第20話 マコトの逆襲

「トミーがやられたが敵は無力化した。これよりエアロックの修理を開始する。俺は電気設備のことはよくわからん。こちらの映像を送る。俺が分かるように指示しろ」

 クラウスの極めて冷静で事務的な報告が、コントロールルームに届いた。クラウスのスマート眼鏡の映像がコントロールルーム正面のモニターに映し出される。

 一瞬、通路の床に転がるマコトの姿が画面をよぎった。彼はうつ伏せに倒れており、ピクリとも動かない。船長は奥歯を噛みしめ、クリスは息を呑む。アイーシャの顔は青ざめていた。

「了解。だが、先にキッチリ片付けておいた方がよくねぇか?」

 倒れているマコトを見てオスカーが賢しげに助言した。止めを刺しておけという意味だ。

 クリスの目が大きく見開かれる。言葉が出ない。

「ふん。近づいてくるようなら踏みつぶす。それだけだ」

「また、悪い癖が出たわ」

 偽イリーナが渋い顔でつぶやく。本来ならオスカーの言う通り、止めを刺すのが常道だ。

「クラウスは贅沢な男ですから」

 ユルゲンは、クラウスが命令に忠実な兵隊ではなく誇り高い武人あることを認めていた。

「マコトくん。ねぇ返事して、マコトくん」

 クリスは声を潜めて必死でささやく。マコトの息遣いは全く聞こえない。

 クリスが秘かに外部とテレビ電話で通話していることを隠蔽するため、マコトがマイクをミュートにしている可能性はあった。しかし、その可能性はクリスの慰めにはならなかった。

