第18話 マコトの決心

「ニコライ!」

 オスカーが船内カメラの映像を見ながら叫んだ。

 ニコライの死はリアルタイムでコントロールルームのテロリストにも共有されていた。

 最後、ニコライが倒されたシーンが、船内カメラの視界に入ってきたのだ。

「こいつらが軍の連中に助けを求め、エアロックを壊し、ニコライを殺したってわけね」

 偽イリーナが、正面の壁に映し出された船内カメラの映像を見ながら憎々しげに呟いた。

 クリスは大きな溜息をついてマコトとサムの無事を心から喜ぶ。

 船長は明るい表情で拳を握りしめ、アイーシャも珍しく笑みを浮かべた。

「なんて奴らだ。軍や警察の特殊部隊でもないくせに、強攻策をとるなんて」

 一方、エドは微かな声で不機嫌そうに呟く。その呟きをクリスは聞き漏らさず、彼の横顔を思い切り睨んだ。

「おもしろい」

 味方が死んだというのに、クラウスは岩のような武骨な顔を不敵な笑みで歪めた。

「さっき、保守対応で出かけた三人組がいたわよね。あいつらなの?」

「映像では二人しか確認できませんでしたが、そのようです。うち一人は我々をエアロックで出迎え、船内を案内した奴みたいです」

 偽イリーナの問いにユルゲンが冷静に答える。エアロックで出迎えた奴というのは、マコトのことだ。

「三人とも居住ブロックに行ったんじゃなかったの?」

「やり取りはチェックしていました。そのはずです」

 偽イリーナは完璧だったはずの計画に、微かな狂いが生じはじめたのを快く思っていないようだ。

「戦場にイレギュラーはつきものだ。だが、火は小さいうちに消すに限る」

 ユルゲンをフォローするように、クラウスが偽イリーナに視線を向けた。

「携帯端末で、こいつらに呼び掛けることはできるか?」

 ユルゲンは、動揺しているオスカーに尋ねた。

「事務局職員で、現在、ここにいないのは、マトバ・マコト、サミュエル・サンズ、ベンジャミン・ベイカーの三名だ。データベースにこいつらのアドレスの記載がある」

 正確に三人を特定したオスカーの報告に、クリスをはじめ他の事務局職員は息を呑んだ。

 恐らく事務局職員を人質に取り、言うことをきかせるつもりなのだろう。

 オスカーは目の前の固定端末に実装された通信設備を使って、マコトたちの呼び出しにかかる。息が詰まるような時間が流れた。クリスは、テロリストたちの様子をじっと見つめ、マコトたちがうまく誤魔化してくれることを祈る。彼らは最後の希望なのだ。

「くそっ」

 やがてオスカーは苛立たしげにコンソールを叩いた。

「どうした?」

「三人とも通話中。呼びかけに応じねぇ」

 ユルゲンの問いにオスカーは振り返って答える。

「はぁ? どういうことなの」 

「おそらく居住ブロックに助けを呼んでいるのでしょう」

 眉をひそめる偽イリーナに、ユルゲンが自身の推測を口にした。

 彼らのやり取りを聞きながら、クリスは肝を冷やす。

 三人のうち、マコトの携帯端末とテレビ電話で通話中なのは、クリスだったからだ。

 バレたら、ただでは済まない。

 クリスは一瞬、通信を切ろうと思った。しかし、思いとどまる。

 マコトに貴重な情報を提供できるのは自分だけだ。クリスはそう思って通話を続けた。

「あいつらに直接呼び掛けたいんだけど。あの辺りだけに船内放送を流すことはできる?」

「わかんねぇな。六つある居住ブロックごとの放送はできるんだが、中央ブロックだけ放送するというメニューが見当たらねぇ」

 偽イリーナの質問にオスカーは明確に答えることができなかった。

「そもそも、あのエリアに船内放送用のスピーカーはないわ」

 リーファがテロリストたちに聞こえないように小声で呟く。

 フローラが余計なことを言うなという風情で、リーファを見つめ首を横に振った。

「仕方ないわ。現地で害虫をつぶしてくるしかないわね」

「えっ」

 偽イリーナの発言に、クリスは思わず小さな声を漏らした。アイーシャの顔色も変わる。

「トミー、それから、クラウス」

 偽イリーナは、自分も含めた残り五人のうち、二人に声をかけた。

 クラウスの方は、先ほどのアイーシャとの戦闘で実力を証明済みだ。

「あいつら二人を始末してきて。プライベートロケットで待機している我が国の兵士を船内に引き入れないことには、次のステップに進めないわ」

「了解」

「望むところだ」

 トミーは多少緊張した面持ちで答え、クラウスは嬉しそうに腕組みを解いた。

 トミーはユルゲンから渡された刀を手にしているが、クラウスは丸腰だ。

「どう? 景気づけに一本打っておく?」

 偽イリーナは、持っていたポシェットから注射器の入ったケースを取り出した。船内に持ち込む際、インスリン自己注射のセットだと申告した代物だ。アンプルにはインスリンと書いてあったが、中身はどうやら興奮剤か何からしい。

「不要だ。そもそも俺たちが制御不能になったら困るだろ」

 制御不能とはどういうことだ? 興奮剤レベルの薬ではないのか?

