26

 生きたいと望むことがこんなにも難しい。


* * *


 サウナに入らなくなったからか、あるいは魔物の領域が狭まったからか、あたしはほんの少しだけ年相応に近づいた。

 実年齢は二十代後半なのにずっと肉体年齢が二十歳程度(この世界基準で十四、五)で止まっていたあたしは、少しだけ大人っぽくなった――と自負している。


(これならハイジに「大人っぽくなったな」って言ってもらえるかな)

(できればドギマギしてほしいところだけど――さすがにそれは望みすぎか)


 いつだったか「自分は変わったか」と訊いたことがあった。

 ハイジは「大して変化はない」と答えたっけ。


(ほんと、デリカシーのない男だ)

(そこは「綺麗になったな、リン」くらいのことは――うわっ、やっぱなし! 想像したらすごく気持ち悪い!)


 いつまでも自分だけが子供のまま――という状況は避けられそうだと胸を撫で下ろす。

 しかし、街の人々の変化はあたしよりも速い。


 ヘルマンニやヴィーゴは元戦士だけあって実年齢よりは若く見える。実際は初老のはずだが、普通の中年男性って感じ。

 しかし、商店の親父さんやおかみさんたちはガンガン老けて、あーこの世界じゃ本当に五十とかで死んじゃうんだなーと思った。


 ニコやヤーコブにはたまに会うこともある。

 こちらから会いに行くようなことはないが、なにやらギルドと密約があるらしく、あたしがギルドに顔を出すと誰かから報告を受けて、赤ん坊を抱いたニコがいそいそとやってくるのだ。


 できれば一緒にいるところを人に見られたくないんだけどなぁ。


 そんなニコだけれど、今では立派なお母さんになった。

 それでも周りの女性たちと比べれば一回り小さいのは、幼少期の栄養状態が悪かったせいだろう。


 ヤーコブは見上げるほど大きくなった。

 こちらも栄養状態は悪かったはずだが、魔力の濃い場所で狩りをし続けたせいか、むしろ周りより大きい。

 あたしの目はハイジが基準なのでどうしても細っこく見えてしまうが。


* * *


 魔力溜まりにいると成長や老化が緩やかになるとハイジは言っていた。


 ふと、もしかしてあたしの寿命って平均より長いんじゃないか、ということに気づく。


 この世界の平均寿命が五十ほどということだから、誰かがうまいこと殺してくれない限り、先は長いなーと思っていたが、よく考えればハイジは四十代でもあの若々しさだったのだ。

 ならば、あたしが平均寿命で死ぬとは思えない――


(冗談じゃないぞ、おい)


 しかも、あたしは元日本人だ。

 日本人の平均寿命は精霊の国アースガルズ最高齢で、確か女性は――八十代半ばくらいだっけか。

 あたしの祖母など、九十九まで生きた。


(え、ひょっとして)

(あたし、下手すると百以上生きるんじゃないの)


 ゾッとした。


 死は待ち遠しいが、早く死にたいとまで言わない。

 しかし、周りの人たちが皆あたりまえに歳をとっていく中、自分だけが取り残されて、彼らの倍以上の時を生きる――


(あ、え、うそ、うそうそ、流石にそれは)

(流石にキツい――)


 ヘルマンニやヴィーゴあたりも、あと三十年は生きないだろう。

 戦うことを止めたペトラなら、後二十年も生きるかどうか。

 ニコたちは? 冒険者として活躍するヤーコブは下手を打たない限り人より長生きするだろうが、ニコは兼業冒険者であり、本業は普通のお母さんだ。下手すればあと二、三十年くらいで亡くなってしまうかも知れない。


 そうなった時、あたしは冷静でいられるのだろうか。


 ハイジをこの手にかけたあの大戦からもう一年半――これだけでも大概きつかったのに、これがあと百年近く続くだと――?


