11

 包丁が出来上がった。


「これだ」


 渡された包丁は、形は見慣れた元の世界アースガルズ風の小さめの牛刀だが、仕上げはこの世界ミズガルズ風の包丁だった。

 全体の印象は青黒。ハンマーの跡が全面にびっしりついていて、刃の部分だけ鉄色に輝いている。

 キメラといえばキメラ。そしてそこはかとなく武器感が漂っている。

 切れ味やばそう。


「うわ、手に吸い付くみたい」


 握ると包丁が自分の手の延長であるかのように感じる。

 素晴らしい……というか、凄まじい出来だ。


「お前さんにはこれだ」


 ハイジも注文していた剣を受け取る。

 ヒュヒュン、と軽く振る。


「なるほど、確かに前よりもいい」


 しっくり来たらしく、ハイジは剣を鞘に収める。


「お前さんの腕なら研ぎはいらんだろうが、必要なら持ってこい」

「水研ぎか?」

「油研ぎのほうが向く」


 何やら手入れの話になっているが、ハイジに限っては剣が欠けたり折れたりする心配はないだろう。

 あたしの細剣レイピアもそうだが、魔力を帯びた状態で使えばダメージは蓄積されない。欠けても治るし、折れることもない。


「あの、あたしの包丁の手入れは?」

「水研ぎが向く。だが濡らした状態で放置するな。錆びる」

「あ、これ錆びるのか」

「錆びない包丁があるか?」

「えっ、あー、うーん……?」


 精霊の国アースガルズの包丁は錆なかったよな。と思ったが、こちらにスレンレスなどあるわけがない。


「使った後は乾かしておけばいいのね」

「問題があれば持ってこい」

「わかった」


 武器ならともかく、切れ味を維持できるような研ぎの技術はあたしにはない。

 お礼を言って金貨を渡し、釣り銭を断って店を後にした。


* * *


「じゃ、いつものスープでも作りますかね」


 森に戻り、早速包丁のデビューである。

 特別な料理を作るわけではない。毎日同じスープの繰り返しだ。

 といっても、飽きることはない。いわば味噌汁のようなものだ。

 分量もだいたいいつも同じ――だというのに、仕上がりの美味しさは毎日違うのだから、料理というのは難しい。

 いつも同じ味に仕上げてくるハイジは料理人にでもなるといいと思う。

 凶悪なルックスに客が耐えられれば繁盛することであろう。


(さて)


 鍋を弱火にかける。

 塩漬け肉の脂身を細かく刻んで炒め、油が滲み出てきたら身の部分も加えて軽く炒める。

 そこにエシャロットとニンニクを加え、香りが出れば適当な野菜を角切りにしてどんどん放り込んでいく。

 まんまるのナスみたいなやつ、根元の膨らんだ白いセロリみたいなやつ、ゴボウみたいな人参、不恰好な人参みたいな細い大根、ズッキーニみたいなピーマン形の何か、その他諸々。

 お店だと皮も剥いて作るが、面倒なので皮付きである。ちょっとだけ舌触りがあるが、特に気にはならない。


(おお、なんて効率的か)

(サクサクと作業ができるじゃないか)


 包丁の切れ味もさることながら、形状が素晴らしい。角切りの手間が半分以下になった気がする。

 やはり包丁にアゴは必須である。一度、十字架みたいな形の巨大なナイフで野菜を微塵切りにしてみれば、包丁の形状のありがたさが身に染みてわかるはずだ。


 全部放り込んで油を全体に回したら、塩を加えて蓋をして蒸し煮にする。

 このタイミングで一切水を加えないところが重要だ。

 たまに混ぜながら、野菜が汗をかいて味がなじむのを待ち、ようやく水を加える。

 初めから水を入れるとただの水煮になってしまうが、こうして野菜だけ先に炒めておけば野菜は具材として味が濃くなるし、スープにも美味しい味が移る。

 同じ材料なのに手順が違うだけでこうまで違うのかと、料理の奥深さに驚かされる。


 余裕があれば魔物の骨を焼いてから煮出したスープを使いたいところだが、毎日のスープにそんな手間はかけられない。いつもは水、そして旨味と塩味のために塩漬け肉の切れ端を突っ込んでおく。


 あまり煮込むと野菜が出し殻みたいになってしまうので、あとはひと沸きさせて、ハーブを扱いて加えれば完成だ。


(素晴らしい!)


 味はいつも通りのスープだが、作業時間が半分に短縮された。

 なにより野菜を切っていて楽しい。


(いい買い物をした)

(これなら、肉を捌くための包丁も作ってもらうほうがいいわね)


 この世界ミズガルズでは大量生産品が存在しない。

 包丁で言えば、数打ち品なら多少は安くなるが、ちょっといいものになると基本はオーダーメイドとなる。

 つまりちょっとお高いのである。

 この包丁に支払った金貨だって、日本円にすれば十万円くらいにはなるはずだ。


 とはいえ、お金なら十分にあるし、普段お金を使う当てがあるわけでもない。そのくらいの贅沢は許されるだろう。

 一生物だし。


 スープを装ってハイジに出すと、一口食べてからスプーンを手放すことなくパクパクと食べ切ってしまった。

 どうやら美味しかったらしい。

 あたしも酸味のあるパンと一緒に、いつも通りのスープを楽しんだ。


* * *


 食事が終わり、あたしは訓練や掃除を、ハイジは狩りに出かけける。

 自然を相手にした生活なのだから日々変化はあるが、気候が安定しているので、ここ最近は同じルーティーンを繰り返すようになった。


 平和で、穏やかな時間。

 戦争さえなければ、森での生活はこんなにも静かだ。


 森での生活はすることが多いので、ハイジと一緒に行動することもあまり多くはない。それはつまりあたしがここにいることをハイジが事前に受け入れてくれているということでもある。


