第15話 アレンの本気スイッチ(恐怖)

この城のトイレ事情は非常に合理的。

トイレの間(ま)は大体城からせり出していて、人の体から出たモノは崖の下か川に落ちる仕組みで城の中は常に清潔でいられる。


城のダンジョンもよくあるけれど、トイレ問題はかなり深刻で冒険者を悩ませている。

なぜなら随分と昔の城だとトイレが存在しない城が多々あるから。


それならその当時、トイレの無い城に住む国王や王妃、王子に王女たちはどこでトイレを済ませていたのかというと、城の中でも広場でも、その辺で用を足していたという。


今では衛生面が悪ければ病気が蔓延(まんえん)する、という考えは常識だから至る所にトイレが設置されている世の中になったけど、こんな打ち捨てられたような昔の城だとトイレはほぼ無い。


むしろトイレがちゃんとある優しいダンジョンなんて無いから冒険者は基本的にダンジョンに入るとトイレの面で悩まされると思ってもいいかもしれない。


でもどの冒険たんでもトイレの話がろくに出てこないのは、語るとトイレの話題が半分以上を占めて笑い話になってしまうし、下の話ばかりで外聞が悪いからあえて書かれないんだろうなと思う。


…長々と前置きをして何が言いたいのかというと、昔の設計の城であるのにこうやってトイレがある所は極めて珍しいし嬉しいということ。


私はトイレから出て手を洗った。


外の川の水を城の中に引き入れているのか、トイレから出てすぐのところに壁から通る筒があって、その筒から流れ出る水は丁度いい高さに設置されている甕(かめ)にチョロチョロと流れている。


そしてその甕からあふれた水は最終的に城全体を通っている水路に流れ落ちている。

昔の城でトイレがあるだけでも珍しいのに、こうやって用を済ませた後に手を洗うようにしてあるのもかなり珍しい。


この城を建てた人は潔癖症だったのかしらという考えも浮かぶけど、城の中を常に清潔に保つ面にしては理に適っているから先見の明があったのかもしれない。


ハンカチで手を拭きながら離れたところで待っているサードの元へと歩いて行った。


「ありがとう、サード」

「素直に言われると気持ち悪いな」


ムッとなるけど、それでもついて来てもらったことには変わりはない。なので、


「あなたがもっと素直になればいいのよ」


とほんの少しの皮肉で返したけど、


「何言ってんだ、俺はいつでも自分の欲には素直だぞ」


と真面目な顔で返されて呆れてこの男は…と口をつぐんだ。


と、サードは不意に視線を横に動かしてスッと私から視線を逸らして真横に首を向ける。


「サード?」


サードの奇妙な行動に名前を呼ぶと、サードは無言で私に目くばせをして、あっちを見ろとばかりにまた視線を真横に向けている。何よと思いながらそちらに目を向けてみて、ギョッと目を見張った。


パタパタと軽い足音を立てて、子供が走っている。


ドレスだ。


薄い水色で、銀の細かい刺繍が施されたドレスの端をちょいとつまんだ女の子、走るたびに明るい色の柔らかそうな茶色の髪の毛が揺れている。


そこまで見えて違和感を覚えた。


ここは暗闇。なのになぜあの女の子の服の色や刺繍、そして髪の色がこんなにくっきりと分かるの?


そしてすぐにその原因が分かった。まるでその女の子の体がぼんやりとした光で発光しているかのように明るい。


パタパタと女の子は奥へと走っていく。


サードは、自分の両手をスッと胸の高さまで上げた。何をするのと見ていると、サードは手を思いっきりパン!と叩いた。


その瞬間、水色のドレスを着た女の子が驚いた顔をして振り向いた。


白い肌にピンク色のほっぺ。子供ながらに少しきつい目つきをしているけど、それでも愛らしいと十分に言える顔だちの五歳くらいの女の子。


驚いた表情でこちらを振り向いた女の子は、視線の先にサードと私が居ることに更に驚いたようで、目を見開いた。


女の子は素早く踵(きびす)を返して先ほどよりも速くパタパタと足音を立て、スッと左に曲がって消えて行ってしまった。


消えた…。

思わずその場にへたり込んだ。


見ちゃった…お化けを、幽霊を…!


しかしサードはお化けの女の子が消えた方向へと躊躇(ちゅうちょ)なく歩いていく。


「ちょっと、待って!」


立とうと思ったら腰が抜けて立てない。


「すぐそこだ、黙って待ってろ」


サードはそういうと奥へと歩いてく。


でも松明を持ってるサードが遠くに行ったら自分の周りが真っ暗闇になっちゃう。あんなものを見た後で一人になりたくない。


去りつつあるサードのズボンを両腕でしっかりと掴んだ。


「待って、サード待って!置いていかないで!」

「おい、離せよブス!」


サードは手を振り離そうと足をブンブン振るけど私も必死にしがみつく。

それでもサードの力で腕がほどけそうになって慌てて必死に言葉を繰り出した。


「待って待って、置いていかないで!お願いだから!あなたのいう事なんでも一度だけ聞くから置いていかないで!」


するとサードの動きがピタリと止まった。


「なんでも…?なんでもって、今言ったな…?」


下から見上げると、松明の明かりに照らされるサードの顔が邪悪に笑っている。


その顔を瞬間、自分の言った言葉の重大さに気づいて後悔した。


どどどどうしよう、でももう口に出してサードの脳内に記憶されてしまった言葉は取り消せない…!