* * *


 この世界において「戦う」とは戦場でドンパチすることだけではない。

 儀礼戦を経て構築される祭祀場は、特定の土地を指すわけではなく、その戦争そのものを聖域と変化させる。

 だから、剣ではなく斥候としての能力で戦うヘルマンニや、ギルドに居ながらも作戦立案に奔走するヴィーゴもまた、戦場という聖域で戦っているとみなされる。

 ヴァルハラに招かれるには十分な条件を満たす。


 あとは王族や貴族に使える騎士もそうだ。

 この場合は教会で宣誓の儀式を行うことで、人生そのものを主君と精霊に捧げる。故に、たとえベッドの上で安らかに死んだとしてもヴァルハラに招かれる。


 あたしはどうだろう。

 二十年もすれば、独りぼっちになって、ただ殺されるのを待つだけの存在に成り果てるのではないか。


 そんなことでヴァルハラに召されるのだろうか。

 結果はともかく心に守るべきものがないあたしは、まるでこの世界の異物ではないか。


* * *


ェーーーーーーーッツ!!」


 だから、毒の矢襖はありがたい。

 うまく即死させてくれれば最高だし、能力を掻い潜ってあたしを傷つけることができれば、あたしの首を打ち取ることができるはずだ。


 馬鹿みたいに蓄積された経験値を的に奪われることになるが、あたしはあたしが死んだ後のことなど知ったことではないし、ぶっちゃけ剣技だけで言えばあたしの力は大したことはない。


 筋力がないからハイジから受け継いだ経験値も宝の持ち腐れだし、「短縮と伸長」や「キャンセル」が引き継がれることはない。


 ならば、あたし程度の経験値が奪われたところで、敵が世界を滅ぼすことはないだろう。


ッ!」


 まただ。

 避け損なった毒矢があたしの肩を掠める――ただの錯覚だ。ハイジの能力『キャンセル』が発動し、今あたしを傷つけた矢を叩き落とす。

 痛みは味わったが、攻撃はキャンセルされ、なかったことにされた。


「ハイジめっ!」

「なんてものを残してくれてんのよッツ!」


 思わず怒鳴る。


 これではいつまで経っても死ねない。


 ヴァルハラに招かれない。


 ハイジに会えない!


 この能力は、あたしの能力と相性が良すぎる!


* * *


 森へ帰る。


 ハイジを思って大声で泣く。


 街へ出る。


 あたしよりも足早に生きるニコたちと会う。


 戦場に出る。


 あたしを斃しえない胡乱な攻撃を避けながら敵を無力化する。


 そしてまた森へ帰る。


 ……。


 …………。


 …………………………………………。


 もう、頭がおかしくなりそうだ。

 あたしはもう、ただ息をするだけで、こんなにも苦しい。


* * *


 そんな日々がさらに半年ほど続いた。


 小競り合い程度の戦には事欠かず――あたしはまるでロボットのようにルーチンを繰り返す。


 時間を操作する能力のあるあたしだが――この世界の人たちと生きる速度が違うことに気づいてから、これから続くかもしれない百年を想像し、ポッキリ折れてしまいそうになっている。


 正直言って、もううんざりだ。


 いつしかあたしの目には深い隈ができ、口数も減っていった。


 だんだんと憔悴してくあたしをヘルマンニやニコは心配してくれたけれど、あたしはこの生活を変えるつもりはない。


 発狂するギリギリではあるが、それでも目的だけは見失わない。


 ハイジが待っている。


 いつか皆んな、あたしを置いて逝くだろう。


 あとどれくらいの時間があるのかわからないが、死の瞬間までは、あたしは必死にあらがい続ける。


* * *


 そんなある日。

 あたしは集中力すら不要となった戦場で、小さく不思議な気配を感じた。


 イナゴの大群みたいに飛び交う矢襖の中、あたしは歩く。


 いつしかどの戦闘も、まるであたしを駆除するための討伐隊の様相を模してきているが、気のせいだろうか。


 だが、他者の思惑などあたしには関係ない。


 あたしはなぜか、弱々しく震えるその気配が気になり歩を進めた。


(なんだ? あれ)


 そこには魔力が吹き溜まるように集まっていて、何かが生まれようとしている。


(あたしはこの感覚を知っている)

(これはまるで――)


 気づいた。

 あたしは即座に走り出す――この世界に産まれたての弱きものに向かって!


