11

「ご苦労だった。一ヶ月の休息を与える」

「ありがとうございます」


 ちょっと見ない間に随分とくたびれた様子のヴィーゴが、ハイジとあたしに休みをくれた。

 休みといえば聞こえはいいが、このまま寂しの森を放置すると魔物の領域が広がってしまう。魔物を狩ってエイヒムの安全を確保しろということだ。


 うまいこと言いくるめられたようで気に入らないが、それでもしばらくは森で生活できる。

 魔物が何だ。願ったり叶ったりである。


「あと、数学のテキストの初稿を見せてもらった」

「ああ、はい。どうです?」

「少し物足りなくはあるが、生徒のレベルに合わせればまぁ及第点と言える」

「それはよござんした」

「だから、しばらくは数学は忘れろ。休みの間は全ての仕事を免除する」

「それはありがたいですね」


 とりあえずぺこりと頭を下げておく。


「それと、次の戦ではハイジが陣頭指揮を取ることになった」

「えっ、指揮は中央がやるんじゃないんですか? なんでハイジが」

「その中央からの依頼だ。おそらく一気に決着をつけたいのだろう」

「だからって……」

「なぁリン」


 ヴィーゴは呆れた様子で、小馬鹿にしたように言った。


「ああ見えて、ハイジはヴォリネッリ最強の男として有名だ」

「よく知ってます」

「ならわかるだろう。中央はハイジに英雄役を任せたがってる。断るのは骨だ。……何なら代わりにお前がやるか?」

「いやですよ! 無理に決まってるじゃないですか」

「冗談に決まっているだろう。お前ごときに務まるものか。考えるまでもないだろうが」


(この野郎……!)


 クソおもしろくもない冗談だ。

 どこに笑える要素があるというのか。


「そうしたわけで、おそらく次の戦争が最後の決戦となる。リン、お前もハイジの下につけ」

「わかりました」


 これまで、あたしとハイジはいつも異なる戦場に配属されていた。

 効率の問題もあるが、エイヒムの力を分散させておく意図もある。

 それでも、近い戦場に配置してくれたりと、ヴィーゴらしからぬ気遣いもあったが、次の戦場ではハイジと同じところに配置されるらしい。


 どうやら次の戦は相当に大きいらしい。

 しかし、あたしは一ヶ月の森暮らしのことばかり考えていた。


* * *


 ギルドの一階に戻ると、ミッラが走り寄ってきた。


「リンちゃん!」

「心配かけたね、ミッラ」

「よくご無事で……」


 昨晩も顔は見せたが、言葉を交わすのは久しぶりだった。

 見れば、ミッラの目は赤く腫れている。

 昨日の葬式(と言う名のどんちゃん騒ぎ)でしこたま泣いたのだろう。


 ミッラは人の死に敏感だ。

 ほとんど面識もないような戦士であっても、棺を前にするとわんわんと泣く。

 それはとても純粋で、清らかなことだと思う。


 あたしとは大違いだ。

 なにせ――あたしは死んだ人を悼む側ではなく、殺す側なのだ。

 あたしが殺した戦士たちにも、ミッラのように泣いてくれる人がいてくれればいいと――そんな欺瞞じみたことを思う。


「そういえば、戦局がどうなってんのか全然知らないんだけど、ミッラは知ってる?」

「あ、はい」


 ミッラはパッと友人の顔からギルド職員の顔に戻り、背筋を正した。


「戦局は上々です。エイヒムの傭兵ギルドはヴォリネッリ中央政府軍と合流し、十一の戦場に参入、そのうち七つの戦を勝ち取り、三つの戦では勝負がつかずにそのまま休戦――実質戦勝したと言っていいでしょう」

「残りの一つは?」

「まだ継続中ですね。ただ、お互い消耗が激しいため、今は小休止と言ったところでしょうか」

「なるほど」


(それで一ヶ月もの休暇がもらえたのか)

(あたしとハイジに休みを与えるのなら、このタイミングしかないだろうけど)


