第5話 発現

彩理たちの足は学園に進み、そのまま夢の研究室へ向かった。


「さっき母さんからメッセージが届いて、先に研究室に戻っているみたいだ」


 研究室に到着した頃には「在室中」の看板がドアに立てかけてあった。


 ドアノブを先に握ったのは創。


「ただいまー、戻ったよー」


 創がドアを開けて間延びした第一声をあげる。


「あのー、戻りましたー」


 続けて彩理も控えめに呼びかけた。


「二人ともおかえり。デートは楽しかったかしら?」


 ついさっきの事とは別の意味で、彩理は動揺してしまう。


「ど、どこを考えてそうなるんですか。病院に行っていただけですよ」


「俺が谷崎先生の病院へ連れて行ったんだよ。しかし母さん、ベタなからかい方をするね」


 創も否定する意味合いを含めて言い返した。


「あら? 私にとって病院は一番のデートスポットだもの。好きな人と一緒に手術室を見学したり、摘出した腫瘍を観察したくならない?」


「いや、少なくともわたしは思わないです……」


 即座に否定した。


 夢のセンスが独特すぎてついていけないのが彩理の現状なのだろう。


 創はもう慣れているようだが「やれやれ」と言った表情をしている。


 研究者にはこんな人ばかりいるのだろうか。否、夢が独特なだけだと信じたい。


「ゴメンな彩理ちゃん。母さんは普段からこんな感じなんだ。谷崎先生には『相変わらずですよ』って言っておいたから」


「ありがとう創。それにしても惜しいわね。てっきりふたりはもう付き合っちゃったのかと思ったのよ」


「だから違います」


  怒りの沸点はそこまで高いわけではない彩理だが、先ほどの動揺が掻き消えず、後味が悪い状態のため少々ムキになっていた。


「母さん、俺たちはそこまで深い関係は持ってないよ」

 

 創もため息をつきながら反論した。


「それは残念だわ。せっかく生殖能力も備わっているのに、使わないなんて実験もできないじゃない」


「ちょっ、母さん!」


 創も意表を突かれたのか、吹き出していた。


「そんなことできるんですか・・・っていきなり何言うんですか!」


 彩理もツッコミに回ることになった。


「大げさなことじゃないわよ。生物が生きていくための最低限の能力の一つよ?私はこれでも男女関係なく人体の隅々まで調べ尽くして、創を作ったのだから当たり前じゃない。実験をしたことはないといっても、理論上は可能よ」


