第17話 アヌエスさん

 ふかふかのベッドの寝心地というのは魔性性ましょうせいがある。

魔性性って言葉があるのかはわからないけど。

草原や森の中で眠るのに比べて、これほど惰眠だみん誘発ゆうはつするものなのかと。

野生動物や虫などに全く警戒する必要がなく、安宿モーテルとは異なり騒々そうぞうしい周囲の客達に起こされることもない。

気づけばいつもの倍近く眠っていた。

おそらく、昨夜の晩餐で、はち切れんばかりにご馳走を食べたことも、長い睡眠を維持することに貢献していたのだろう。

いつもなら途中でお腹がすいて起きているかもしれない。

もし一カ月の間、この調子で眠ってばかりいては、さすがに依頼がこなせないばかりか、路銀を稼いだり、旅立つ時の運動不足が深刻だ。

明日からどうにか、いつものリズムで起きる工夫が必要かもしれない。


 僕に宛てがわれた部屋には、机と椅子、荷物にもつ置き兼物入ものいれ棚、三本立ての燭台しょくだい、ベッド、クローゼットがある。

このような広い部屋を宛てがわれたのは初めてで、正直持て余している。

安宿にしか泊まったことがないので、他の旅人達と共通の大部屋で、もちろんベッドなんてものは存在せず、自前の寝袋などで床に寝るのだ。

それでも、治安の良くない村や町では、町村近くの屋外で眠るのは自殺行為なので、寝泊まりができる屋内であるだけで十分だった。

僕のような一人旅の若輩者は、大部屋にいた方が、いざ町や村が襲撃されても、僕以外の屈強な人たちがいる金銭的にも価値の低い安宿を狙われることがないという自己防衛的な利点もある。

たまに持ち物が抜き取られていたり、盗まれたりもするが、警戒していつでも起きられるようにしておけば、大抵は取られることもない。

寝不足にはなるが、背に腹は何とやらだ。


 コン、コン


 部屋の扉が控えめにノックされた。


「は〜い」


 返事をすると、扉が開き従者の方が現れた。

お辞儀をしてくれている従者は、昨日作法習得のためにご当主様役をしてくれた方だ。


「フィーロ様、おはようございます。

朝食はいかがなさいますか?」


 貴族ってこんな感じなのかな。

と貴族の客待遇のすごさを改めて実感する。


「おはようございます。

アヌエスさん・・・でよろしかったでしょうか?」


「あぇ?

フィ、フィーロ様ど、どうして私の名前を!?」


 目の前の従者の方は、同様している様子だ。


「突然すみません。

耳に入ってきたので確かめてみたくて」


「そうでしたか。

はい、たしかに私の名前です」


 なんとか持ち直したのか、ただ少し声が震えている。

怖がらせてしまったかもしれない。


「合っていたのであれば良かったです。

昨日は、突然来た僕のお世話や作法の練習などを付き合っていただいてありがとうございました」


 感謝を込めてお辞儀をする。


「いえ、私はフィーロ様のお世話でしたら喜んでさせていただきます。

どうかこれからもよろしくお願いいたします」


 明るい方なんだろうな、笑顔がとてもまぶしい。

表情からはもう怖がってはいないようだ。

でも、少し手が震えているようにも見える。


「そういっていただけると助かります。

色々と教えてもらうことやお世話をかけてしまいますけれど、よろしくお願いします。

あの、ご朝食をいただいてもいいでしょうか?」


「はい、もちろんでございます!

よろしければ、ご朝食のお席までお連れいたします」


「ありがとうございます。

このお屋敷はすごく広いので助かります」


 アヌエスさんが笑顔で引き受けてくれて少しほっとした。

作法の練習とはいえ、昨日の手を取ったときの震える感触は明らかに動揺していた。

僕のようなどこぞの馬の骨とも知れない者に手を握られるのは、誰だって戸惑うし嫌に決まっている。

昨日の気疲れている状態で聴覚強化を維持していたのも、罪悪感から何か情報を得られないかを探っていたということもあった。

しかし、いくらできるからと言って、魔法を使うことに頼りすぎるのもプライバシーや僕自身にとってもあまり良くない。

師匠はよく言っていた。


『魔法の力は世界の均衡に作用する。

魔法を使いすぎると均衡の寄り戻しで大きな代償を払わされることになる。

故に、最小限の魔法で最大の成果を出すには、魔法に頼らない方法を知る必要がある』と。


 師匠の崇高すうこうなお言葉を思い出していると、アヌエスさんが扉の前に待機していた従者の方々を呼んでいた。

いつの間にか取り囲まれて、朝の着替えと体を拭いてくれた。

朝から全裸にむかれて身体中を濡れた布巾で清められる。

この感覚は一カ月やそこらでは慣れることは無いだろう。


「あ、あの、すみません。

髪は切らないでいただけませんか?

