茨姫に幸福な呪いを1

「えぇっ!? クビですか?」

「そうではない、出勤停止だ。王立学園にも王宮にも身分の高い人間が多くいるからな。呪われた身では少々問題がある」


 ウィルフレッドはカーライル邸から帰ってきて三日経っても仕事に行く気配がなく、研究室で作業をしたり、なぜか裏庭で木材や金属の板を切ったりして大きな物体を制作している。気になってシャノンがたずねるとそんな答えが返ってきた。

 ハーティア王立学園は領主の子息など身分の高い者が通う学園だ。対策をすれば安全とはいえ、呪われた身で教師の仕事はできない。同じ理由で王宮にも出入り禁止となった。ついでに、カーライル邸を襲撃した事件はまだおおやけにはされていないが、当然無罪というわけにはいかない。ウィルフレッドは処分保留の謹慎中という立場になっていた。


「心配するな。真に私を裁ける者などこの国にはいない」

「先生は時々、妙に強気ですね……」


 シャノンは少し呆れてしまう。彼女は彼のことを生真面目で潔癖症で曲がったことが嫌いな清廉潔白な人だと思っていたのだ。実際はかなり自分勝手な人だったと今回の件で初めて知った。


「ちょうどいい休暇になるな」

「先生が無職なら、私が働きに行きます!」


 ウィルフレッドに紹介状を書いてもらえば、王都で伝手つてがないシャノンでも働ける。ウィルフレッドが無職になったのなら、シャノンが働いて恩返しをするべきだと彼女は真剣に考えた。


「心配するな。私の収入の内訳で教師としての賃金など微々たるものだ。そして私は無職ではない!」


 ウィルフレッドは未成年のときから様々な魔術論文を執筆し、庶民の暮らしに直結するような『魔具』の開発をしている。彼はそれらの使用料を主な収入としているのだ。はっきり言って一生遊んで暮らしても使い切れないほどの金がある。


「もし、今回の件で財産を没収されても、私の頭脳まで奪うことはできない。新しく『魔具』を開発すれば生活に困ることなどない」

「申し訳ありません。私のせいで先生のお立場が……」

「最初から身分などないようなものだ。最終的に私が、隣国への亡命でもちらつかせれば国は私を使い続けるしかないから安心しろ」


 魔術師の亡命は国家にとって絶対に阻止しなければならない重要事項だ。ウィルフレッドがその気になれば、たとえ王国軍の大隊を敵にしても負けないという自負がある。そして暗殺も不可能だ。唯一、自ら進んで呪われてしまった『砂時計の呪い』だけが例外だった。

 シャノンは単なる彼女の家出を発端に、亡命だ暗殺だ、さらには軍の大隊だという穏やかでない話に発展させたウィルフレッドの傲慢ごうまんさに呆れる。今の話のどの部分に安心すればいいのか、彼女には全くわからないのだ。


「それより今日は、貴女とセルマに頼みたい仕事がある」

「はい! 何でもお命じください!」

「実はドミニクから連絡があったのだが……カーライル家の当主が今日、出先から帰ってくるらしい」


 カーライル家の当主は、王国軍トップである将軍の地位にある勇猛果敢な武人の中の武人だ。ここ一月ほど、国境視察で王都を離れていたのだが、その人物が王都へ帰ってくるというのだ。

 シャノンは眠らされていたので直接見ていないのだが、ウィルフレッドがカーライル邸をめちゃめちゃに破壊し、一族の若者十数人を一撃で伸したという話は聞いていた。常識で考えれば、ただで済むはずがない。


