第36話 ひとりでできるもん

「ガウリスのこと?」


ロッテの急かすような言葉に私も早足で入口に向かいながら聞く。


「そう。満月が一番輝くこの時間を逃したらまた一ヶ月後になるから早く」


「えー、何やるの?俺も見て良い?」


アレンはどこか楽しい事が起きそうな気配を察知したのか、わくわくとした顔で後をついてくる。


「いいよ、おいで」


ロッテも短くそう言いながら大広間に向かって早足で歩き出した。


大広間に続く廊下には昼間には無かったはずの本が乱雑に積み上げられていて、大広間にあったはずの大きいテーブル、イス、ソファーも廊下に全部移動されてほとんど通路がふさがっている。


狭くなった廊下をカニ歩きで通り抜けて、大広間をヒョイと覗いて驚いた。


大広間の床一面に魔法陣が描かれている。こんなに巨大な魔法陣なんて見たこと無い。


ガウリスも何が始まるのか分からないみたいで、落ち着かない雰囲気でグルグルと動いて私たちを見ている。


あっけに取られていると、右手に何か重いものを、左手にガサガサしたものを握らされた。


視線を落とすと重いものは何かの液体が入った壷で、ガサガサしたのは乾燥した葉っぱみたい。


「…これは…」


何をするの、と聞く前にロッテが口を開く。


「エリーの小さくなれたらいいのにって言葉で思い出したんだけど…」


「小さくするの?できんの?」


アレンが後ろから聞くとロッテは首を横に振った。


「小さくはしない。けどエリーの言葉で色々考えてたら思い出したの。モンスターを人間に変える魔法があったってね」


人間をモンスターに変える薬じゃなくて、モンスターを人間に変える魔法?

ロッテは私たちが何か聞く前に説明を始めた。


「これはずいぶん大昔に人間界で作られた魔法なんだけど、正直誰得?ってかんじだから使う人も覚える人も居なくなって廃(すた)れた魔法よ。

今じゃマニアックな古書の片隅に端切れ程度の文献が載ってる程度しかくてさ、情報集めるのに苦労したわ」


と言いながらロッテは本を片手に持って、微笑みながら私の肩を叩く。


「それじゃあ、あたしが言う通りに詠唱しながら壷の中の香油を魔法陣の上にかけてね」


「え」


声を詰まらせ、ロッテをみる。


「私がやるの?」


まさか嘘でしょ?私にこんな本格的な儀式みたいなものさせるわけないわよねとロッテに聞くけど、ロッテは何言ってるのと見返してくる。


「だってあたしは魔族で神が施したことに手は出せないし、仮にできたとしても神官の立場の人間に魔族のあたしがなにか施したらガウリスは神官に戻れないじゃない?…まあ魔族の立場だと神官がどうなろうがどうでもいいんだけど」


