第20話 刻まれた過去の痛み

 怪我を負った創は、彩理とジルがいる部屋のすぐ隣の部屋で通話していた。


 スマートフォンのスピーカーから、家族の声が聞こえる。


「母さん。この細胞はまだまだ謎が多いね。彩理ちゃんは適応できたどころか、俺と同じ力まで使っていた。まるで“あの時”のように・・・」


「おかしいわ……ある程度の再生を見込むことはできても、クロロのような大幅に体力を消耗させる力は――とてもじゃないけれど使いこなす前に身体が持たないはずよ」


「いままでの母さんが打ち出した理論が間違っているわけじゃないと思う。ただ・・・」


「ただ?」


「そこに“新しい要素”が混ざっていたとしたら?」


「――ありえない話じゃないわね。とにかく、新島さんから話を聞かないことには進められないわ」


「――そうだね」

 彩理が意識を失ったあと、創たちはすぐに彩理を谷崎の病院へ運んだ。

 

 夢への連絡は創が既に行っており、病院で合流することができた。


 負傷の激しい彩理と創は、夢の用意した薬品を用いた上で包帯を巻いた処置を終える。


 創は自力で動くことができたため、応急処置からは何も手を加えずに自然治癒に切り替えた。


 体力的な消耗していた彩理には点滴での輸液をしつつ、創たちの意向により、芦川家で経過を見ることとなった。


 ちなみに丸一日、彩理は眠っていたらしい。


 その間にジルは常に彩理の隣にいて看病に努めたため、彩理が起きた時に真っ先に喜んでいたのだ。


 彩理は、これでも立派な(?)怪我人である。


 ジルが彩理に、自分がどれだけ心配したのかを大袈裟に説明する動作を苦笑いしながら彩理は聞いていた。


 しばらくおしゃべりをしていると、創が二人の部屋へやってきた。


「ちょっと失礼するよ」


 彩理とジルの目線がはるかに高い位置を向けていた。


「姐さん、暫く彩理ちゃんと二人にしてくれないかな?」


「えぇ~っ! まだ話し足りないですよ!」


 駄々をこねるジルに対し、創は奥の手を言い放った。


「浮気はダメだよ? 将来を誓い合った女性がいるんだし―――いっそここで写真を撮ってアプリで送ろうかい?」


 彩理が不思議に感じた、ジルとのコミュニケーション。


 彼女は、女の子が大好きだったのだ。


 実際、彩理は特に偏見を持つことはない。


 中学時代はクラスにガールフレンドを持つ女子生徒もいた。


 まさかとは思っていたが、ジルは彩理を狙っていたのだろうか。


 ましてや恋人がいる中での浮気である。


「ええええええぇ!? そ、それだけはやめてください!」


 懇願するジルに、追い討ちをかけるように創は続ける。


「動画にする?」


 もはや彼女にとっては修羅場を伴う鬼畜の所業であることは言うまでもなかった。


「それはもっとダメです! 今すぐ外すので許してください!」


 気づくと創の目の前で土下座を繰り返すジルが彩理の目の先にいた。


「大丈夫だよ。これは秘密にしておいてあげる。それじゃあ二人にさせてもらうよ」


「うううぅ……彩理さん、さようならぁ……」

 

 がっくりしたように肩を落として、ジルとぼとぼと部屋を明け渡した。


「ちょ、ちょっとだけ、待っていてください・・・」


 その場で軽く右手を振りながら苦笑する彩理はジルを見送った。


   *


 創は布団に座る彩理の近くに腰を下ろす。

 