「カーライル将軍は、残念ながら話の通じる相手ではない」

「どどどど、どうするんですか!?」

「私は脳内まで筋肉でできている奴等とは違うからな。平和的に解決するつもりだ」


 武官の名門カーライル家の人間は皆、血の気が多く、将軍はその筆頭だ。ウィルフレッドの知るなかでは唯一ドミニクだけが冷静沈着な男であった。

 もし、この場にドミニクがいたら「話も聞かずに屋敷をぶっ壊したあなたが言うな」と盛大に突っ込みを入れただろう。


「カーライル将軍には異名があってだな……」

「異名だなんて、格好いいですね!」

「いや、そうでもない。……蜂蜜熊将軍というんだ」

「……? 熊は強そうですけど、蜂蜜ってなんだか可愛いですね」

「そうだろう。あの将軍と平和的に交渉するなら――――珍しい菓子が必要だ」


 ウィルフレッドはまるで勝利を確信したかのような自信に満ちた表情でそう告げた。


***


 この国で氷は大変貴重なものだ。

 天然の氷は領土の北側でなら作れるが、運ぶのも保管するのも一苦労だ。

 魔術で氷を作ることはできるが、魔術師というのはいわゆる特権階級なのだ。魔術で作った氷は一般的な庶民の家庭料理に使えるような価格ではない。

 その高級品が、シャノンの目の前に惜しげもなく大量に置かれている。

 シャノンは今まで、冬場の水たまりやうっかり置きっぱなしにしたおけの中にできた氷しか見たことがなかった。

 手に取ると、サイコロのような完璧な立方体をしていて、気泡すらない水晶のような透明度。その氷はもちろんウィルフレッドが作った物だ。


「貴女は果汁を絞れ。セルマは砂糖、塩、寒天をここに書いてあるとおりに計測しろ。誤差は十分の一グラムまで許容しよう」


 白衣のウィルフレッドが細かく書かれた書類――――のようなレシピを見ながら二人に指示を出す。真剣に作っているが、やっていることは仲良く三人でお菓子作りだった。


「大きなボウルに氷水と塩、小さなボウルに材料を入れ――――あとはひたすら混ぜろ」


 シャノンは林檎、セルマは葡萄、ウィルフレッドは牛乳をベースにした材料を一旦小鍋で温めたあと、それぞれ冷やしながら混ぜる。作っているのはシャーベットとアイスクリームだ。


「しかし、ウィルフレッド様。将軍はこんな物で許してくれるんでしょうかねぇ? いくら高級品と言っても王都では食べられる店もあるでしょう?」


 氷は高級品。使っているフルーツも有名な産地のなかなか手に入らない品種だ。とはいえカーライル家はこの国で五本の指に入る力を持っている。その当主で無類の甘い物好きだという将軍が、このような物で満足するわけがない。

 シャーベットとアイスクリームはレシピさえあれば、菓子などを作ったことのない者でも作れる単純な料理なのだから、セルマがそう思うのも当然だ。


「心配するな。本当の詫びの品は別にある! 将軍は絶対に気に入るはずだ……」


***


 ドーッカンという大きな音が屋敷に鳴り響く。三人はシャーベットの作製を終えて、余った物をおいしくいただいているところだった。


「おのれぇぇぇぇ――――! 引きこもり外道魔術師がぁぁぁぁ! わしの不在を狙うとはぁぁぁぁ! 成敗してくれるわぁぁぁぁ!」

「お館様! 落ち着いてください」


 部屋の中からシャノンがちらりと外を覗くと、漆黒の軍馬に跨る完全武装に大きな槍を持った男、そしてそれを必死に止めるドミニクが見える。屋敷の庭に大きな穴が開いているのは、男がやったものだろう。


「まったく、理性の欠片もない……」

「だだだだ、大丈夫ですかっ!? なんだかすごく怖そうな方が……」


 シャノンは大きな音とその後のウィルフレッドに対する怒号に恐怖して震える。そんな状況でもセルマはまだアイスクリームを食べている。意外と肝が据わっているのか、それとも耳が遠いだけなのかはシャノンにはわからない。


「ふむ、心配ない。私のそばが一番安全だから二人とも離れぬように」


 ウィルフレッドの指示でシャノンとセルマは玄関から怒れるカーライル将軍の待つ庭へと出る。門の前には騎乗したままのカーライル将軍がいる。黒髪に太い眉毛が特徴のその人物は、まさに屈強な武人という外見で威厳がある。軍馬の上にいるので正確にはわからないが、長身のウィルフレッドと同じくらいの身長で横幅は二倍くらいある。槍を持つ腕は丸太のような太さだ。

 カーライル家からこの屋敷まで防具をつけた軍馬に跨って、自らも武装して来たのだとしたら、道行く人々はさぞ驚いただろう。


「……いちおう、こちらから出向くつもりだったのだが」

「なにをぉぉぉぉ。貴様を屋敷ごと、木っ端みじんに粉砕せねば気が済まぬわぁぁぁぁ!」


 将軍が大型の槍を振り下ろすと、周囲に風が巻き起こり庭の芝生がまくれあがる。かまいたちのようなその攻撃は、周囲の空気を震わせながらまっすぐにウィルフレッドのほうへ向かって来る。

 だが、将軍の放ったかまいたちはウィルフレッドの二メートル手前で弾けるような轟音と共に消え去る。まるでそこに見えない壁があるようだ。弾けたかまいたちの熱量はウィルフレッドたちの反対側に飛び散り、将軍やドミニクのほうへと襲いかかる。風と土埃がおさまると、頭や顔に草や土をたくさんつけた将軍が姿を見せる。