 一応心の中でヴィーゴに礼を言っておく。


 とりあえず、順調に勝ち進んでいるようでよかった。

 ……相変わらず何を目的とした戦いなのか、よくわかってないけれど。


 まぁいい、一兵卒としてはただ戦いに勝つことだけを考えていればいい。

 英雄役でもなし、気楽なものだ……実際は、気楽とはかけ離れているけれど。


「リンさんとハイジさんのお二人は、しばらくお休みだとお聞きしています」

「そうね」

「その後はまた戦場ですね……どうか、英気を養って、次の戦のために体を休めてください。……どうかご無事で」

「ありがとう、ミッラ」

「お礼を言うのはこちらです。……エイヒムのために、ありがとうございます」


 そう言って、ミッラは深々と頭を下げた。

 あたしはどこか居た堪れなくなって、逃げるようにギルドを後にした。


* * *


 ハイジを探して、久しぶりに娼館に顔を出す。

 娼婦のお姉さん方もいい加減あたしの顔を見慣れていて、もはや顔パスである。

 ヒラヒラと手を振ってくれるので、こちらも手を振りかえす。

 相変わらず色っぺーお姉さんたちである。


 裏庭に回るとハイジはおらず、代わりになぜか戦闘服みたいな格好のユヅキがいた。


「ユヅキ」

「リンちゃん! おかえりなさい。よくご無事で」

「ただいま、ありがと。――で、何なの? その格好」


 首を傾げて「戦士のコスプレ?」などと間抜けなことを聞いた。

 ユヅキは苦笑して「違うよ」と言った。


娼館うちからも、戦地に娼婦を送ってるのよ」

「……えええ、マジで?」

「知らなかったの?」

「全然」


 聞けば、中央政府からの依頼で娼婦や楽師が同行していたらしい。


「じゃあ……ユヅキたちも戦ってるんだね」

「あたしが兵隊さんの相手をしてるわけじゃないけどね。それでも大事な役目だと思って、誠心誠意努めているつもりだよ」

「危なくない?」

「そりゃあ危ないよ。というか、実際うちの子も一人、死んだもの」

「えっ!……そうなんだ……」

「娼婦や楽師は殺してはならないってルールのはずなんだけどね……」


 ユヅキは寂しそうに笑う。


「いい子だったんだけどね……でも、きっと後悔はしてないよ」

「そう、だといいな……」

「リンちゃんは、ずっと戦場で戦ってるんだよね」

「そうだね」

「……怖くないの?」

「怖いよ」


 あたしは即答した。


「でも、戦えなくなる方がもっと怖い」

「そう……うん、そうだよね。わかるよ。あたしたちだって、あたしたちの戦場で戦ってる。死ぬのは怖いけど、戦えなくなるのは……もっと怖い」


 ユヅキはそう言って顔を引き締める。

 そしてあたしをゆっくりと抱きしめた。


「リンちゃん、どうかご無事で。あたし、リンちゃんと一緒に学院の先生やるの、ずっと楽しみにしてるんだ」

「簡単には死なないよ。こう見えてもあたしって強いんだよ」

「『麗しき黒髪の戦乙女』だもんね」

「そこは『黒山羊』と呼んでほしいかな」


 そう言って、あたしもユヅキを抱きしめ返した。


* * *


「こんちゃ」

「リン!」


 ペトラの店に顔を出すと、今日は店当番だったらしく、ペトラが飛び出してきた。

 どーんとぶつかって、あたしをぎゅっと抱きしめた。

 巨大なおっぱいに溺れて窒息しそう。


「よく帰った! どう? 怪我は? アンタ少し痩せたかい?!」

「ちょ、ちょっとペトラ苦しい」

「うるさいよ! どんだけ心配したと思ってんだい!」

「そんな、あたしが戦に行くのなんて、いつものことじゃない」

「何言ってんだい、こんな大きな戦争は初めてだろう? それにサミーやヤンも死んだって聞いて……アンタに限って万一はないだろうけど、アタシは心配で……」

「わかった、わかったから」


 ジタバタと暴れて、おっぱいから離脱する。

 窒息は免れたが、がっしりと肩を抱かれている。

 逃げられない。


「死んだ兵士たちのこと、知ってたんだ?」

