第5話 少しの違和感

 次に寺島てらしまさんが来られたのは翌週中頃の、開店とほぼ同時だった。


 お盆も過ぎて残暑と言えるのに、まだ気温も湿度も高かった。もう8月も末になるのだが、まだまだ夏の気配が濃い。9月になれば、少しは涼しくなってくれるだろうか。


「この前はほんまに悪かったなぁ、茉莉奈まりなちゃん。女将おかみさんも。騒がせてしもうて」


 先週寺島さんのお母さまが乗り込んで来た時、他のお客さまにもご迷惑を掛けたと、帰り際に皆さまにお詫びをされた。その時はさすがのお母さまも素直だった。


 しかしおあいその段になると、また親子の言い合いが始まった。どちらが支払うかで揉めたのだ。


 寺島さんは割り勘、もしくは自分で飲み食いした分はそれぞれ払おうと提案したのだが、お母さまが頑として譲らなかった。寺島さんにおごってもらうことに。


「あんたが悪うて私がここに来たんやから、あんたが出すんが当たり前や」


 無茶な理論だが、結果として寺島さんが根負けしておふたり分を支払うことになった。お母さまはすっかりと機嫌を直され、軽い足取りで寺島さんと並んでお帰りになった。ちなみに伝票は念のため別々に付けていた。


「いいえ、全然。大丈夫ですよ」


「そうやで。気にせんといてねぇ。おもしろいお母さまやねぇ」


「いやぁ、気ぃ強いわ口は悪いわで、毎日言い合いですわ。ほんまに面倒で」


「そうやって言い合えるんも、仲のええ親子の証拠やんね。ほらほら座って。飲み物何にしはる?」


「生ビールで」


「は〜い。ちょっと待ってねぇ」


「お待ちくださいね。その前におしぼりをどうぞ」


 寺島さんにおしぼりをふたつお渡しし、茉莉奈は生ビールを作るために飲み物カウンタに向かった。




 今日の茉莉奈特製おこんだては、厚揚げと甘長あまながとうがらしのおかか炒めだ。角切りにした厚揚げと種ごとぶつ切りにした甘長とうがらしを、日本酒やお砂糖にみりん、お醤油で炒め、仕上げに削り節をたっぷりとまとわせた一品だ。隠し味に和がらしを使っている。


 厚揚げが持つ優しい旨味と甘長とうがらしがたくわえる甘みを、旨味を凝縮ぎょうしゅくした削り節がまとっている。日本酒にお砂糖、みりんがコクを生み、ほんの少しの和がらしが深みを出している一品だ。


 寺島さんはそれに加えて豚の角煮、おくらと切り昆布のごま和えを頼まれていた。


 豚の角煮は、豚ばらのブロック肉をしっかりと茹でこぼし、余分なあくと脂を除いている。「はなむら」では圧力鍋を使わず鋳物鍋で作るので、ふっくらしっとりと仕上がるのだ。


 日本酒をたっぷりと使うことで、豚ばら肉はほろほろと柔らかくなり、すっと歯を受け入れてくれる。


 お醤油やお砂糖などを使った甘辛い味付けが角煮の定石とも言える。だが「はなむら」では合わせ出汁も使い、ふくよかな旨味が加わる。煮汁がふんだんにみた豚ばら肉はしみじみと味わい深い。はちみつも入れているので、見た目にも艶やかだ。


 おくらと切り昆布のごま和えは、白すりごまをたっぷりと使った香ばしい一品である。ふたつのねばねば成分は残暑に疲れた身体をほっと癒してくれる。塩茹でしたおくらも切り昆布も歯ごたえが良く、しゃくしゃくとした食感が心地よい。


 わかめを始めとする海藻類の旬は春のイメージだが、昆布の旬は夏だ。この時期にはスーパーでも生食用の切り昆布が並ぶ。生の昆布は湯通しすることでそのまま食べられる。まさに夏にしかいただけない味覚なのだ。