 それでも、どこかで戦がはじまればこの時間も終わってしまう。

 傭兵という生き方を選んだのだから文句はないが、束の間の平和を思いっきり満喫しておきたい。


* * *


 夜になると、ハイジが狩りから戻り、食事となる。

 いつも通りの具沢山なスープとパン、そして薄く切った肉を焼いてマスタードを乗せたものだ。


 そしてジャム。

 なぜかジャム。


 それが栄養バランスのためだとはわかっているが、肉の横のジャムは未だに「変なの……」と感じていたりする。

 慣れると美味しいし、一人で食べる時にもジャムは添えるけれど。

 でもまぁ、自分でジャム作りをするようになって、やっぱりこれは肉に添えるよりデザートに使うほうがいいよなぁと思ったりする。


 食後には武器の手入れだ。

 普段狩りには弓を使う。ハイジの腕ならば剣を戦闘に使うことはまずない。確実に矢で仕留めるからだ。

 だから、戦闘用の剣――件の大剣グレートソードはギルドにある武器保管庫に預けっぱなしである。


 それでも今日は新しい剣を試すために、弓を持たずに借りに出たらしい。

 いつも通りの大量の獲物が食糧庫に山積みになっている。


 血抜きも完璧――そもそも肉の味のほとんどは殺した直後の処理で決まる。射殺いころしてからすぐさま血抜きしてやれば、肉に生臭みが生まれることはない。

 しかし街で食べる肉――この世界ミズガルズでも畜産は行われている――はハイジの処理した肉と比べると数段落ちる。というか血生臭くて肉に締まりがない。

 トナカイ肉などうまく処理すれば牛肉にも負けない美味しさだというのに、血抜きをすると重量が減ると言っていい加減な処理をするから美味しく無くなるのである。


 その点、ハイジの処理は完璧である。

 この辺りでは肉はしっかり火を通して食べるのが基本だけれど、臭みがなくて風味がよく、身質が良いからレアで焼いて食べたくなるほどだ(ハイジに半生で食べることを止められた)。


 一応、血液をベースにした食べ物もあるにはある。ブラッディソーセージみたいな血と刻んだ内臓と麦と干し葡萄の入ったソーセージや、血とスパイスを一緒にパンに染み込ませて蒸して作るブラッディプディングなどがそれだ。


 でも、正直あたしの口には合わなかった――というか、あくまで伝統食であって、お年寄りは好んで食べるが、一般にはあまり好まれていない。

「最近の若いもんは血を食わない」とペトラの店の酔っ払ったおじいさんが言っていたが、食糧難でもなければ好んで食べようと思わない。

 年齢的にはお年寄りに片足を突っ込んでいるハイジもあまり好きではないようで、血は内蔵と一緒に処分し、獲物寄せに使われるだけで料理にしたりはしない。

 内臓は心臓やレバー、腸の一部などを除いて処分する。殺したのだから血の一滴まで余すところなく全て使う……といった価値観はこの世界には存在しないようだ。


 まぁそんなわけで、この世界の肉の処理は、目方が減る血抜きがいい加減だということである。


* * *


「あれ、弓を変えた?」


 ハイジの手入れを見ていて気づいたが、弓が前よりも一回り小さい。

 弓の大きさと矢の飛距離は比例していて、小さな弓で遠くに矢を飛ばすことはできない――つまり弓が小さくなるということは、単純にパワーダウンなのである。


「夏は植物の勢いが強い。大きな矢は取り回しが悪い」

「ふぅん、夏用の弓ってこと?」

「そうだ」

「ちょっと引いて見ていい?」


 あたしがいうとハイジが無言で弓を渡してくる。


 あたしの使っている弓と比べるとまだまだ大きいが、冬の弓と比べるとだいぶ小さい。

 力を込めて引いてみると、あたしの力でもギリギリ引くことができた。

 冬の弓は硬くて、あたしでは全く歯が立たなかったが、これは弓が弱いのか、あたしの力が強くなったのか。


 そっと弦を戻す。空打ちは弓を炒めるので良くないとされている。

 ハイジに手渡しながら訊いてみた。


「これじゃハイジのパワーだと頼りないんじゃない?」

「そうでもない。それにお前も狩りをするのだから成果は十分出ている。これ以上は必要ない」

「ふぅん」


 ハイジはくるりと背中を向けて、弓の具合を調整している。


「ていっ」


 なんとなくハイジの背中に手刀で攻撃してみたら、パシッと受け止められた。

 後ろに目がついてるみたいに。


 何か言われるかなと思ったが、ハイジは気にすることもなくまた弓の手入れを続行しはじめる。


(大丈夫)


 意味はわからないが、なぜかそんなことを思った。

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