「うちの客だよ。サミーは酒に弱くてすぐぶっ倒れてた。ヤンは酒癖が悪くて何度かぶん殴ってやったことがある。……馬鹿な奴らだったけど、いいやつらだった」

「そうなんだ。あたしも見たことあるかな?」

「ヤンは見ればわかるはずだよ。サミーはどうかね、最近になってから来るようになった客だから知らないかもね」


 ペトラは目に涙を溜めて、遠い目をしている。

 涙もろい女傑である。


「ところでリン。ハイジの様子はどうだい?」

「ハイジの様子?」

「……なんだかちょっとおかしいと感じた。リンなら心当たりはあるんじゃないかい?」

「ああ……うん、なくもない」


 心当たりがあるというあたしの返事に、ペトラは目に見えて狼狽した。


「なんてことだい……リン、ハイジから目を離さないでおくれよ。もし可能なら、アンタが……」


 と、ペトラが何かを言いかけたところで、後ろから「あーっ!」と声が聞こえた。


「リンちゃん!」

「ニコ!」


 ニコは駆け寄ろうとして、慌てて速度を緩める――ニコは妊婦なのだ。走ったりして転んだら大変だ。

 それでも、我慢できない様子で足早に近づいて、あたしに抱きついた。


「ニコ、会いたかった」

「リンちゃん、無事でよかったよぅ……!」


 ニコがあまりに強く抱きついてくるので、お腹の子に障るのではないかと不安になった。


「ニコ、お腹大きくなった?」

「うん、もう子供が動いてるのがわかるようになった」

「へぇー、お腹、大事にしなよ」


 あたしが感慨深くニコのお腹を見ていると「リン」とまた声がかかった。

 見れば、ヤーコブも野菜の入った箱を抱えてそこに立っている。


「無事だったんだな」

「当たり前でしょ。ニコの子供を見るまで死ねるもんですか」


 あたしの言葉に、ヤーコブとニコは揃って苦笑した。


「ヤーコブもお父さんかぁ。しっかりやんなよ」

「わかってるさ。……本当は俺も戦争に行きたかったんだけどな」

「冗談。身重な奥さん置いて戦場に行くなんて、あたしが許さないよ」

「それ、ニコにもペトラおばさんにも言われた」

「当たり前でしょうが」


 まぁ、ヤーコブくらいの腕があれば、おそらく生きて帰ってこれるだろうけれど、それでも戦争に絶対はない。

 新婚かつ身重なニコを未亡人にするような真似をさせられるわけがない。


「ところでリンちゃん、お願いがあるんだけど」

「何?」

「女の子が生まれたら、名前を「リン」にしていい?」

「はぁ!? え、いやだよ、絶対だめ!」

「なんでよ!」

「縁起が悪いから!」

「またそういうことを言う! リンちゃんは縁起悪くなんてない! それにヤーコブも賛成してるんだ。だから、お願い、リンちゃん」

「いやだよ! 責任が重すぎる! 第一ややこしいよ!」

「そこは、通称があるから問題ないかな」

「そういう問題じゃないんだけどなぁ……」

「それに、女の子が生まれてくるって決まったわけじゃないし」

「男になるって決まったわけでもないよね」

「男だったら、リンちゃんが名前を考えてくれる?」

「え、い、いやぁ〜、それはどうかなぁ……」


 そこでふと気づく。

 これはもしかして何かのフラグなのではないか。


「ねぇニコ、もしかして何かのジンクスで言ってる?」

「うん、戦争に行く人には、一つ約束をしてもらえって。そうしたら、約束が果たされるまでは死なないんだって」


 ただの迷信だけどね、とニコは笑う。


「う、うーん、ちょっと考えさせて」

「リンちゃんが約束してくれたら、あたしは安心なんだけどなぁ。リンちゃんのことが心配すぎてお腹の子に悪いかもなぁ……」

「も、もう! わかったよ、じゃあ、リンは却下! その代わり、ニコとヤーコブの気が変わらなかったら、あたしが名前を考える、もし気に入ったらそれを子供につけていい。それでいい?」

「ありがとう、リンちゃん!」


 ニコはパッと明るい顔になって、あたしに抱きついた。

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