 夢の自信に満ちた姿に彩理はタジタジになってしまっている。


「先生、力説しすぎです」


 夢が研究者でなければ今頃この場から半径十メートル以上は引いてしまったであろう。


「とにかく、今だけはその実験はやめよう。彩理ちゃんはまだ十代だよ?それに俺たちは出会ったのは二週間前だ。せめて彩理ちゃんが成人するまで待たなきゃ」


 冷静さを取り戻した創が話を打ち切ろうと割り込んできた。


 先生が顎に手を当てて少し考えている。


「確かに。今この実験は無理ね。でも、新島さんが卒業したあとが楽しみね」


「だから! そういう関係じゃないですよ!」


 夢はいつまで彩理たちをからかっているのだろうか。


「母さん、いくら同性だからってそれはセクハラになりかねないよ?」


「大丈夫。慰謝料は払えるもの」


「そういう意味じゃないって。調子狂うなぁ」


 創は夢に頭が上がらないのかもしれない。


 普段は冷静で楽観的な創が、今は右手で頭を抱えている。


 創にも手がつけられないことがあるんだ、と彩理は呟いた。


「まぁいいわ。さっきも話したけれど新島さんには秋学期から私の研究を手伝ってもらうことにするわ」


 本題に取り掛かるまでの道のりだった数分は、非常に長かった。


「は、はい」


「それまでは創の常備薬を一部管理していて欲しいの」


 夢はそう言いながら、芦川先生はジーンズのポケットからおもむろに小さな鍵を取り出し、デスクの引き出しの鍵穴へ差し込んだ。


 夢が手に持っていたのは小さなピルケースに入ったいくつかの錠剤。しかし病院でもらったものとは全く違ったのだ。


 五種類の薬を飲むとは創から聞いていたが、その五つの錠剤が互いに繋がり合って正五角形を模していたのだ。


 正五角形の集合体を円に換算して直径を測るとだいたいペットボトルのキャップぐらいだろうか。それほどまでに小さい錠剤だった。


「驚いただろ?一錠ずつ飲むのも面倒だからさ、母さんがくっつけたんだよ」


 創が誇らしげに薬を紹介している。


「最初の頃、三十種類も飲むのは大変だと思って五種類ずつ塊にしたのよ」


「――すごい。こんなの、見たことないです」


 彩理は驚くばかりだった。


「そりゃあ無理もないよ。この『ロキ』は医薬品の申請もしていない、俺専用の薬だもの」


 創が当たり前のことのように道理を言ってのけた。


「ロキ』は体組織のバランスを安定させるためだけじゃないの。創の脳で指令された通りに体組織を変化させて身体能力を向上させることができるのよ」


 彩理の中で妙に引っかかっている点が一つある。


 なぜ能力の底上げを行う必要があるのだろうか、と。


「身体を安定させるのはともかく、どうして創にそんなことをしようと思ったんですか?」


 笑みを浮かべながら話していた夢の表情が、急に真面目で緊迫した表情へ変わった。


「私たちの研究はバイオテクノロジーをさらに飛躍させるための研究を続けている―――その中で技術を悪用して犯罪に使おうとする人達から守るためでもあるの」


 昨日、彩理は創からも同じようなことを伝えられていた記憶があった。軍事目的に使われかねない、と。

 目の前にあるオーバーテクノロジーは一歩間違えれば危険な存在でもある。創と夢は、危険な存在になるであろう一線を超えないように、また、自分たちがその一線を超えてしまわないように心がけているのだ。


「そしてもう一つ、俺が持っている護身用の武器がこれだ」


 彩理は創の方に目を向ける。


 創の着用しているジーンズの右側にカラビナによってつながった、小さなマジックテープ式の黒いケースから何かを取り出した。


 緑色——細かく言えばライムグリーンに輝く謎の細長い板。

 

 長さにしておよそ十五センチ、幅は創の人差し指ぐらい、厚みは―――彩理のスマートフォンと変わらないほど薄い。


「なにこれ?」


 彩理は素朴に、素っ頓狂に創へ問いかけた。


「まぁ、見ればわかるわよ」


 夢は既に理解しているようだ。


 創が右手に板を握ったまま瞑想をするかのように目を閉じる。すると持っていた板の形状が細く鋭いダガーナイフへと変形していたのだ。


 彩理の中では一瞬何が起こっているのかよくわからなかった。


「なんで――どうして?」


「“ナイフ”だけじゃないんだよ?見てな」


 彩理が目を疑っているのをよそに、創がもう一度目を閉じる―――今度は蛇腹状の形を模した道具―――いわゆるコントなどでよく見られる“ハリセン”に変形したのだ。


「——は?」


 顎が外れるほど、彩理は呆然としている。


 ライムグリーンの“ナイフ”を見せられた時とはうって変わって間抜けな姿へ変わったことに、驚いていいのか素直に笑っていいのか―――はたまたその“ハリセン”を取り上げてツッコミを入れるべきなのか、彩理は悩んでしまった。


「あれ、スベった? ここはツッこむところだと思ったんだけどなぁ」


 苦笑しつつ創は左手の指で頬を掻いた。


「創。残念だけど見事に滑ったわ」


 あちゃー、と今度は夢が頭を抱えていた。


「面白いんだけど・・・どう反応したらいいかわからないよ」


 結局彩理の表情は、苦笑を選択することにした。


 滑ったことが恥ずかしかったのか、顔を赤くした創は、一つ咳払いをして説明を始めた。


 ハリセンと化していたバイオツールは一本の長い金属板へ戻っていた。


「今見てもらった通り、これは俺の脳の指令によって自由自在に変形できる。パソコンで言うところの本体とUSBで接続できる周辺機器みたいなものかな。さっきナイフに変えることができたのも―――ハリセンに変形することができたのも俺がこれを操作しているおかげだよ」


「これも、先生が造ったものなんですか?」


 彩理は至極当然のように夢に問いかけた。


「いえ、これは創が開発したものなの」


 驚きを隠せない彩理の表情に、夢が答えながらシメシメとばかりに笑っていた。


「うそ!?」


「嘘じゃないよ。でも、元は母さんの技術を応用しただけのことだ」


 たとえそうであっても、彩理にはついていくのが困難なほど進んだ技術のようだ。


「どうやって創ったの?」


「俺がメンテナンスで使っていた培養槽の中にツールの元となった金属板を長時間浸したんだよ。すると培養槽の細胞が分子レベルで分解と結合を繰り返して金属を“生物化”させた。金属生命体―――要は体組織に金属を含む生物、だと思ってもらえればいい」


