第2話 やるせない夜に。

「君を愛することはできない」


 ドアの前に立ったままこちらを見つめるサイラス・フォン・スタンフォード侯爵がそう言い放った時。

 シルフィーナは一瞬、なんのことかわからなかった。


 もちろん。

 貴族同士の婚姻に愛などというものは存在しないのは充分承知をしていたし、それをわざわざ最初に宣言するなんて? と、そう不思議には思ったのだ。


 もちろんそうは言ってもわざわざ愛さないだなんて宣言するなんて、とは感じたけれどそこまでだった。


 だけれど。


 次に続いた言葉を聞いた時。


 シルフィーナの幸せだった気持ちは一直線にゼロ、いや、マイナスまで落ちた。落ち切った。


「三年でいい。今から話す条件を守ってくれさえすれば、あとは君の好きにすればいい」

 と。

 こんなことを言われるとは思ってもいなくて。


(え? どういうことですか? もしかしてわたくしには世継ぎを成す義務も課されない、と、そういうことですか!?)


 と、頭の中が真っ白になったまま、その後の言葉を待った。


 ♢


 侯爵は以下の条件を述べたのち、シルフィーナには指先ひとつ触れることなく部屋を後にした。


 朝食は可能な限り一緒に摂ること。

 社交には同伴すること。

 表向きにはこの結婚が契約結婚であるということを秘密にすること。 

 

 三年後には君を自由にするから。


 とそれだけ。


 身体の関係は求めないし、愛することもできないけれど、と、そう付け加えられ。




「要するにただのお飾り妻ですか!?」


 と、シルフィーナは感情の行き場も無くそんな言葉を吐き出した。

 貴族の嗜み、とか、そういうものを考えている余裕もなく。


 詳しい事情は話して貰えなかった。

 そこは暗に聞くなと言っているような壁も感じて。


 シルフィーナ自身がどう過ごせばいいかとかそういったことも一切条件に無く、それこそ浪費をするなとか浮気をするなとかそういった事も言われなかった。


 でも。


 お飾りならお飾りでしっかりと努めようとは思うし浪費や不貞を働く気などはもちろんない。そんなもの、流石にプライドが許さない。


 それでも。


 まさかこうして侯爵家に嫁いできて、それも自分が選ばれたのはその魔力値の高さゆえだと確信してきたにも関わらず。

 まさか世継ぎを残さなくてもいい、だとか。

 まさか三年経ったら自由にしていい、だとか。

 そんなことを言われるとは思ってもいなかった。


 ここにくるまで本当に色々と覚悟してきたのに。

 と。

 その覚悟はどうしたらいいの。

 と。


 まさかの新婚のその初夜に、こんなにもやるせない気持ちになるなんて。

 と、そう。


 右手にあったふわふわの大きな枕を手に取ったシルフィーナ。

 もう誰もいなくなった寝室の扉に向けて、その枕を思いっきり投げつけて。


 そのまま。


 やっぱりふかふかのお布団に、ぼすんと倒れ込んで。


 寝てしまおう、そう思ったけれど。


 頭の中は混乱してすっかりと冷め切っていたけれど、色々と覚悟してほてっていた体はなかなか元に戻らなかった。

 それに。

 今度は逆に気持ちが荒ぶってしまってなかなか寝付けない。


 もう! もう! もう!

 何度もそう吐き出し、いつの間にか涙が頬を濡らしていた。





 少し頭が冷えて顔を上げたシルフィーナ。


 シャンデリアの灯りもとうに消え、薄暗くなった室内。

 そこに。

 壁の端に一筋、うっすらと明かりがさしていた。

 ビロードのカーテンの隙間から漏れるその月明かりが気になって。


 シルフィーナはゆっくりとベッドを降りて、その光を辿った。

 厚く覆われたビロードをめくると、そこにはバルコニーに通じる大きな窓があった。

 そっとその窓を開けて、夜着のまま外に出てみる。


 ひやっとまだ寒い空気の中、深紫の夜空にはたくさんの星と、そして丸い大きな月がぽっかりと浮かんで。

 まるで、月明かりが降るようにあたりを照らしているのがわかる。


(身体中が、洗われるようだわ)


 寒いけれど気持ちのいい冷たい空気に、サラサラと降る月の光が自分の心の奥底まで染み込んでくるのを感じる。


 体内の真那マナがいっぱいになっていく感覚。

 真那マナは魔力の源。

 シルフィーナにとって、真那マナは活力の源でもあった。



「女に魔法は必要ない。女が魔法など覚えなくともいい」

 と、そう言い放つ父の言葉が思い出される。


 あれはいつだったのか。


 幼い頃からそう言われていたような気もするし。


 そんなことを思い浮かべ。


 貴族の子女は七歳になると魔法の基礎を学ぶために貴族院に入学するのがならいとなっている。

 けれど。


 シルフィーナにはそういった機会は巡ってはこなかった。


 貧乏なマーデン男爵家には娘二人を貴族院で学ばせるだけの資産は無い。そう言い放った父。


 だから。


 そういった事は全て、諦めていたのだ。


 魔力があっても、特性値が高くとも、肝心なその魔力の使い方を知らなければ宝の持ち腐れだ。

 誰かにそう言われたこともあった。


 でも。


 本当に、今までのシルフィーナはそういったもの全てを諦めていたから。



 それでも。


(月の光は、大気中に含まれる真那マナを増やしてくれるから)


 シルフィーナはそう呟いて、ひとときの月光浴を楽しんだ。

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