第三章 とりかえ子(3)


        3


「とりかえ子?」


 翌朝、セルマから話を聞いて、ライアンは絶句した。注文された武器を届けに来たアルトリクスも、眉をひそめる。

 セルマは美しい顔に苦悩をにじませ、うなだれた。


 先住民ネルダエの言う『とりかえ子』とは、妖精シーが人間の赤ん坊を連れ去り、代わりに妖精の子を人間の親もとへ置いていく行為だ。連れ去られた赤ん坊は、妖精の国で奴隷にされると言われている。

 女魔術師ドリュイダスの息子のトレナルは、首をかしげてアルトリクスを見遣った。


「ふつうの『とりかえ子』は、無断で連れ去ります。これは契約の申しいれですね。族長リー、ラティエ鋼の鎖帷子ホーバークとはどのようなものですか?」

「おれが作ったものではない。親父の代とも違うだろう。水竜シルヴィアは長く生きているから、〈山の民〉のために契約用の鋼を作ったことがあるのかもしれないな」


 二人の会話を聞きながら、ライアンは、青空にそびえる本丸キープの窓を仰ぎみた。鎧戸は開いているが、人の姿は見えない。屋根にとまったワタリガラスが一羽、羽繕いをしているだけだ。

 ライアンはセルマに向き直り、戸惑いぎみに訊ねた。


「……それで。ティアナ様はどうしておられるのですか?」

「昨夜は部屋で泣いていたけれど、今朝は母に呼び出されて家事をしているわ。ゲルデと一緒に」

「えっ? 明日、迎えが来るというのにですか?」


 ライアンにとって、この期に及んでもティアナが母親の世話を続けることは不可解だが、セルマの態度も奇妙に思われた。セルマは彼から視線をそらし、そわそわ身を揺らして両手をもんでいる。


「『ワタシは大公妃なんだから、侍女なんかに世話されたくない』というのが、母の言い分よ」


(侍女たちが辞めたのは自分の癇癪かんしゃく所為せいではないか。娘を人質にして、これから誰が近づいてくれると思っているのか。)

 ――そう毒づきかけて、ライアンは言葉を呑んだ。セルマの顔色があまりに悪かったからだ。

 公女の明るい薔薇色の頬は色をうしない、唇は青ざめ、淡い黄金色の髪は季節外れの霜をかぶったように見えた。落ち着きなく揉みしだく手指は、細かくふるえている。アルトリクスが心配そうに彼女に寄り添っている。

(ああ、そうか……。)ティアナと同じすがたの少女を眺め、ライアンは気づいた。大公夫妻は残酷なことに、双子の姉妹を天秤にかけたのだ。一方を選び、一方を棄てた。セルマにとっては己の半身を削り取られた気分だろう。


 セルマは、左肩に置かれたアルトリクスの右手に自身の右掌を重ね、わななく唇で囁いた。


「ごめんなさい、ライアン。私、どうしたらよいか分からなくて。ティアナのために……。ごめんなさい」

「貴女の責任ではありませんよ、セルマ様」


 ライアンは応えたが、我ながら空疎な台詞に聞こえた。この場合、セルマにできるのはティアナの身代わりになることだから、無理というものだろう。

 セルマが堪えきれずに涙ぐむ。アルトリクスは彼女の肩を抱え、礼拝堂へと促した。ライアンは呆然と二人を見送った。


「ライアン様……」


 本丸を見上げるライアンに、トレナルがそっと声をかける。知らず知らずのうちに拳を固く握りしめていたライアンは、我にかえって乳兄弟を振り向いた。


「トレナル」

「どうなさいますか?」

「どう、と言ってもなあ……」


 酷いとはいえ親は親、主君は主君だ。〈山の民〉の申し出を大公が承諾し、エウィン妃がティアナを指名し、ティアナが契約をうけがったのであれば、ライアンの立場ではもはやどうすることもできない。〈人にあらざるもの〉と結んだ契約を反故にすると、災いが降りかかると言われている。せめて、ティアナが嫌がって抵抗してくれていたら、大公を説得する時間が得られたかもしれないが――と考えるうちに、ライアンはすっかり沈みこんでしまった。


