第25話 昔話 / 相反する幕切れ

 創の消えかけた意識の中で現れたもの。

 

 暴走前の身体がとともにこの場所に立っていた。

 

 それはただ白く、無垢で、温かい空間だった。

 

 さっきまでラボにいた筈の自分に何が起こったのか、それをまだ理解できてはいない。

 

 逆に解っていることは、早くこの場所から抜け出し、大好きな母を守らなくては行けなかった。


「あらあら、お客様ね」


 創が振り向いた先には、全身に布を巻いた見知らぬ女性がそこにはいた。


 髪は長くて緑色、綺麗で柔らかそうな肌。


 ボキャブラリーの少ない創には、これが精一杯の印象だった。


 さっきまでいたあのラボは、幻だったのだろうか。


 困惑したままの創を見ていた女性は、さらに話しかけた。


「私はエリシア。この空間を司る者です。あなたの名前を教えていただけませんか?」


「えっと……」


 消えかけた意識の中でなんとか自らの名前を探していた。


「思い出した。ぼくはソウ。ソウ・アシガワだよ」


「ソウと言うのですね。いい響きです」


 その女性は、創の名前を褒めてくれた。


 しかし、創は当初の目的を思い出し、急ぐ必要があった。


「ぼく、お母さんのもとへ帰らなきゃいけないんだ。悪い奴らがお母さんを殺そうとしていているんだ」


 創が出口を探す理由は明確だった。


 母を救うこと、それだけが全てである。


「ソウは、お母さんが大好きなんですね」


 おっとりとしながらもエリシアは創の考えに関心を持っていた。


「お母さんがいなきゃ、ぼくは死んじゃうんだ。もっともっと生きて、いろんなところへ行きたい。お願い! 出口はどこ!」


 懇願する創を前にして、エリシアは創と同じ大きさの黒く歪んだ空間を作り上げた。


 そこに映るのは、自らを抱きかかえる母の姿だった。


 自分の身を案じて声を必死に届けようとしている。


「ここを通れば出口につながっています」


「ほんと!?」


 あまりにも早く解決した創は、喜びと驚きが混ざった表情をしていた。


「でも――私から約束があります」


「なぁに? 約束って?」


 お姉さんからの注意事項を創は聞くこととなった。


「このことは、お母さんたちには内緒ですよ? 絶対に教えないでください」


「う、うん!」


 先を急いでいた創は、その約束に対して即座に答えを伝えた。


「そしてもう一つ――ソウはずっと笑っていてください。あなたの笑顔が、みんなを助けてくれますよ」


 二つの条件を聞き入れ、すぐさまはしゃぐように出口へと駆け出した。


「わかった! 約束する!」


 エリシアは大急ぎで空間へ飛び込もうとした創の肩をつかみ、しばしの別れを告げた。


「ソウ――またお会いしましょう」


 呼びかけに答えた創もまたまっすぐな瞳でエリシアに答えた。


「またね! ありがとう、エリシア!」


 創は手を振りながら出口へ飛び込み、白い空間を後にした。


   *


「ガアアアアアアァァッ――」

 

 依然として意識の混濁する創は、武装グループへ瞳を向け、特攻を開始した。

 

 突進してゆくそのスピードは、人間が走る速度としては考えられないほどの身体能力であり、距離が短いこともあって、むしろ至近距離で最高速度の戦闘機を相手にしているような感覚だ。


