと香る女の人のような匂いをまとった。


 次の工程。驚かないでほしい。じつはまだまだ先があるのだ。

顔の鼻先や頬、おでこ、あごに何かの液体と粉末の中間のような質感テクスチャのものが塗られ、そこから顔全体に向かって塗布物とふぶつり伸ばしていった。

顔の色がちょっとマットに均等になった気がする。

その上にさらにファンデーションと呼ばれるものを頬や顎、おでこなどの中心から外側に向けて塗り広げられた。

そして、粉をまぶす。

吸い込んでしまわないように必死に息を止めて、特に細部を重点的に塗り固めるようだ。

下地の上に基礎を意味するファンデーションをるのだ。

その上に基礎を固めるためのパウダーをまぶす。

どうやら建物を作る時と似たような、緻密ちみつに組み合わされた工程があるらしい。


 基礎を固めてから、次は目の周りにメイクをのせていく。

ここへきて、やっと表面的な作業に移るようだ。

眉毛を切り整えて、綺麗なととのった形になるように描きされていく。

鼻と目の境界を影のように暗めに塗り、鼻筋はなすじ際立きわだたせる。

こうすることで奥行のハッキリした顔立ちを演出するようだ。

目を閉じて、眼球の線にベースと似た色のパウダーをのせる。

まぶたの中程と、目尻めじりの下に少しベースよりも暗めの色をのせる。

さらに、瞼の際と目尻にもう少し暗めの色をのせ、グラデーションで目のくぼみを際立たせる。

少しだけ、目が大きくなったような錯覚を覚える。

これがアイシャドウというものらしい。

さらに目のメイクが続き、目の仕上げらしい。

瞼と目のキワキワの所に黒に近い色で線を引き、目尻の延長上にもその線を伸ばす。

アイラインというらしい。

左右の目とも均等にメイクで形を整えられて、確かにメイク前よりも目のバランスが良くなったような気もする。


 目の下辺りにピンクっぽいパウダーをのせて、常に少し薄めに頬を赤らめているような、印象を与えるチークと言われるメイクを施された。

唇にも薄いピンクがのせられて、若く血色がよい顔に見える。

とても諦め交じりの悲しいげな顔には見えない。

僕は確かにそのような表情を浮かべている自覚があるのだが、このメイクのせいで困惑はしているけれど、それほど嫌そうではないといった、強制的な表情補正がかかるようだ。

メイクとはすごい技術だ。

自身の感情すらごまかせる見た目を提供する。

魔法でもなかなかこのような高度な変更は難しい。

幻の類を見せる魔法に特性としては似ているのかもしれない。


いつの間に調達したのか、DRM's Barrels Saloonダーラムの樽酒場のウェイトレス衣装があり、袖を通される。

しかし、違う点があるとすれば、胸部の作りだ。

無駄に余っていたはずの胸部は何故か僕の体型にピッタリだ。

しかも、少し改良が加えられており、首元がしっかり採寸されてあつらえられているので、前かがみになっても中が見えてしまうこともない。

少し余り気味だった脇下わきしたもきっちりとフィットしており、動きやすさが段違いだった。

スカートの中にはレースが3重か4重くらいにあしらわれたフリル付きの下着パンツ

これなら見えたとしても、地の形がわからず、安心要素であり、スースーする感じも若干防がれている。

神憑かみがかりと言ってもいいほどの裁縫さいほうの技量だ。

これがアヌエスさんの本気なのか。



 そうしてフルメイク、フルカスタムされたウェイトレス姿を鏡の前で見せられると、昨夜のギリギリアウト感のある状態よりも良いように感じてしまった。

なにしろ昨夜は1部の客(主に女性客)に気取られていた。

この姿なら、もしかすると女性もだませるかもしれない。

いやいや、僕が騙したいわけでは無いけれど、バレたらバレたで大変なことになるかもしれないし、バレないに越したことはないと思う。

既にバレているのはどうしたものか。

できれば、こんなことに悩まずに男として仕事がしたい。

そのは、来てくれなさそうな未来という気はしているが、希望は希望である。

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