あわあわとしながらも私は誤魔化すようにエヘヘ…と愛想笑いをつつ、


「は、犯罪にならないことと、性的なものじゃなければ…ね、言うこと聞くわ…」


と恐る恐る付け足すとサードはつまらなそうな顔をした。


そんな犯罪紛いのことと、性的なものをさせようとでも考えていたのかしらこの男…。いやまさか…でもさせかねないわ…。


むしろサードはこうやって後付けした言葉を了承するような男じゃない。

あれこれと言葉を並べて後付けしたのは無効、という流れに持っていかれるかもしれない、どうしよう、置いていかれないために発した言葉で私はこの最低最悪な男に何をさせられるのかしら…。


絶望しているとサードは腕の下に潜り込むようにして私を抱え起こし、


「俺の言うこと何でも聞くって言った今の言葉、忘れるなよ」


と言うと私を引きずるように奥へと歩き出した。


え、それって後付けの言葉込みで了承したってこと?


良かった、とホッとしたのも束の間。すぐに疑問が湧く。

後付けで犯罪と性的なもの以外と言ってもさほど噛みつくわけでもなくあっさりと了解したサード。

それだったら本当に何をやらせるつもるのか全く見当がつかない。不気味だ。


「この辺で消えたんだったな」

「え、ええ…」


女の子の消えた壁の辺りで声をかけてくるサードに私は上の空で返事を返した。


今はあのお化けの女の子より、サードは自分に何をやらせるつもりなのだろうという不安で頭がいっぱいになってしまっている。

あんなこと本当に言うんじゃなかったと後悔するけどもう遅い。


そんな私のことなんて気にせずサードは壁に松明を近づけて、女の子が消えた辺りの壁を一通り撫でたり押したりしている。


「べつに隠し通路があるわけでもなさそうだな」


「でも消えたじゃない。スッて」


「あのガキ、左に曲がってから消えたんだぜ?普通に消えられるなら、そのまま真っすぐ走りながら消えても十分だろ。この辺に曲がり角でもあるかの勢いで曲がってなかったか?」


そう言われれば、左に急に曲がった後にスッと消えていたような気がする。


「けど、どっちにしろ消えたのよね…」


ぞわぞわとした恐怖が改めて押し寄せてくる。


「まあな」


否定しないサードの言葉に更に恐怖が押し寄せる。


すると、遠くから声が聞こえた。


最初は風の音とも思ったが違う。この声は…!


「…アレン!?」


聞こえてきたのは、アレンの絶叫だ。

サードはアレンの叫びを聞き付けて顔を上げてから私に視線を動かした。


「お前、走れるか?」


サードが聞いてきて、サードから手を離して立ってみた。

まだ少し膝が笑っている。頑張れば走れるかもしれないけど、きっと足がもつれて速く走れない。


サードは私の足の状態を見ると松明を渡してきた。


「松明おいて行くから、さっきみたいにギャーギャー喚(わめ)くなよ」


サードは走り出した。


「待っ…!」


手では引き止めはしないけど、思わず口が引き止めようとする。それでも慌ててギュッと唇を引き結んだ。

アレンの身に何かが起きているんだから怖いというだけでサードを引き留められない。


私も笑う膝を抱えて走り出した。足がもつれてドタッと転んだけど、松明を持ち直してまた走り出す。


遠くを走るサードの静かな足音が響き渡る。音から察するにかなり遠くを走っている。


サードは夜目が効くし走る音は静かで、それも速い。


闇に混じれる紺色の鎧、顔を隠せる紺色のストール、夜目の効く目、足音は静かで速いというサード自身の特技も相まると、やっぱり元々泥棒だったんだろうと思える。


曲がり角を曲がると、遠くにアレンが寝ている部屋の明かりがポツリと見え、そこから漏れる明かりの中にはサードのシルエットがある。とっくにたどり着いて扉を開けたようだ。


アレン、アレンは…!


サードが扉の前で立ち尽くし、一歩後ろに下がったのが見える。


―まさか


脳裏に嫌な考えがよぎったけど、慌てて首を振ってその考えを吹き飛ばした。


「サード、アレンは…!」


最後の百メートルほどを全力で走ってサードの背中にぶつかって止まった。

サードは怒るでもなく、こちらに顔を向けて親指で部屋の中を指し示す。


―まさか…


中を覗くと、


「来るなっつってんだろ!」


アレンが体ごと振りかぶって鎧の騎士を殴り飛ばす。その勢いに首が真逆に回転し、正面の顔が真後ろになってしまった騎士があらぬ方向へよたよたと歩き出す。


「俺弱いからやめろつってんだろ!」


槍を突いてくる騎士の槍を引き掴み、そのまま上に持ちあげて他の騎士の上へと叩き落とし、アレンはそのまま力任せに回転しながら槍を掴んだままの騎士を使って他の騎士をなぎ倒していく。


「怖えーんだよ!来るなって…」


アレンはなおも近寄って来る騎士を睨みつけながら叫んだ。


「言ってんだろぉお!」


そのまま槍を手放して、他の騎士へと当てる。


派手に飛んで行った騎士は、アレンへ向かう全ての騎士を派手になぎ倒してガランガランと大きい音を立てて崩れていった。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ」


アレンは目を見開いて呼吸も荒くその場に立ち尽くしている。


「うそ…、これ全部アレンが?」


部屋の中には十体以上の騎士型のモンスターが所々凹んだりバラバラになった姿で転がっていた。


アレンは私の呟く声に気づいたみたいで、泣き出しそうな顔でこちらに小走りで駆け寄ってきた。


「二人ともどこ行ってたんだよぉ、俺すげー怖かったんだぜぇ?」


アレンは泣きだして私にヒシッとしがみついてきて、ふええ…と子供みたいな泣き声を漏らす。


「いや、だってこれ…」


呆然とする私に、サードが呟いた。


「こいつ、恐怖でブチ切れた時だけ強いんだよな…」

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