 クリスと、そしてマコトも、コントロールルームで交わされた会話を聞きながら、不審に思った。

「害虫駆除が終わったらエアロックの修理も頼む。工具一式も忘れず持っていってくれ」

 出発しようとしているトミーとクラウスに、オスカーが声をかけると、クラウスは思い切り不機嫌な視線を返し、トミーはため息をつきながら、リーファの席の近くに置いてある工具袋を背負った。

「マコト君、逃げて」

 クリスは青ざめ、テロリストたちに気付かれないように微かな声でささやいた。


「応援はまだか!」

 トミーとクラウスの二名がやってくると聞いて衝撃を受けているマコトの傍らで、サムが必死に連絡を取っていたのはベンだった。

「人数はそれなりに集まったんだけど、どこも閉鎖されてて、そっちに行けないんだよ」

「何とかしろよ!」

「居住ブロックと中央ブロックの間の隔壁は、ケーブル切るなりなんなりして、手動で開くことはできないの?」

 進展の見られない二人の会話に、マコトが思わず口をはさむ。

 マコトは正直焦っていた。先ほどテロリストの一人、強化人間のニコライを倒すことができたのは、ただ単に運が良かっただけだと思っている。それなのに、今度ここにやってくるのは二人だ。

 トミーの実力のほどはよくわからないが、どうせ強化人間であるに違いないし、クラウスは、あのアイーシャですら全く歯が立たないほどの実力者であることを証明済みだ。銃でも持っているならともかく、刃物や格闘技でなんとかできる相手とは思えない。

 情けないことだが、クリスが『マコト君、逃げて』とささやいたのは全く妥当な判断だとマコトは思った。

「扉が開かないようにするためには電源ケーブルを切るだけでいいんだが、開けるためには、まずロックを外さないと。コントロールルームからの隔壁閉鎖指示が生きている限り、扉は開かないんだよ」

 サムは、マコトでもわかるように丁寧に教えてくれた。

「逆にコントロールルームからの指令がなくなれば、手動でなんとかできるってこと?」

 マコトは自分で理解できる言い方に直した。

「ん? まぁ、そうだ」

「じゃあ、電源ケーブルじゃなくて扉の開閉装置につながっている通信ケーブルの方を切ったら?」

 マコトの言葉に一瞬サムは固まった。

「そうだ、それだよ!」

 サムは活路が見えたという表情になった。

「だが、どうする? ここを修理されると俺たちに勝ち目はなくなる。離れるわけにはいかないぞ」

 エアロックが解放され、数十名の武装集団が入ってくれば、船内の人間はお手上げだ。

 このエアロックが勝負のキモだというのは、マコトも指摘したことだった。

 だが、ここに踏みとどまるのも相当危険だ。まともに戦って勝てるわけがなく、命の保証がない。マコトは胃袋を握りしめられたような思いを味わった。

「僕がここで見張ってるから、サムは居住ブロックとの連絡エリアに行ってくれる?」

 それが、マコトの下した結論だった。怖くて仕方ないが、居住ブロックからの応援が得られない限り、マコトとサムの二人きりで残り五人のテロリストを倒さなければならない。そんなことは不可能だとマコトは思った。何とか時間を稼ぎ、応援の人手を確保するしかない。

「大丈夫かよ」

 マコトは、クラウスたちがこちらに向かっていることをサムには言わなかった。

 それでも、サムは、テロリストの連中がこの場所を放っておくはずがないと思っている。

「何とか頑張るよ。だから早く応援を連れて戻ってきて」

 サムはマコトの返事を聞くと、すぐにマコトに背を向けた。

 行くのであれば、なるべく急いで出かけ、早く帰ってくる必要があるからだ。

「マコト、死ぬなよ」

「ああ。えっ? 今、僕のことマコトって言った?」

 普段、マコトのことを「マコ」としか呼ばないサムにしては珍しかった。

 サムはマコトに背を向けたまま、右拳を突き上げてマコトに応えた。

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