第30話

 考えてみれば、おかしな点はあった。

 この生活を始めてから、定時にスマホで連絡を入れるのが決まりごとになっている。

 大体何時ごろに帰宅するという、同居しているのならよくある内容の連絡だ。

 今のところ残業はないので、ほぼ同じ内容の連絡ばかりだったが。

 もちろん今日も送ったし、電車が事故で遅延しているということも連絡した。

 が、いつものようなリアクションがない。

 別にそこまで厳密に約束しているわけではないので、あまり気にはしなかった。

 すぐに返事がなくても、帰宅する途中であるだろうと思ってもいた。

 しかし、改めてスマホを確認してみても、彼女から連絡はない。

「っていうか、既読にすらなってないのか」

 いつもは一分と経たずに返信が来る。

 だからこそもっと早く違和感を覚えるべきだった。

「買い出しに行ってるって可能性は、まぁあるか」

 外はすでに暗くなり始めているが、遅い時間とは言えない。

 夕飯の買い出しと考えるとやや遅いが、それでもなくはないと思う。

 いざ作ろうとしたら材料が足りなかった。

 あぁ、彼女ならそういうこともあるんじゃないかと頷ける。

 料理の腕は上達しつつあると思うし、今後の成長にも期待できる。

 ただそれとは別に、若干抜けている部分は間違いなくあるわけで。

 本人は不服そうな顔をよくするが、俺から見た彼女はそういうタイプだ。

 なので、近くの店に行っていると考えるのが一番自然だろう。

「電話は……さすがになぁ」

 確認のため電話をかけるという手もあるが、我ながらそこまでするのかと悩む。

 仮にも成人している女性が相手なのだから、子供の帰りを心配する親のように電話をするのは気が引ける。

 それに彼女はあくまで同居人、居候。

 当然彼女にもなにかしら事情や用事あるだろう。

 たとえば、普通の人では想像できない事情などが。

 一緒に生活していても、つい忘れそうになるが、彼女は正義の味方だ。

 正義の味方というのが、具体的にどんなものなのかはわからない。

 漫画やアニメ、ゲームなどにあるよくあるイメージ通りなのか、それとも全く違うものなのかも。

 それでもたぶん、一つだけ確かなことがある。

 彼女が本当に『正義の味方』だというのなら、対になる存在がいるということ。

 一言で言えばそれは『悪』であり、彼女の『敵』。

 その悪や敵となる存在がなにをどうしているのかはもちろん謎だが、彼女はそれらと戦っているということだろう。

 『悪』と戦うことこそが、『正義の味方』というものの在り方なのだから。

 つまり彼女には、戦うべき『敵』がいるということで……。

「いや、だからって、な……」

 正直、想像もできない。

 彼女がどんな風に、どんな存在と戦っているのかなんて。

 でも、俺自身が巻き込まれ、あり得ない死に方をして蘇生されたのだから……。

「一応、連絡してみるか」

 今更すぎる不安を覚えた俺は、自分に言い聞かせるように呟きながら彼女に電話をかける。

 これで彼女が出てくれれば、それで問題はない。

 まぁ、その場合はわざわざ電話したことを茶化されてしまいそうだが。

 その程度でこのなんとも言えない不安を拭えるのなら、安いものだ。

「……って、この音」

 静まり返っているリビングに、聞き覚えのある電子音が響く。

 俺は音の出所を探り、それを見つけた。

「持ち歩かなかったら意味ないだろ」

 持ち主不在のスマホを手に取り、愚痴るように呟く。

 彼女のスマホは、テーブル脇の床に置きっぱなしにされていた。

 どうやらスマホも持たずに外出しているようだ。

 別にそれならそれで構わないが、なんだろうか……。

 わけもわからず膨れ上がっていく不安に、鼓動が早くなっていた。

 息苦しさにネクタイを緩め、深く息を吐き出す。

 どうする?

 このまま待つか、近くの店に行ってみるか。

 でも、そこで彼女が見つからなかったらそれは……。

「――――っ」

 脱いだばかりの靴を履きなおそうとした、まさにその瞬間だった。

 閉まっていた玄関が静かに開き、申し訳なさそうな顔をした彼女が姿を現したのは。

「……えっと、お帰り、なさい」

 安堵を覚える声と言葉だったはずのそれが、俺の胸を締め付けた。

 理由は一目瞭然だ。

「……その、顔」

「すみません。ちょっとだけ、まぁ」

 申し訳なさそうな顔のまま彼女は僅かに笑みを浮かべ、玄関の中に入ってきた。

 着ている服は、以前ショッピングモールで買ったものだろう。

 ちゃんと見覚えがあった。

 だが、新品だった服は見る影もない。

 彼女が着ている服は至るところが破れ、そしてなにより、どす黒く変色しつつある血で汚れていた。

 そして彼女の顔も、服に負けないくらいに汚れていた。

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