「なんでこんな時、こんなところで!」


 それは小さな赤ん坊だ。

 魔力を通して見ればわかる強い輝き。吹き荒れる魔力。その中心には。


(『はぐれ』の赤ん坊!!)


 やばい。

 こんな、世界で最も危険な場所に、無力な子供だと――!?


 加速は使えない。伸長が始まれば、あたしに子供を守る術はない。――却下だ。


 いっそここから離れるか。あたしがいなくなれば子供が殺されることはないのではないか。いやしかしその保証はなく、どのみち生き残る確率は低い。――却下。


 バラバラと散らばって飛んでくる矢襖。

 あたしが伸長で固まる瞬間を狙うために、そこらじゅうに散らばらせて射続けられている。


 ドクン、とあたしの胸に強烈な痛みが走る。

 これは矢の攻撃ではなく、心の痛みだった。

 ハイジを失った時にも似た、魂の悲鳴。


 ――『キャンセル』で検知するのは攻撃そのものではない――

 ――体の痛みだけではなく、心の痛みも――


 能力も使っていないのに、時間が引き延ばされる。

 思考加速が脳に負担をかけ、視界が狭くなる。


 そう言えば、あたしがピエタリ一味に襲われた時にも、ハイジに『キャンセル』が発動したと聞いた。

 つまり、ハイジはあたしが殺されることに「痛い」と感じてくれていたのだ。


(ハイジ、ハイジ! お願い!)

(あたしに力を貸して!)


 スローモーションの視界。

 だが、残念ながら実際に時間が引き延ばされているわけではない。

 矢がゆっくりと迫ってくるが、その分あたしが早くなったりはしない。

 あたしの能力は役に立たない。

 なら――ハイジの能力『キャンセル』なら!


 ――能力は必ず間に合うように発動する――

 ――痛くはあるが、間に合わないよりはマシだ――


 つまりまだ間に合う!


 ここまでの思考、ほんの二、三秒。

 高速思考で目眩がする。毛細血管が破れたのか、狭くなった視界が赤く染まる。


 赤ん坊の姿が目視できた。

 おくるみに隠れて半分以上見えないが――黒髪! 瞳の色は瞼が閉じられていてわからないが『はぐれ』で間違いはない。


 赤子に覆いかぶさろうと飛びつく。


 同時に『キャンセル』が発動――左手の甲に焼けた鉄を押しつけられたような強烈な痛みが走る。


 しかしそれを避けてしまえば子供に当たる。避けられない。


『キャンセル』をキャンセルする。

 直後、現実が追いつく。

 手の甲に矢が突き刺さる。

 子供は? ――よかった、当たらずに済んだ。

 少なくとも胸の痛みのほうは『キャンセル』できた。

 手の甲を見る。

 矢筈に黄色いマーク。

 毒矢。

 麻痺毒。


 即座にレイピアで左手首を切り落とした。


「ヴゥーーーーッツ!!!???」


 人生最大の痛みに悲鳴を上げる。

 涙が迸る。唇を噛み切った。

 一気に血圧が下がりクラクラしながらも、右手と、手首から先がない左手で赤ん坊を抱き上げる。


 ――左手はこう、右手は上から……


 ニコから教わった通りに赤ん坊を胸に抱く。


 手首から凄まじい勢いで血液が噴き出している。


 もう自分の命は長くないだろう。


 それはいい。むしろずっと待ち望んでいた瞬間だ。


 だけど――赤ん坊は?


 ハイジは褒めてくれるだろうか――否。

 あたしは笑って逝けるだろうか――否。


(死なせるわけにはいかない!)

(あたしが死ぬのは今じゃない!)


 あたしはありったけの魔力を注ぎ込んで、『黒山羊』の能力を発動させた。


 ――――――加速――――――。

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