「マコト」

 クリスの横で手錠をはめられたアイーシャも沈痛な面持ちで呟いている。両手を強く握りしめ、小刻みに震えていた。

「まったく、サムの奴は何してんのよ!」

 なんとかクリスに聞こえるくらいの大きさの声で、リーファが小さく吐き捨てた。

「どうだ、直りそうか?」

 ユルゲンが、映像を見ながらクラウスに指示しているオスカーに進捗を確認した。

「切断された電源ケーブルの補修作業は順調だ。クラウスのおっさんも、やればできるじゃねえか」

 オスカーはユルゲンの方には視線を向けず、クラウスの送ってくる映像に集中して、独り言でも呟くように返事をする。

「あとはエアロック前に移動して動作確認するだけだ。あっ?」

 報告をいい形で締めくくっていたオスカーが、突然、妙な声を上げた。

「どうした?」

 ユルゲンが剃刀のような視線をオスカーに向け、偽イリーナは片方の眉を跳ね上げた。

「連絡ロビーの船内カメラの映像が消えた」

「どういうこと? 故障? それとも何者かの妨害工作?」

 オスカーの報告に、偽イリーナが質問を畳みかける。

「わからねぇ。おわっ、居住ブロックで何か騒ぎが起きてるみてぇだ」

「例の連中ね。居住ブロックに情報を流したんでしょう。でも残念。エアロックが開放されて兵隊が船内に入ってくれば、どんなに騒いでも後の祭りよ」

 偽イリーナは頬を痙攣させながら微笑んだ。

「修理は終わった。これからエアロックに向かう」

 正面のモニターに切断された電源ケーブルの応急復旧が完了したEPS室内部の映像が映し出され、クラウスの重々しい声が響いた。

「これでおしまいね」

 偽イリーナが歪んだ笑みを浮かべた。

「もう、おしまいだわ」

 フローラの浅黒い肌は生気を失い、絶望の言葉をつぶやいた。

 船長は蒼白になりながらも、正面モニターの映像を睨みつけている。

 クリスは小さな声でマコトに呼びかけ続け、アイーシャは拳が白くなるまで握りしめた。

 映像は、EPS室から出て無人の廊下を通り、エアロックの操作盤を映し出す。

「電源は復旧したみたいだな。操作盤に光が戻ってる」

 黒いガラスの操作盤に赤や青の小さな灯が点滅していた。

 ふと、クラウスはエアロックの船内側の扉がロックされていないことに気づく。

 これ見よがしに扉が少し開いている。

 クラウスは扉の正面に立つことを避け、扉から少し離れて、扉を完全に開いた。

「ほお」

「マコトくん!」

 クリスは思わず叫んだ。

 船長が息を呑み、アイーシャやフローラに明るい表情が浮かぶ。

 エアロックのスペースポート側の扉の中央に、ヘルメットを被ったマコトが立っていた。

 刀を身体の正面に構え、切っ先をクラウスに向けている。

「見上げた心がけだな」

 クラウスは凄絶な笑みを浮かべ、一歩足を踏み出した。

「罠だ、クラウス! エアロックに入るな!」

 そのクラウスをユルゲンが押しとどめる。

「なるほどね」

 クラウスはユルゲンの言いたいことを理解した。

 EPS室での修理中に後ろから襲うわけでもなく、わざわざエアロックの中で待ち構えていたということは、周到な準備をしていると考えるのが妥当だ。

 何も知らない相手ならともかく、マコトはクラウスの実力を十分に認識している。何の策も講じずに勝負を挑むなどあり得ない。

「しかし、奴を放置したら、兵隊を船内に引き込むことができないぞ」

「俺が応援に行く!」

 普段、感情をあらわさないユルゲンが珍しく声を荒げた。

「ちょっとぉ」

 偽イリーナが不満そうにユルゲンに視線を送る。

「おいおい、よしてくれ。俺が信じられないのか?」

 クラウスは、げんなりしたような表情を浮かべ、自信に満ちた声でユルゲンの申し出を断った。

「ならヘルメットを被れ、エアロックで使う可能性が高いトラップは空気を抜くことだ」

「違いない」

 クラウスは満足したようにうなづくと、おとなしくヘルメットを被った。

「くそっ、これで勝ち目がなくなった」

 エドが小さな声でつぶやいた。

「マコトくん、頑張って!」

 クリスは、偽イリーナたちを気にせずに思わずマコトに声援を送った。


 クリスの声を聞いたマコトの胸に気力が溢れた。肋骨は砕け、他にもあちこち壊れている。体調は最悪で咽喉もカラカラだ。正直、代わってもらえるものなら誰かに代わって欲しかった。なんで僕ばっかりという気持ちがないわけではない。だが、想い人のクリスが見ていてくれて、しかも声援を送ってくれているのは、マコトにとって最高のカンフル剤だった。