 向き合った創はいつもの笑顔に戻ったような気がした。


「――身体は大丈夫?」


 包帯の巻かれていない手で、創は彩理の手に触れる。


 少し前までドキドキしていたはずなのに、今はとても安心する。


 創の少し低い体温に触れることができている。


「うん。創は、大丈夫なの?」


 傷だらけにもかかわらず、創は気丈に平常を見せている。


「平気だよ」


「わたしより、身体が酷い事になってる」


 考えてみれば、彩理よりも創のほうが圧倒的に相手の攻撃を受け止めていた。


 傷の度合いが大きく異なるのは当たり前のことだった。


「ごめんね。なんとか彩理ちゃんを守ろうとした。でも、守りきれなかった」


 創は彩理へ、自らの非力さを詫びた。


「わたしの方こそ、ごめんなさい。勝手に薬を使っちゃった」


 彩理は創へ、勝手な行動をしたことを懺悔した。


「いいんだ。俺があの時油断していなきゃ――修復が間に合っていれば!」


 自責の念を抱えたまま両腕で床を叩いた創を、彩理は右手で制止する。


「――言わないで――一人で無茶しすぎだよ」

 

 彩理の目は伏せていたが、声を発する位置が定まらず、震えていた。


「でもっ……」


 創は焦りと悔しさをにじませながらも、冷静に反論しようとした。


「――もう、苦しまなくていいんだよ?」


 何かを彩理に悟られた創は瞳を見開いて彩理を凝視する。


「彩理ちゃん……?」


 次の瞬間、彩理の頬を伝うのは、体温と同じ、温かい水。


 それが大粒になってポタポタと布団に落ち、温度を失ってゆく。


 彩理が両手で顔を覆って隠しても、指の隙間から、それはこぼれ落ちてゆく。


「本当は、ずっと辛かったんでしょ……痛みを引き受けて……傷ついて……それでも隠して……笑ってて……」


 声をしゃくりあげながら必死で訴える彩理に、創はなんとか涙と止めようと笑顔を作った。


「どうしてそんなこと、言えるんだい?」


「わたし、エリシアさんに出会ったの」


 彩理の答えに、更に目を丸くした創は、彩理の両肩を抱き、驚愕した。


「まさか、エリシアに会えたのか!?」


 徐々に涙が止まり始めたのか、しゃくりあげる音の頻度が減ってきた。


「うん。創は、重いものを抱えすぎだって、言ってた」


 創は表情を作る事を放棄した。


 言葉の通り、彩理は創の持つバイオロイドの特性を習得し、同時に含まれた細胞に内在する“エリシア”の存在を見るまでに至ったのだ。


 バイオロイドの意識の中で出現するエリシアは、間接的に細胞間で情報を共有することが可能だ。


 創の秘密は既に、エリシアを通して彩理が一部を保持していたのだ。


「今まで黙っていて……ごめん……」


 笑っていた表情の上から、流れのやまない透明な感情が頬を伝う。


「やっぱり、本当だったんだね……」


 創の必死になって隠し貫いたはずの出来事は、もう秘密にしなくていい。


 創から肩の荷が降りたためか、彩理の肩を抱いた両手は脱力していた。


「もう彩理ちゃんに隠しごとはできないな」


 笑い泣きのような不思議な表情をしながら、創は温度を持つ感情を指で拭う。


 孤独感が吹き飛び、守る苦悩から大幅に解放された創の感情は混ざり方が不十分な絵の具に似た滑稽さだった。


   *


 芦川家に潜伏する中村は翌日、夢の研究室を訪れ、スフィア・プラントに関するプロジェクトの情報を夢とともに共有していた時だった。


「教授。あなたはなぜ“創”という子を創り出すことができたのか、聞かせていただけないだろうか?」


「いいけれど――かなり長い話になるわ」


「それは構わない。この事件の真相に少しでも近づきたいのだ」


「隠していてもしょうがないことだし、この際にすべてを話すわ」


 過去を話しだす夢は、法定で罪状を告白し罰を待つ被告人のそれと酷似している。


「――私が創を創ったきっかけは、今になってこの事件に繋がっているの」


   *


 涙が止まった彩理は、ついに秘めていた質問を紐解いた。


 創の思考を大きく左右したきっかけが蘇ろうとしていた。


「ねぇ、創。先生を守るために人を殺したの?」


「ああ。ずっと昔に、俺は人を殺した」

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