このくらいの長さがないと、都合が悪いことがあるんです」


 僕は昨日のように髪の毛をバサりと切られそうになり、慌ててはさみにNOを伝えた。


「では、長さは変えずに整えるだけにいたしましょう」


 どうやらこの国では、男の髪の毛は短く、女性の髪の毛は長くというのが基本らしい。


 これまで旅をしてきた国々や町村でも、男女で髪を結う長さを変えていたり、特に決まりはなく、長短どちらも入り乱れていたり、男の方が長くて特定の結い方にこだわっていたりと、風習や文化は様々だった。

この街でも、連行中に見かけたキャラバンの人々は髪型は様々で、たくさんの出身地の人が集まっているように感じた。

なので、街中で特に決まりや風習があるなんて思ってもみなかった。貴族特有?


「この街の人達は、髪の毛を短くする風習があるのですか?」


「ええ、男性の方は基本的には髪を短くしているのが、清潔感があって好まれます。

男性の方でも髪を伸ばしているのは、貴族の方であってもだらしのない人という印象です。

中には、そういうだらしのないような人を好きになってしまう女性もいますが・・・」


「男性に限ってということなんですね。

ちょっと手記に書いてもよろしいでしょうか」


「ええ、手記メモをお取りしますね」


 昨日の作法の練習でも手記を欠かさず書いていた僕を知っているので、アヌエスさんが僕のベッドの脇から手記とペンをとってきて手渡わたししてくれた。


「フィーロ様、こちらでよろしいでしょうか?」


「ありがとうございます、アヌエスさん」


 どうやら髪を短くするのは男性だけのようだと手記にも記しておく。


 僕が手記を受け取り描き始めるとき、眼鏡の年長の従者の方が僕がアヌエスさんの名前を発した事を聞きとがめるようにアヌエスさんに詰め寄った。


「まあ、アヌエス!

あなたが世話係に立候補するなんてと思ってはいましたが、まさかご当主様のお客様に自分の名前を呼ばせるなんて!

なんと恥知はじしらずな!」


「待ってください!

アヌエスさんが呼ばせているのではなくて、僕が勝手に呼び始めただけですから。

それに、他の方々もよろしければお名前でお呼びしたいのですが・・・呼んではいけないのでしょうか?

・・・マルコーご夫人」


 僕は眼鏡の年長の従者、改め、マルコーご夫人にお伺いをたてる。


「な、フィーロ様!?

どうして私のファミリーネームを!?」


「昨日、たまたまその・・・聞こえた(?)ので、そうなのかなと思って」


 従者を年長者として取りまとめているこの方は、周りの人達からは名前で呼ばれたことはなかった。

みんなメイド長やお姉様など、そういった呼び方をしていた。

対して、マルコーさんはこのお屋敷の料理長だ。

そして、この方はマルコーさんと同じ部屋へ入っていく『音が聞こえた』。

普通男女の部屋は別れて用意されている。

このお屋敷でも、ドネットさんやブルーベルさんは同じ方向の部屋で、アヌエスさんや従者の方々は男性陣とは別方向の部屋が割り当てられているのだろう。

でもない限りは男女で同じ部屋で寝るなんてことはないのだと思う。

だから、そう呼んでみたのだ。


「やはり、ご当主様のお客様は、私共とはできが違うのかしらね。

昨日も作法の飲み込みが早いと思っておりましたわ。

わかりました、フィーロ様。

アヌエスが強要きょうようした事でもないようですので、その件は少しだけお時間をください。

ご当主様のご意向いこうも含めて、あなた様の身の回りのお世話係が正式に決まりましたら、メイド達の名前をお伝えいたします」


便宜べんぎをはかっていただき感謝します」


 僕は習いたての作法であるお辞儀をして感謝を示した。


「フィーロ様、申し訳ございませんが、そのようなお辞儀を私共へ向けられるのはおやめください。

万が一ご当主様や貴族の方々に見つかりでもしたら、私共の立場が危ぶまれることがざいますので、そのような正式な作法は貴族の方々だけになさってください」


 どうやら作法は間違っていたようだ。

ここで覚えないといけないことはまだまだありそうだ。

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