 創の目線は窓に射す光を反射させるバイオツールへ向いていた。


「培養槽を作ったのは私ではあるわ。でもこの現象を発見したのは創なの」


 またしても彩理はオーバーテクノロジーに圧倒されてしまっている。


 自分の生活には今まで存在しなかったものばかりである、と。


 人造人間。金属と生物を融合した謎の物体。今後も彩理の目の前に日常からかけ離れた技術に出会うのかと思うと、期待と不安が入り混じった気持ちになりそうだった。


「不思議な細胞だね」


「近い将来、様々な医療機器や産業機械が進歩するだろう。そしてロボットがより生物らしく……いや、人らしく動いてもおかしくない。って、俺も人じゃないけど」


「私が作っておいてなんだけど、創はずっと人らしいわよ」


 自画自賛する芦川夢。


「そうだよ。人と同じ……ううん、人以上に純粋だよ」


 彩理も創をフォローする側に回った。


 しかし創は気にせず楽観的に笑った。


「大丈夫さ。人じゃなく生まれ、創られたことに対して、俺は負い目なんて感じていないよ」


 創は穏やかな顔を崩さず、バイオツールをケースへ戻した。


「ところで創、今日の薬は飲んだの?」


 気づいたように先生が創へ問いかけた。


「まだ飲んでない。今飲んでおくよ。せっかくだから彩理ちゃんに俺がどんな風になるか見せてあげよう」


 うっかりしたように創はジーンズの左側のポケットから先ほどと同様、手のひらサイズのピルケースを取り出し、先生が見せたものと同様の薬を水も飲まずに口へ放り込んだ。


 創の喉元を通った薬は、胃の中で消化を始めているのだろうか、と彩理は観察するように見守る。


「よし、そろそろ頃合だな。刮目して欲しい」


 創はバイオツールを使う時と同様に瞑想するように目を閉じた。

化学反応による、大きな爆発とかじゃなければいいことを願って。


 その時、創の体が緑色に変わり始めた。


 服で隠れている箇所はわからないが、腕の部分が全て色鮮やかな緑色に変色し、肌の表面がゴツゴツした固く歪な模様を描いている。

それだけではない。髪の毛の緑色の色素も濃くなり、腰のあたりまでの長髪に変化した。


 そして顔には緑の細かな植物を象徴する模様が顔に彩られていた。


「すごい。なんだろう、こんなことが、現実に起きているなんて……」


「これが俺のもうひとつの姿。全身に植物の能力を取り入れて向上させるとこんな姿になるんだ。俺はこれを植物化——『クロロ』と呼んでいる」


 生物の授業で聞いた言葉が彩理には思い浮かんだ。


「クロロ……クロロフィルのこと?」


「ご名答。俺がそこから名づけた」


「『クロロ』は、創の潜在的な能力を最大限に引き出すことができるのよ」

先生は誇らしげに云った。


「例えば、こんな感じにね」


 クロロを身にまとった創は窓に向かって跳び、消えた。


 突然研究室の窓を空け、そのまま飛び降りたのだ。


 考えて欲しい——この研究室三階にあるということを。


 当たり所が悪ければ転落死、生きていても骨折は免れない高さだ。


 彩理の胸が急激に苦しくなる。


「ちょっと! 創!?」


「大丈夫よ。すぐ戻ってくるわ」


 慌てて窓へ駆け寄ろうとすると、夢が制した。


「でもっ……!」


「ただいまー」


 満面の笑みを浮かべながら創が帰ってきた。


 下の窓枠に両足を乗せてかがみ、左手で窓枠の脇を掴んでバランスをとっている。


 あけた窓から吹き込まれる風が、創がもつ緑色の長髪をなびかせていた。


「俺のあらゆる身体能力が上がるからさ、建物三階分の高さなんて簡単に着地できるし、逆に一気に跳躍してここに来ることもできる。普段はしないから特別に彩理ちゃんに見せたかったんだ」


 彩理は夢だけではなく、今度は創に大いにからかわれてしまった。


「もう。何回わたしに慌てさせるのさ」


「ごめんよ。これからも心配させちゃうかもしれないけど、許してくれな」


 創が窓枠から降りて、再び目を瞑った。


 全身から緑色が消えていく。白い布にインクが染み込む瞬間を逆再生したかのように。


 髪の色素が黒に近い緑色に戻り、いつものアシンメトリーに。


 両腕もいつもの肌色に、元の皮膚の質感に戻った。


「私からも保証するわ。私と創がいる限り、新島さんが心配する事なんてないのよ」


「わ、わかりました」


 彩理は半分納得し、半分複雑な気分で答えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る