【きずきず】私の傷、君との絆~ヒトの姿を成す者たち~

浅木大和

プロローグ

 それは絵画の描かれていないまっさらなキャンバスの世界だった。

 

 自らの視線の先には、ギリシャ神話の装束をした女性。

 

 その髪はサラサラの緑色で、腰の辺りを超えて緩やかに伸びている。

 

 自分によく似た、切れ長の両眼。

 

 その空間は、何度も見覚えがあった。

 

 幼少の頃に、その女性と初めて出会い、それ以降は不定期で、意識を閉ざした時に出現する、不思議な存在。

 

 過去の秘密を共有し、笑って泣き、すべてをさらけ出して話した相手。

 

 女性は、青年の身体を持つ自分自身に話を告げた。


「ソウ―――お話があります」


「エリシア―――改まってどうしたんだい?」


「―――暫く―――あなたへお会いすることができなくなります」


「―――そんなことか。エリシアはいつも気まぐれだからなぁ」


「―――寂しいですか?」


「―――秘密を共有できる人がいなくなるのは―――ちょっと寂しいかな」


「―――でもご安心ください―――意識が戻ったその日に、あなたを必要とする人物がやってくるでしょう―――」


「―――それは―――誰なんだ?」


「―――起きたら、家の周りを歩いてみてください―――そうすれば―――わかります」


「―――だからっ―――それは誰なんだ―――?」


「―――時間がありません―――私は行きます―――それでは―――」


「―――エリシア―――エリシア―――!」


   *


 景色が暗転する。


 瞳に入った白い空間が暗闇に染まり、強く瞼を収縮させてから開放すると、そこは自宅に付属された居間の天井だった。


 珍しく午睡をとってしまったらしい。


 身を起こして両拳を突き上げて大きくあくびをする。


 ボサボサ気味の髪の毛は前髪が片眼を隠してしまっている。


 暑い夏の日にもかかわらず、風通しの良い屋内は涼しく感じる。


「―――散歩してみるか」


 あの空間で起きた出来事を反芻しながらTシャツとデニムを身に付け、スマートフォンと財布を手に持ち、鍵をかけて家を出ることにした。


 近所に住む老夫婦に声をかけられ、丁寧に挨拶をする。


 何年も何年も住み慣れた、路地裏のある自宅と、その周辺。


 しかし、正面から周囲を歩き始めても、エリシアという女性の話した、それらしき人物は見当たらないのだ。


 直射日光の眩しい外の世界。


 照らされた光が、緑がかった髪の毛を照らし、見る者の注目を集めている。


 コンビニや新店舗の多い、発展の続く駅前の大通り。


 人通りの多い場所で散策しようにも、人ごみは妙に息苦しい。


 大通りでの諦め、再び自宅周辺に戻ってきた。


「―――予言は外れちゃったみたいだな」


 時間を使って探したことは無駄だったのか。


 考えながら自宅付近の路地裏に着いた青年は、妙な光景を目撃する。


 落ち着いた風景にふさわしくないほど、落ち着きを無くした少女がいた。


 長袖のセーラー服にスカート。


 真っ黒な長髪を持つ少女は、ここからは後ろ姿しか見ることができない。


 しかし、利き手と思われる右手のカッターナイフが眩しい陽光を反射する。


 青年にとってそれは、何か良からぬことを考えているのかもしれない。


 木漏れ日に隠れたまま青年は近づき、とりあえず話しかけてみることにした。


「おーい、そこで何してんだ?」


 止まった時間が、動き始めた瞬間だった。

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