 生食なのに湯通し? とはこの際気にしないのが、美味しいものにありつく鉄則だ。昆布はほんの少しの加工をしてあげることで、自らが持つ旨味を最大限に発揮はっきするのだ。


「あ〜、今日も旨い」


 寺島さんはしみじみと料理を味わいながら、うっとりと目を細めた。


「お口に合った様で良かったわぁ」


 香澄かすみが手を動かしながら微笑む。続けてできあがった料理を差し出した。


「はい、高牧たかまきさん、だし巻き卵お待たせしました」


「はいはい、ありがとうのう」


 ほぼ毎日来られる高牧さんも、しっかりとカウンタ席の奥を陣取っておられる。ふわりと湯気を上げるだし巻き卵を前に「こら美味しそうやの」と頬をゆるませた。


「ところで寺島くん、お母さんとは仲直りできたんかの?」


「いやぁ、仲直りっちゅうかなんちゅうか、うちではいつでもあんな感じで、あれぐらい喧嘩けんか言うほどでもありませんわ。ああ、でも祖父じいちゃんも心配しとる言われたら俺もちょっとこらえてしもうて」


 寺島さんは少し憂鬱そうに溜め息を吐いた。


「この前の写真の人と、見合いだけすることにしましたわ」


「おお」


 高牧さんが目を見開き、茉莉奈と香澄も目を丸くした。先日はあんなに拒否していたと言うのに。寺島さんにとってご祖父の存在は絶大なのだろうか。


 その時、不思議と茉莉奈の心がちくりと痛んだ。その違和感の理由が解らず、茉莉奈はつい顔をしかめてしまう。


 茉莉奈の表情を見て、寺島さんはにっと口角を上げた。


「茉莉奈ちゃん、やきもち焼いてくれたか?」


「いえ、全然」


 茉莉奈がばっさりと切り捨てると、寺島さんは「わはは」と愉快そうに笑い声を上げた。


「祖父ちゃんにしてみたら、俺が身ぃ固めてちゃんと、ちゃんとってなんやおかしいけど、祖父ちゃんにとってちゃんとしてるん見たいんやろうなぁって。祖父ちゃん歳にしてはまだ元気やし、場合によっちゃひ孫かて望めんことは無い。けど言うても俺自身が全然そんな気にならんから、まぁ少しは安心してくれたら、言う感じで」


「まぁなぁ、けど会うてみたら、めっちゃええ人かも知れんしなぁ。見合いも悪いもんや無いで。わしも見合い結婚やったしの。まぁ時代もあったけどのう」


「俺、別に見合いがあかん言うてるわけや無いですよ。まだ結婚するつもりが無いだけで。そう言や久しぶりにスーツも着るなぁ」


「あら、寺島さんのスーツ姿。それは新鮮やねぇ」


 香澄が言うと、寺島さんは「ふふん」と鼻を鳴らす。


「自分で言うんもなんですけど、俺背が高いからスーツ似合うんですわ。きっと茉莉奈ちゃんも惚れ直すと思うで」


 後半のせりふは茉莉奈に寄越よこしたものだったが、茉莉奈は無視して厨房に入り、作り置きのポテトサラダを盛り付けた。小上がりのお客さまのご注文だ。


「あらら、冷たいやんか、もう」


 寺島さんはねた様に言いながらも笑顔で、気分を害した様子は無い。いつものことである。


「ま、これも人生経験と祖父ちゃん孝行やと思って割り切りますわ。結果はまた追い追い。ちゃんと断れる様に祈っとってください。相手の人には悪いんですけど」


「わしは相手がええお嬢さんであることを祈るわ。ええ出会いやったらええなぁ」


「勘弁してください。ただでさえ乗り気の母ちゃんがなんやしそうで怖いんですから」


 寺島さんが弱り切った様に言うと、高牧さんは「はっはっは」とおかしそうに笑って、寺島さんを労わる様に背中を叩いた。


 茉莉奈は心に立ち込めかけた暗雲を振り払う様に、水分補給のために常温で置いてある水筒の麦茶をぐいと喉に流し込んだ。

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