狂気の殺人包丁は殺したくない!

タカナシ

第1話「狂気」

 とある洋館には噂があった。

 その洋館に入って出て来た者はいないという、よくある都市伝説的な噂が。


               ※


 寂れた廃洋館。

 昔はさぞや金持ちが住んでいたであろうことが、その装飾の多さ、庭の広さ、門の大きさから容易に見て取れる。

 だが、いまは、埃が積もり、砂やすすで薄汚れ、豪華絢爛という雰囲気からは程遠く。不気味という言葉が一番しっくりくる。


 そんな洋館に、いま、ひとつの人影が、台所でグチャグチャと聞くものを不快たらしめる音を立てていた。


 人影は10代後半くらいの男性で、血まみれになった包丁を自身の腹部へと突き立てていた。

 台所と包丁。何一つ不自然なところのない組み合わせだが、それが捌くものが自分自身となると話が変わってくる。

 それも刺すのは一度だけではなく、何度も何度も。

 その瞳に光はなく、虚ろに闇を写している。


 とっくに絶命していてもおかしくない程の傷と出血。それでも包丁で自傷する手は止まらず、腹部のほとんどを抉ったところで体のバランスが取れなくなりぐしゃりとその場に崩れ落ち、ようやくその手を止めた。


 男性が事切れると洋館は再び静寂に包まれた。


 と、思っていると、甲高い女性の声が洋館内に響く。


『はぁー。ご馳走でしたわぁ! まさか映画の撮影だとか言って20人弱の人数が来たときは流石に焦りましたけど、この狂気の凶器である、殺人包丁のわたくしに掛かれば、全員を血祭にあげるくらいなんともなくてよっ!』


 本人の独白から察するに声の主は、男性が手に持ち絶命している包丁のようであった。

 男の死体は不思議なことに時間が経過するとまるで洋館に飲み込まれるかのように、その血も体も溶けて消えていく。


『うっぷっ! わたくしとしたことがはしたない声を出してしまいましたわ。でも、こんなに頂いたのは初めてのことでして、少々大目に見て欲しいですわね』


 そのとき、狂気の殺人包丁は気づく。己の体に僅かながらサビがあることに。


『はぁっ!! なんてことですの!? なんてことですのぉ!? これは明らかなカロリー取り過ぎですのぉ! わたくしの玉のようなつるつるのお肌に、ニキビのごとく吹き出物サビがっ! いけませんわ。これはしばらく、殺人は控えませんと。カロリー取り過ぎで、ぶくぶく膨れてしまいますわ』