「感謝する。誘いに乗ってくれると思ったよ」

 マコトは、自分でもビックリするくらい落ち着いた声でクラウスに語りかける。

 そして、ヘルメットを被り自然体で近づいてくるクラウスから視線を外さずに、船内側の扉を閉めるためのボタンを押した。頭のなかで何度も手順を反芻する。

「感謝の必要はない。お前は死ぬんだからな。お前の名は?」

「マトバ・マコトだ」

「俺は、クラウス・クライスラー」

 扉が閉まりロックがかかった。

 これで、エアロックの外から操作しなければ船内側の扉は開かない。

「背水の陣か。どうするんだ? 貴様もここから出られないぞ」

「きっと仲間が開けてくれる」

 クラウスの静かな問いに、マコトはクラウスを見据えながら答えた。

「開けに来るのは俺の仲間だと思うがな」

 お互い、この閉鎖空間でのデスマッチに生き残るのは自分だと思っている。

「刃物は本当に要らないのか」

 マコトはエアロックの空気を抜くボタンを押した。

 エアロック内の照明が白色灯から注意喚起のためのオレンジ色に変わる。

「必要ない」

「なぜ、ここを戦場に選んだのか、わかるか? クラウス」

 マコトは油断なく刀を正面に向けて構えた。風の音が轟々と鳴っている。

「例え皮膚が刃物を受け付けなくても、生き物である限り呼吸はしなくちゃいけないからだ」

「策士、策に溺れるというやつだな。俺も宇宙服を着ている。お前と同じだ」

 クラウスは一気に間合いを詰めた。

 マコトは突きを繰り出す。

 クラウスは刀身を腕ではじき、マコトの腹部に前蹴りを放った。

「くっ」

 マコトは蹴りを食らい、後方の壁に叩きつけられた。

 先ほどと同じ展開にクラウスは失望したような声を漏らす。

「つまらん。多少は期待したが口先だけか」

「やはり、腕で払うんだな」

 マコトは苦しげに息を吐きながら、クラウスを見上げた。

「あ?」

 クラウスは腕に違和感を感じたらしく、先ほど刀身をはじいた腕を見た。

 斬られてはいないが、うっすら刀の跡がついている。刃の跡だ。普通に突きを放ったのであれば、刀身の腹の部分を弾いているはずで刃の跡がつくはずがない。マコトは刀の刃がクラウスの宇宙服を傷つけるように、わがと刀を寝かせて突きを繰り出したのだ。しかも、構えから、左右どちらの腕で刀を払うか予測している。

「同じじゃないぞ。俺は少しだけ傷をつければいい。お前の身体ではなく宇宙服にな!」

 気圧が急速に下がり、風の音も聞こえなくなった。

 静寂が周囲を支配する。聞こえるのは自分の呼吸音、そして心臓の鼓動ぐらいだ。

 オレンジ色の照明が赤く変わる。エアロック内が真空になった証だ。

 クラウスが鬼神の如き闘気を放ち、無音のローキックがマコトの足を薙ぎ払う。

 骨の髄まで響くような痛みと衝撃がマコトを襲い、耐える余地などまるでなかった。

 マコトの膝が崩れ、片膝をつく。骨が折れなかったのが不思議なくらいだ。

 苦し紛れに刀を振り回す。その切っ先がクラウスの軸足の腿をかすめた。

『浅い!』

 気密を破ることに失敗した。そう思った瞬間、ローキックでマコトを薙ぎ払った足が戻ってきて膝をついているマコトの顔面を襲う。

 ヘルメットが爆発したような衝撃とともにマコトは仰向けに床に叩きつけられる。

 ヘルメットが防具の役割を果たしてくれた。ヘルメットがなければ全て終わっていただろう。

 マコトが身体を捻って慌てて起き上がろうとすると、今度はサッカーボールのように蹴り上げられた。脇腹に激痛が走り、視界が歪む。

 今度は苦し紛れの攻撃すらできない。ほんの少し、クラウスの宇宙服に傷をつければ良いのに、それすら許されなかった。実力差がありすぎる。全てを諦めて楽になってしまいたい。そんな誘惑がマコトの頭の隅をかすめた。

 しかし、マコトはあきらめるわけにはいかなかった。

 マコトの後ろには、クリスが、サムが、ベンが、アイーシャが、移民船の仲間と三〇〇〇人以上の住民がいるのだ。クリスの明るい笑顔がマコトの心のうちにくっきりと浮かび上がる。

 マコトは奥歯を噛みしめながら、よろよろと立ち上がった。

 まだ動ける。諦めたらそれで終わりだ。最後まで食らいついてやる。マコトはそう思った。

 マコトの眼から光が失われていないのを見て、クラウスが突進してくる。

 マコトは低い位置で刀を構えた。脇腹が痛くて、背筋を伸ばすことは困難だ。

 圧倒的な質量の横蹴りが迫る。

 その蹴り足めがけて渾身の突きを放った。普通なら狙わない場所だ。身体に直接ダメージを与えるのは難しいだろう。

 だが、宇宙服のズボンに切っ先が引っ掛かり、裂ける

 次の瞬間、クラウスのヘルメットのフェイス部分が真っ白に曇った。

 クラウスの勢いは止まらず、横蹴りがマコトに命中する。

 しかし、その蹴りは今までのものとは明らかに威力が異なっていた。

 ただ巨大な質量が惰性でぶつかってきただけだ。爆発するような破壊力はない。

 マコトは、胸を強く押された格好になったが、二、三歩後退して踏みとどまり、重い岩の塊のようなクラウスの身体を押し返すと、クラウスは大の字になって床に倒れた。

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