第13話 テスト航行の開始

「船長、それではテスト航行を開始します」

 マコトのスマート眼鏡に、四角い顔の事務局長が、老紳士のような船長に承認を求める姿が映し出された。

「お願いします」

 船長は鷹揚にうなづいている。

「おい、ベン。そっちの仕事は済んだか」

「うん、大丈夫」

 サムが思い出したように、ベンの様子を確認した。

「いま、どこだ?」

「さっきの野菜工場」

「もうすぐエンジンを作動させるそうだ。ウロウロすると危ないから、とりあえずそこにいろ」

「わかった」

 エンジンを始動させ加速を開始すると疑似重力が発生する。

 無重力状態でふわふわ浮き上がっているときに重力が発生すれば、床にたたきつけられることになる。ベンとのやり取りを横で聞きながら、何か今日のサムは面倒見のいい保護者みたいだなとマコトは思った。

「とりあえず、俺たちもここで待機だな」

 マコトたちは中央ブロックにたどり着いていた。万が一何かあって、エレベーターに閉じ込められたりしたら困るので、連絡ロビーの中央エレベーター前で待機することにする。加速開始により疑似重力が発生した際、『下』になる床面に磁力靴をしっかり固定して直立し、エレベーター横の壁に背中を預ける。


「磁力シールド稼働正常、反物質燃料のエンジンへの注入は正常に行われています。対消滅エンジン始動三〇秒前」

 エドがカウントダウンを開始した。

「船内アナウンスを」

 事務局長がフローラを促す。

「船内の皆さんにお知らせします。お待たせしました。人工重力が発生します。ご注意ください。繰り返します」

「エンジン始動一〇秒前、九、八、七」

 エドのカウントダウンを聞きながら、ボディガードの中で、最も若く小柄なオスカーだけが落ち着きのない様子で周囲をキョロキョロと見まわしていた。他の連中の多くは腕組みをしてどっしり構えている。

「六、五、四、三、二、一、始動!」

 エドの宣言とともに、船全体を軽い振動が包んだような気がした。

 マコトは、それまで磁力靴でかろうじて床に括りつけられ、ふわふわと海藻のように漂っていた身体が、しっかりと床に押し付けられたように感じた。

 長時間泳いだ後のように身体が重い。頭から血の気が奪われ、軽い立ち眩みを覚えた。

「対消滅エンジン、正常稼働、加速開始します」

 エドが誇らしげに報告する。

「船内各所、異常ありません。現在、〇.八Gの疑似重力が発生中」

 船内モニターとセンサーをチェックしていたリーファが声を上げる。

 コントロールルームが歓喜の声に包まれた。

 マコトはクリスが送ってくれた映像を通じてその場にいるような気分になり、中央エレベーター前の連絡ロビーで一人歓声を上げる。横にいたサムが思わずげんなりした表情をマコトに向けた。