ロッテの最後の小さな呟きを聞いたガウリスは頭を勢いよく横に振り続けている。


それは困ると言いたそうなのは分かる。


私は納得したけど、それでも今苦戦している制御魔法のことを思うとしり込みしてしまう。


「けど私、制御魔法すらまだできないのに…」


ロッテはそれを聞くと首を横に傾げる。


「人間の魔法の歴史習ってない?」


「…十四歳になってから魔法の歴史は最初の少しだけ習ったんだけど…そのあと旅に出たから…」


歴史の勉強を習い始めた辺りから私専属の家庭教師が髪の毛を熱心に狙ってきていたから、勉強するより家庭教師から逃げ回るのに必死だった。


ロッテはそっか、と頷いて、


「魔法陣は魔力の弱い人でも魔法が使えるように、大昔の人間の魔導士が編み出した図形と文字と数字の集まりなの。だからあの魔法が使える・使えないってのは関係ないのよ。

ただ本の通り均等に図形を、文字と数字を間違わず順番に、あとは必要な詠唱を唱えて力を発動すればわずかでも魔力がある人なら誰でもその通りの魔法が発動される。

だから魔法陣を使う魔法は正当魔術と呼ばれてるのよ、ちゃんとやればろくに魔力が無くて正当に魔法が使えるから正当魔術」


なるほど…ロッテの説明はためになるわ、と頷いていると、隣でアレンもためになるなぁと言いたげな顔で頷いている。


「じゃあ言う通り唱えて。あと一度呪文を唱え始めたら終わるまで呪文以外の言葉を口に出したら無効になるから気を付けて」


「分かった」


頷いてロッテの言葉を待つ。


「アン・サルダ・ベーダッグラ・ローノファイズ…」


「ちょ、待ってもう一回」


思わずストップをかけた。


てっきり「我、望む。汝うんたらのうんたらで」みたいな言葉が来るはずと待ち構えていたら聞いたこともない謎の言葉の羅列が出てきたから。


「『俺はその呪われし姿を…』っていう古語と古代魔術を組み合わせた言葉だろ」


振り向くと、いつの間にやらサードまでもがやって来ていてこちらを見ている。


「さすが。覚えるのが早いだけあるわ」

「俺は頭がいいからな」


ロッテがサードを褒めると、サードも謙遜(けんそん)することなくさも当然とばかりに返す。


サードの訳した言葉に、へえそんな意味だったのと思うのと同時に、魔法の使えないサードに魔法に関するもので追い抜かれた脱力感が私を襲う。


知ってか知らずかロッテは、


「じゃあゆっくり言うよ?アン・サルダ…」


と呪文を唱え始めて、私も言葉の羅列を一生懸命覚え、つたないながらも詠唱を繰り返す。


「そこでその壷の中の香油を魔法陣の外の円に合わせて流して行って。一周できるようにね。途中で足りなくなっても余っても無効だから」


そんな難しいこと…。


…って言いたいけど、今は呪文以外の言葉は話せない。


「ガルダーン・ファーズ・ズール・ソーン…」


香油をチョロ、とまき始めたらロッテが詠唱の呪文を唱え出して、私はギョッとロッテを見た。


まさか香油をまきながら詠唱しなくちゃいけないの?しかも香油の残り具合を確認しながら!?


…って言いたいけど、今は呪文以外の言葉は話せない…!


間違っちゃいけない緊張感の中、ロッテの言葉をよく聞き、とにかくゆっくりと一字一句繰り返す。


「なあサード、今の所なんて言ってんの?」


アレンがサードに小声で聞いている。でもアレンの小声は普通の会話レベルの大きさだから私の耳に普通に届く。


やめてアレン、ロッテの言葉とかぶってるのよ。


「親愛なるファーズ、ズール、その名において…」


やめてサード、なんでこういう時に限って親切に教えてあげてるのよ。私への嫌がらせ?

ああ聞きたくないのにサードの訳された言葉が耳に入ってくる…!


……。へえ、ここそんな意味なんだ…。


いやいやダメダメ!集中しなきゃ。それより香油の残りはあとどれくらい?


円周の残りはあと四分の一。重さは最初よりかなり減ったけれど、残りがどれくらいあるかなんて夜で暗いし壷の中身も見えないしで確認できない。


「ロッドランス・ランス・ランス・ランディキング・ランダドーラ・ラッキリング…」


ギョッとしてロッテを見る。


なにその言葉遊びみたいな似たような文字の連続!?どうしよう、噛むかも…!


頭がパニックになりながらも詠唱を続けて、残りあと数歩というところまできた。


でもヤバい。まだ香油が底に結構ある気がする。

少し抑え気味にまいちゃったかも…。


…ああもうしょうがない!