 なぜ、ティアナはこうもあっさりとエウィン妃の命令を受け入れたのだろう。彼女にとって、城での暮らしはそれほど執着のないものだったのだろうか。母親の命令に背いて城に居続けることに、希望を見出せなかったのだろうか。


 大公の決定に異を唱えたのは、ゲルデだけだったという(彼女の勇気は尊敬に値すると、ライアンは思う)。セルマは嘆いているが、身代わりになるとは言えなかった(ライアンも、さすがにそこまで望まない)。

 ティアナが、両親にも姉にも……ライアンにも、見捨てられた気持ちで『とりかえ子』になることを決めたのだとしたら。

 もし自分が、もっと前に気持ちをうちあけていたら。彼女は思いとどまってくれただろうか……。


 ライアンは、ぐるぐる廻る思考を弄びつつ、本丸の下に佇んでいた。



       **



 無情にも地底の国へ行くことを命じられたティアナは、その夜は泣きながら眠った。同室のセルマは、彼女を慰める言葉がみつからず黙っていた。一夜が明け、身支度を整えたティアナには、いつもどおりエウィン妃の世話が待っていた。


 おはようございますと挨拶をして、手洗い水を大公妃の部屋へ運び、母が顔を洗っている間にベッド下の便器の中身を片付ける。衣装を選び、着替えを手伝い、髪をくしけずって結い上げる。――以前は侍女に任せていたが、今ではティアナの仕事だ。


 エウィン妃は上機嫌で、「ワタシは大公妃だもの。身の回りの世話をするのは侍女以上の身分でないと」という調子だ。「ここまで育ててあげたんだから、役に立ってちょうだい」とも。

 ティアナは母の言葉を全て肯定するわけではないが、面倒なので言い返さないのが常だった。言い返せば、五倍くらいの剣幕で怒鳴られるか、父に鞭打たれる。それでエウィン妃は、『ティアナは言うことを聞く娘』と認識しているようだった。セルマとは違う、おとなしい娘だと。


 セルマと違い――自分も役に立つのだと、証明したくて従ってきた。騎士の真似事はできなくとも、炊事や裁縫といった『女の仕事』ならできる。自分らしさを認めてほしかったのかもしれない。愛されたいと……


(なんて、あさましい。)


 トレイに茶器を並べていたティアナの手に、ぽたりと雫が落ちた。ゲルデがハッと息をのむ。


「ティアナ様」


 ティアナは袖で目元をぬぐい、かぶりを振った。乾いた唇を噛んで嗚咽をこらえる。


 結局、自分の基準はなのだ。華やかで快活な姉に負けじと意地をはり、両親に愛されたくて従順を装った。根にあるのは暗くいじけた劣等感と、醜い競争心でしかない。セルマが選ばれ自分は不要とされたのは、無理もない。

 ただ、自分は愛されたかっただけなのだ。父と母に。セルマはセルマ、ティアナはティアナで、そのままで良いのだと言われたかった。


「ティアナ様、お父上にお断わり申し上げましょう。今からでも遅くはありませんよ」


 兎肉のパイと麦粥ポリッジ、香草茶、あぶったベーコンと山羊乳のチーズといったエウィン妃の朝食をトレイに載せ、二人で運びながら、ゲルデは早口に囁いた。何度目の説得だろうか。しかし、ティアナは視線を足下に落としたまま首を振った。


「駄目よ、ゲルデ。もう決まったのだから」

「そんな……」 


 ゲルデは悔し気に頬をゆがめた。ティアナは彼女の気持ちをありがたいと思いつつ、表情を消した。

 ゲルデは己の損得に関係なく、公女たちの味方をしてくれる。これ以上、大公夫妻の決定に異を唱えれば、また鞭打たれてしまう。それだけは避けたい。


 自分が。自分が耐えれば万事まるく収まるのだと、ティアナが小さな胸の奥で決めたとき――同時に何か大きなものを諦めたことに、彼女自身は気づかなかった。





~第三章(4)へ~

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