「これで動きやすくなった。無重力という奴はどうも苦手だ」

 コントロールルームで歓喜の渦がひとしきり収まると、イグナチェンコ評議員のボディガードの一人、岩のような風情のクラウスが珍しく言葉を漏らした。

「すべての機器は、アプリを立ち上げてキーボードとマウスで操作か。簡単そうだな」

 ボディガードの一人、落ち着きのない小柄なオスカーが、リーファの席に近づき、マウスを掴もうとする。

「あ、ちょっと! 触んないでよ!」

 リーファは色をなした。言葉遣いはともかくとして当然の反応だ。

「いいじゃねえか。ちょっとぐらい」

 オスカーが口をとがらせる。

「ダメって言ってんでしょ!」

 リーファが猫のような目を吊り上げた。

「生意気な女だな」

 オスカーは、その言葉とともに思い切りリーファの頬を張り飛ばした。

 甲高い音がコントロールルーム内に響く。

「なっ」

 事務長が絶句し、クリスたちは息をのんだ。

 リーファは朦朧とした様子で、口の端から一筋血を滴らせる。

 金縛りにあう職員が多い中、真っ先に行動を起こしたのはアイーシャだった。

 セルフレームのアンダーリムタイプの眼鏡の奥で、切れ長の黒い瞳が静かな怒りに燃えている。

「やめなさい!」

「あぁ?」

 素早く立ち上がり近寄るアイーシャを、オスカーはチンピラのように威嚇した。

 そして、臆せず近づいてくるアイーシャの顔面に右ストレートを叩き込もうとする。

 ストレートの長い黒髪が揺れ、オスカーのパンチはアイーシャの右頬数センチの距離を通り抜けた。

 と同時に、空気が破裂するような音がする。

「うっ」

 オスカーは声にならないうめきを上げると、胃の辺りを中心に身体をくの字に曲げた。

 アイーシャの正拳中段突きがオスカーのみぞおちあたりにヒットしたらしい。

 しかし、あきらめきれないように、オスカーはアイーシャの長い髪をつかもうとする。

 アイーシャは未練に満ちたオスカーの手首をつかむと、素早く身体を回転させた。

 オスカーの身体が大きく弧を描き、二列になった事務室の机の間の床に、背中から叩きつけられる。

 事務局内にどよめきが走った。

「オスカーのバカが!」

 角ばった顔で屈強な雰囲気を漂わせるニコライという名のボディガードが吐き捨てるようにつぶやく。同時に金髪をソフトモヒカンにした長身で猫背のトミーが、さりげなく事務室の扉の前に移動して人の出入りを遮るような素振りを示した。

「困ったもんだ」

 剃刀のような視線で殺伐とした空気をまとった中年の退役軍人、サイボーグのユルゲンがイグナチェンコ評議員から離れ、ゆっくりとアイーシャに近づく。

「!」

 突然、金属同士が激しく打ち合わされる甲高い音が事務室に響いた。

 ユルゲンの右腕から刃渡り三〇センチほどの諸刃の細い剣が生え、アイーシャに向けて振り下ろされていた。

 それをダルが電磁警棒で食い止めている。

 電磁警棒に電光が蛇のようにまとわりつき、ユルゲンの左腕に火花が散った。

 間髪を入れずダルの右脚がユルゲンに襲い掛かり一気に蹴り飛ばす。

「なぜ、わかった」

 ユルゲンが呟くようにダルに声をかける。

 どうしてユルゲンがアイーシャに対し、凶悪な暴力に訴えることが事前に分かったのか、という質問だ。

 そうでなければダルはアイーシャへの攻撃を防ぐことなどできなかっただろう。

 ユルゲンはダルに蹴り飛ばされたダメージはほとんどないらしく、落ち着いた様子で普通に立っている。

 スタンガンとしての機能を有する電磁警棒の電撃も効果はなかったようだ。

 ユルゲンのサイバーボディは要所要所で絶縁されているらしい。

「おまえは怪しすぎるからな!」

 ダルは電磁警棒を片手にユルゲンを追撃した。


「このアマ!」

 一方、腹に正拳中段突きを喰らい、一本背負いで床に叩きつけられたオスカーは、腹を押さえながら苦しそうに立ち上がった。

 そして、腰から電磁警棒を引き抜きスイッチを入れる。銀色の打突面が蛇のようにのたうつ電光に包まれた。

 しかし、アイーシャはひるまなかった。

 一気にオスカーとの距離を詰める。

「お嬢さん、そこまでだ」

 オスカーの前に立ちはだかり、鞭のように振り下ろされる上段回し蹴りを受け止めたのはクラウスだった。巨体であるにもかかわらず動きが速い。

 そして、巨大な拳をアイーシャに向ける。無造作だが無駄のない動きのパンチは見た目以上の速さだ。アイーシャに余裕はなかった。拳は右頬をかすめる。

 アイーシャは奥歯を噛みしめて衝撃に耐え、カウンターの正拳上段突きをクラウスに放った。

 鼻の下にある人体の急所『人中』に、硬く美しい拳が正確にめり込む。

「強い女は嫌いじゃない」

 しかし、クラウスはまるでダメージを受けていないかのように不敵な笑みを浮かべた。

「!」

 アイーシャは切れ長の目に強い光を浮かべ、そのまま身体全体を独楽のように回転させた。今度は体重と高速回転のエネルギーを乗せた回転肘打ちをクラウスの顔面に叩き込む。

 だがクラウスは姿勢を崩すこともなかった。

「生身の人間じゃないのか!」

 アイーシャは驚愕の表情を浮かべながらも次の攻撃に移る。

「強いだけじゃない。なかなかの美人だな。俺の好みだ。殺すには惜しい」

 クラウスは顔面に向けて再度放たれた正拳突きをスルリとかわすと、棍棒のように太い腕をアイーシャの首に絡ませた。スリーパーホールド、そう呼ばれるプロレス技だ。窒息させるのが目的ではなく、頸動脈を圧迫し脳への血流を止めることが技の目的だった。

「放せ!」

 アイーシャはクラウスの足の甲に全力で踵を落としたがクラウスの戒めはビクともしない。

「お休み、お嬢さん」

 やがて、アイーシャの身体から力が抜け、糸の切れた操り人形のようになった。

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