残り一歩というところで私はやけっぱちになって壷をひっくり返して、その場に全て油をまき散らした。


「わお、大胆ね」


ロッテが驚いてるのか驚いてないのかぐらいのテンションで呟く。

緊張状態の中、普段なら気にもとまらない程度の呟きが思わず笑いの琴線に触れて笑っちゃいそうになって、それでも笑い声を立てないよう必死に口を引き結んで笑いを堪える。


ロッテは私がヤバいと察したのか次の指示を素早く出してきた。


「後は魔法陣の中心にその葉っぱを全て置いて燃やすの。まだ詠唱は途中だから他の言葉は出しちゃだめよ、堪えて」


うんうんと頷きながらロッテから渡された火種と火をつける道具を受け取って、魔法陣の中心に歩いて行く。


「燃やしながら最後の詠唱を唱えたら終わりだから。あと一息よ」


ここまでくると笑いも引っ込んできたから、落ち着いた気持ちでうんうんと頷いてから葉っぱを中心に置いて、火をつけた。


すると葉っぱから立ちのぼる煙はらせんを描くように真っすぐ上に登って行って、ガウリスの体を包み込む。


ガウリスから驚いたような声が響いて、静かな夜の大広間の中に反響した。


「バーズ・バーズ…」


ロッテは詠唱を続けて、私は繰り返す。


どんどんと広がる白い煙はガウリスの体を次第に覆っていって、ガウリスの苦しんでいるような叫び声が響き始める。

一束の葉っぱから出ているとは思えない量の白い煙でガウリスの巨大はすっぽりと覆われていて、もうガウリスの姿が見えない。


「…スーラ!」


詠唱を唱え終わっても頭上からガウリスの苦しんでる咆哮が聞こえ続けて、しかも本棚や壁や天井にぶつかっているんじゃないの?


屋敷が崩れそうなドゴンドゴンというあちこちにぶつかってる音が聞こえて、床は揺れて、細かい石や木片に本がバラバラとあちこちから落ちている。


ここは危ないと慌ててロッテの傍に駆けていって、もう話していいのとジェスチャーをする。


「いいよ」


今の謎の動きでもロッテは私の言いたいことを分かってくれたみたいで、私はすぐに口を開いた。


「ガウリスは大丈夫なの?苦しんでるわよ?」


「そりゃあ、あの姿から人間の姿に変わるんだから体中痛いでしょうね。けどエリーはちゃんと間違わずにやり切ったんだから安心して。失敗はしてないよ」


それならいいのだけれど…。


魔方陣の方を振り向くと、煙が上だけじゃなくて床まで覆っていた。

でも不思議なことに魔法陣から外には煙は一切出てなくて、中で充満している。


「…なんかガウリスの声しなくなったぞ。おーいガウリスー、大丈夫かー?」


アレンが心配そうに呼びかけるけど返事は無い。


「激痛に耐えかねて死んだんじゃねえの」


サードがそんなことを言うから、やめなさいよとサードの腕を叩く。


と、もうもうと煙る白煙の中から、手の平がヌッと出て来た。


「ギャッ」


アレンが思わず隣に居るサードにしがみついて、サードはアレンのみぞおちに肘をねじりこんで床に沈める。


するとその手の方向からむせる咳が聞こえてきて、頭が出て来た。


「ゲホッゲホッ…」


金髪の短いクセっ毛に彫りの深い顔。そこに続くのは筋肉美ともいえる整った上半身の筋肉…。


「わ、私は…ゲホ、どうなっゲホッゲホッ」


その男の人はむせながら話をしようとするけど、そうすると煙が口に入りむせ続けている。


「…ガウリス?あなたガウリスなの?」


聞くと、男の人は私を見て力強く頷いた。

良かった、本当に上手くいったんだと嬉しくなってガウリスの手を握った。


「良かった、本当に良かった、人間になれたのね」

「はいゲホッゲホッおかげさまっで、ゲホッゲホッ」


話そうとする度にガウリスはむせるから、ガウリスの手を引っ張って外に出そうとする。でもガウリスは苦しいはずなのにびくともその場から動かない。


「そこから出てきたら?」


強めに手を引っ張る。でもガウリスが激しく頭を振りながら、


「いいえ!」


と身を引いて白い煙の中に体が消える。


「だってむせてるじゃない、煙が苦しいんでしょ?出てくればいいじゃないの」


そう言いながら手だけじゃなくて腕をつかんで魔法陣の外に出そうと全身の力を使って引っ張るけど、なぜかガウリスは激しい抵抗を見せて外に出てこようとしない。


「エリー」


サードが声をかけて来たから振り向くと、サードはニヤニヤと笑っている。


「そいつ多分素っ裸だぜ。そんなにエリーが見たいっつーなら止めねえがな」


エリーは赤面した。

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