 殺人包丁は太った自分を想像し、さらに、その後には太り過ぎで体が割れるのではないかと恐怖に包まれる。


『嫌ですわ。やはり体調管理はしっかりしませんと! 暴飲暴食は控えましてよ』


 そうして決意を新たにしていると、洋館の扉が勢いよく開け放たれ、すぐに扉が閉められた。


『ッ!? なんですの? なんですの? いったい何があったのですの?』


 殺人包丁は感覚を研ぎ澄ませると、4人の人間が入ってきた気配を感じたのだった。


『誰か来たみたいですけど、なんでよりによって今日なのでしょうか? わたくし、すでにお腹いっぱい過ぎるので見逃してあげますから、早く出て行ってほしいですわね』


 狂気の殺人包丁は彼らの様子を伺うことにしたのだった。


               ※


 男女4人は息を荒げ、洋館に入って来るとすぐに扉に鍵を掛け、外界と遮断した。

 本来、こういった館では自動で施錠され、外に出られず恐れ戦くものだが、彼らは自ら施錠していたのだった。


『男女4人、見た感じティーンエイジャーですわね! そんなのが洋館に入ってくるなんて死亡フラグしか立たないのですわよ! ご存じないのかしら?』


 4人の男女比はちょうど半々で男性2人に女性2人。

 全員が10代に見える若い男女であった。

 そんな彼らは一様に肩で息をして、疲労の色が浮かぶ。


「はぁ、はぁ、みんな、無事か?」


 ツンツン髪の、平時なら爽やかな印象を受ける青年が周囲を見回しながら安否を確認する。


『チャラ男ですわ! わたくしなら中盤くらいに殺しますわね』 


「だ、大丈夫よ。それにしてもあれは、なんなのよ」


 明るい髪色のクラスの中心人物になりそうな女の子が返事を返す。

 この二人は明らかにスクールカーストでも上位の存在だと思わせる。


『ギャルですわ! ギャル!! 真っ先に死ぬタイプでしてよ!!』


 それとは反対に、


「わ、わたしも、大丈夫、です」


 今にも消え入りそうな声をあげたのは黒髪で地味なタイプの女性。


『……ファイナルデッドガールですわね。こういう地味子は最後まで生き残りますの。下手したら反撃されますのよね』


 それから、最後に、


「さ、さっきのはたぶん……」


 ぼさぼさの髪に眼鏡の暗い雰囲気の男は、口を開いた。


『主人公かモブか難しいところのオタク君ですわね。中盤で死ななければ主人公コースの見た目ですわ』


「たぶん、最近噂になっている、牧場の殺人鬼だと思う」


「牧場の殺人鬼?」


『牧場の殺人鬼ですの?』


「う、うん、牧場近くに来た若者を殺して家畜の飼料にする羊面の殺人鬼が居るって噂なんだけど」


「くそっ! なんだよ。それっ!! そんな奴にタケシは……」

 

「で、でも、ここに逃げ込んだんだから、大丈夫よね。あとは警察が来るまで待てば……」


「たぶん……、でも、ここってもしかして噂の……」


 ガチャガチャガチャ!!

 ガチャガチャガチャ!!


 そのとき、扉が激しく揺れる。

 荒々しく、何度も何度も開けようとする猛烈な勢いに、男女4人の顔が青ざめる。


「も、もしかして、牧場の殺人鬼が追って来たのか?」


 ガチャガチャという音はしばらくすると止み、扉が開かないから諦めたのだと、4人がほっと胸を撫でおろした、その時、


 ドォンッ!!


『イヤー!! わたくしのお屋敷の玄関がっ!!』


 殺人包丁の絶叫と共に、扉が飛来物によって破壊された。

 その飛来物をまじまじと見てしまった4人は一様に悲鳴をあげる。


「タ、タケシ……、うわぁっ!!」


 人間をまるで野球ボールのように投げつけ、扉が破壊される。

 もちろん、投げられた人間は曲がってはいけない方向に幾重も曲がり、誰が見ても絶命している。

 

「みんな、逃げっ――」


 チャラ男が声をあげたと思った次の瞬間、玄関の扉から大男が入り込んで、下駄箱を片手で楽々と持ち上げると、逃げ場を無くす為、それで玄関を塞いだ。


 振り返って一同を確認する大男の顔には羊の面。

 羊面は牧場のマスコットキャラであり、『ヨーモくん』として親しまれているキャラであった。常に笑った表情でぺろりと舌を出している様は平時なら可愛らしいが、返り血の付いたそれは、血肉を求めた飢えた獣にしか見えず恐怖を誘う。


 面により一切の表情が読み取れないまま、一歩。投げつけた死体を乗り越え歩み出る。


「う、うわぁっぁぁぁぁっぁぁぁぁ!!」


 4人は悲鳴をあげなら、それぞれバラバラに逃げ惑うのだった。


『……まずいですわ。まずいですわ。これ、あの殺人鬼に見つかりましたら、わたくしの素晴らしい切れ味に惚れこむに違いないですわ。なんの容赦もなく4人を屠りますわよね。わたくし、お腹いっぱいなんですけど。これ以上は入りませんわ。な、なんとかして、逃げますわよっ!!』


 台所で狂気の殺人包丁はダイエットと健康管理の為、殺人鬼から逃げる覚悟を決めるのだった。

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