「うぬぅぅぅぅ。やりおる!」

「相変わらず、血の気の多い……家の者が怖がるではないか!」


 ウィルフレッドは大きくため息を吐く。


「将軍! 少し、落ち着いてくれないか? このままではこちらが用意した詫びの品ごと屋敷が壊れる」

「みくびるな! カーライルの者は金や物では釣れんぞっ!」

「そうか、残念だ。この国で、いいや……世界中を探しても我が屋敷にしかない、食品保管庫なのだが? シャーベットが溶けない低温を保てる、『魔具』を使った、な……。そうか、いらないのなら――――」

「ま、まて! レイ殿がどうしてもと言うなら、話を聞いてやろう!」


 氷を利用した食品保管庫という物はあまり普及していないが、すでに存在する。また国や王国軍の施設では大型の氷室があるのだが、それらはあくまで食品を長く保存するためのものだ。ウィルフレッドの食品保管庫は氷が溶けない氷点下の温度を保てるという画期的な物だった。


「上段、下段それぞれ別の温度に設定可能だ。そして週に一度魔力を装置に注入しておけば常に一定の温度を保つ。貴殿は魔術を使えるのだから、この程度の『魔具』など簡単に扱えるだろう?」

「なっ、なんと!」


 裏庭でここ三日ほどかけてウィルフレッドが作っていた物は食品保管庫だったのだ。今、その食品保管庫は馬に引かせるためのほろなしの荷台に載せられて、いつでも持ち帰ることができるように準備されている。

 将軍が目を輝かせて食品保管庫を見入っている。怒れる将軍は悪鬼のようだったが、保管庫を見つめる将軍は異名どおりの「蜂蜜熊」だ。彼が荷台に上がり保管庫の中を確認する。保温性を高めるために、金属の板と木材を合わせて作っている重い保管庫に耐えうるはずの荷台だが、将軍が上がるとミシミシというあやしい音を立てる。

 そして上段の扉を開けて出てきた物は金属の小さな容器に小分けにされた大量のシャーベットとアイスクリームだ。下段には冷やすとより美味しくなる高級フルーツがぎっしりと詰められている。将軍は保管庫の内壁をさわり温度を確認し、感嘆のため息を漏らす。


「これほどの物とは……!」

「今回の件、穏便に済ませてくれるというのなら、その食品保管庫はカーライル家にさしあげよう」


 ウィルフレッドはすでに自分の勝利を確信している。蜂蜜熊将軍は完全に戦意を喪失し、意識の全てが食品保管庫に行っているのだ。


「うむ。レイ殿の誠意、しかと受け取った! ドミニク! 屋敷へ戻る」


 カーライル将軍はそう言いながら運搬中に破損しないようにと食品保管庫をロープで荷台に括りつける。その姿を見たウィルフレッドは「なんと単純な」とつぶやいたが、その声はシャノンにしか聞こえなかった。


「あの……レイ様? 事を大きくしないのと、損害を請求しないのは別ですからね?」


 ドミニクがそう釘を刺してから、胸元を探り、一枚の紙を出す。それはどうみても請求書だ。ウィルフレッドがそれを受け取り、さっそく目を通す。破損した石畳代、庭の芝生の張替費用、家人の治療費、など細かく項目ごとに金額が示され一番下に合計が記されている。シャノンはウィルフレッドの背後からちらりと請求書を覗いてしまった。


「いち、じゅう、ひゃく…………四百万ルードっ!? えっええ!?」


 シャノンは文字を読むのは得意ではないが、さすがに書かれている金額くらいはきちんと読める。シャノンの月収が三万ルードだったので、ざっくり計算すると十年働いても返せない金額だ。


「まぁ、仕方がないか」

「私のせいで、四百万ルード……」

「シャノンさんのせいではありませんよ? レイ様が短気過ぎるんですよ! まったく」


 シャノンは顔面蒼白になる。ウィルフレッドは解呪の代金を彼女に請求する気が最初からないようだが、上級魔術師へ仕事を依頼した場合、最低でも二百万ルードはかかるとサイアーズの魔術師協会で聞いていた。その費用、そして今回のカーライル邸修繕費が四百万ルード――――さらに将軍が破壊したこの屋敷の修繕費も相当な額になるはずだ。


「あの、私……一生かけてお返ししますね。しっかり働きます!」

「別に貴女のやったことではないのだが、まぁ『一生かけて』の部分は受け取っておこうか」

「はい! 頑張って働きます! さっそく庭の片づけをしてきますね」

「庭? あれはいい……時間が経過していない物は魔術で修復できるからな。それよりも疲れたからお茶を用意してくれ」

「はい!」


 どこか噛み合わないやり取りをしている二人、のほほんとしているセルマ、そして軍馬に食品保管庫を運ばせようとしているカーライル将軍――――それらを眺めながらドミニクは考えていた。


(魔術で直せるなら、カーライル邸うちを修復してから帰れなかったものですかねぇぇぇぇ!?)

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