 それは生き物の瞳とは考えられない、神に抵抗する悪魔が創り出した魔物を相手に戦うような恐ろしさを、男たちは感情の中に植えつけられてしまった。


「ひいぃぃ! こ、こっちへ来るな! 化け物め!」


 四人が一斉に銃弾を発射する動作は明らかに照準を合わせられず、多くは壁と衝突、又は創の身体をかすめるばかりだった。


 瞬く間に三人は創の爪によって身体を引き裂かれ、断末魔と血しぶきを上げながら倒れてゆく。

「馬鹿な……! なぜガキにそんな力がある!?」


 残りの一人が射撃によって創の頭蓋と胸に2発ずつ命中させたものの、勢いを止めるまでには至らず、創の右腕から放たれた渾身の爪による攻撃が男の胸周辺を貫いた。


「ぐわあああ……」


 突き刺さった創の爪からゆっくりと血液が伝い、あとには断末魔が虚しく響いた。


 創が爪を引き抜くと、男が支えを失ってその場で倒れこみ、無機物のように活動を停止した。


 謎の暴走とともに構築していた大木や枝、葉に関する部分が徐々に枯れて崩れ落ちた。


 銃弾が命中した箇所による出血はあったものの、既に組織の再生とともに血は止まり始めていた。


「フフフ……フフフッ……ハハハ――」


 創は笑っていた。


 だが、その笑いは狂気を伴って人間を弄ぶ殺人鬼の様相に近いものだった。


「ハハハッ――アハハっ――はははっ―――はぁ……はぁ……」


 その笑い声は狂気に満ちたものから、徐々に人間らしさを取り戻し、緑色に染まった髪は、やや薄く緑を残しつつも黒髪に戻り始めていた。


 しっかりと体重を支えていた両足のバランスが崩れ、倒れようとしていた。


 しかし、暴走が無くなったと判断した夢が真っ先に創の下へ駆け寄り、再び抱きかかえた。


「創! 返事をして! お願い! 創!」


「創くん! しっかりしろ!」


 傷口は塞がっているが、瞼を下げ、意識のわからない創へ呼びかける夢と谷崎。


 声の主に気づいたのか、創はひとりでにゆっくりと瞳を見せた。


 暴走していた赤い瞳は、普段の創が持つ、黒い輝きを見せる瞳が再び宿っていた。


「――お母さん?――先生?」


 ラボから不思議な白い空間、そしてラボにある身体へ意識が戻った創は、状況がつかみにくいなかで、ようやく目に止まった人物へ言葉をかけた。


「良かった……生きてて……」


 夢は、先程まで暴走していた、血だらけの創を抱きしめ、温かい感覚を噛み締めていた。


「本当に無事でよかった……」

 

 谷崎にもようやく、安堵の表情が浮かんだ。


 しかし、意識をはっきりさせるために、抱きしめられながら創が辺りを見回すと、今までに見たことのない、恐ろしい光景が創の中に飛び込んできた。


「ひっ! あ……あ……」

 

 武装グループが血を流して死んでいた。

 

 先に殺されたリックとウィルクスにまで彼らの返り血が拡大している。

 

 それは必死で母を守ろうとした創の意思が招いた殺害とも言えることだった。

 

 夢の腕の隙間から、震える自分の手を覗き込む。


 創の小さな手にべっとりと付いた血液。


 紛れもなく、創は自ら悪い奴らに、男たちに手をかけてしまった。


 それは人であって人ではない、夢が創造したバイオロイドによる、最初の殺人でもあった。


「わああああああああああっ――!!」


 創は、自分が人を殺したことに対する衝撃と、覚醒後の不安定な精神状態によって言葉に表すことのできないパニック状態が悲鳴となって現れた。


「大丈夫!? どうしたの!? 何があったの!?」


 突然の創の叫びに驚いた夢が必死に問いかける。


「!?」


 突然の悲鳴に谷崎は声を出すことができなかった。


 何かに追い詰められ、怯えている創の顔は、涙で覆われていた。


「お母さん。ぼく、殺しちゃった……勝手に身体が動いて……気づいたら……こんなに殺してた……」


 夢は、創が無意識下の中で暴走を行っていたことを理解し、すぐさま母としてできる限りのケアを行う。


「――お母さんたちは死ななかったでしょ? えらいじゃない。ちゃんと守ってくれたのね」


 しっかりと創を抱きかかえながら、夢は何度も何度も創の頭を撫でていく。


「うううぅ……。ごめんなさい。許して、許して……!」


 あれだけの衝撃的な出来事を受け入れるのは、長年の経験を積んだ谷崎でも目を背けたくなってしまうほどだ。


 創が泣きじゃくりながらも必死で現実を受け入れようとしている姿に、夢は誓った。


「大丈夫よ。必ずお母さんたちで、創を守ってあげるからね」


「うん。ぼくも強くなるっ! お母さんを、みんなを守れるようにっ……!」


   *


「すみません。手続きまで何もかも協力させてしまって」


「私も同じことで君たちのラボにやってきたのだ。君の学籍は『転学』という形で対応してもらった。準備が出来次第、いつでも帰国可能だ」


「ありがとう、ございます」


「大丈夫だ。私も秘密は守る。君のことも、創くんのことも」


 気付けば、顔を両手で覆っていた。


 自分の無力さと悔しさ、恐怖、不安、多くの負の感情がこみ上げてきた。


 夢は、自分の力で多くを打開できると信じていた。


 どうしようもないと、わかっていたとしても。


「すみません。本当に、ごめんなさい」


 打ちひしがれている夢に、谷崎は優しく語りかけた。


「君のせいじゃない。研究者としてできることをすればいいんだ。わたしが保証する」


「――お世話になります」


 数日後、ウィルクスたちが死亡する事件が報道されたと同時に、夢と創、そして谷崎は日本へ帰国した。


 ラボは持ち帰った夢のデータや研究器具を除き、殆どが廃棄、さらに厳重に閉鎖され、完全に沈黙する。

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