ねじれた呪いはほどけない1

「グレース。ここに書かれている物を用意してほしい」

「……私、あなたの部下ではなくてよ?」


 王宮内の研究室に入るなり、ウィルフレッドはグレースに書類を押しつける。グレース・プリムローズは王宮に所属している魔術師の中でも五本の指に入るほどの実力者で人に使われる立場ではない。何人もの部下に指示を出す立場だ。

 魔術師としては間違いなく桁外れの実力を持つウィルフレッドだが、彼の肩書はあくまで教師である。グレースは金の巻き髪を手で触りながら、いちおう不満を口にする。だが、長いつき合いのウィルフレッドが態度を改めることなどありえないと知っていた。

 ウィルフレッドが敬意を払う人間はハーティアの国王と王太子くらいだろう。グレースが不満に思うのは、口癖のように「ただの教師」だといい張るのに、実際にはそれと矛盾した行動を平気でとることだ。


「……呪いはあと二ヶ月足らずで発動するのでしょう? 絶対に間に合いませんわ」


 ウィルフレッドから渡された書類に目を通し、グレースはそう断言する。リストの中に用意するのに時間がかかるものが入っていたのだ。嫌な予感がしてウィルフレッドの顔をじっと見つめる。


「それはわかっている。さらに三ヶ月猶予があるなら十分用意できるだろう?」

「さらに三ヶ月ですって!? いけませんわ! 何を考えていますの!?」


 今回の『砂時計の呪い』について王宮に残された資料を調べたのは彼女である。呪いの仕組みについては彼女もウィルフレッドと同等に理解している。

 そこから、ウィルフレッドが何をしようとしているのかを察したグレースは声を荒げた。「さらに三ヶ月」の意味は、呪いの発動が迫ったら、ほかの者に呪いを移して時間を稼ぐという意味以外考えられない。そしてウィルフレッドの性格を考えれば他人にそれをさせるはずがない。

 つまりは呪いを宿したシャノン・エイベルの代りにウィルフレッドが自ら呪われるつもりだということだ。


「同時にほかの方法も考えてはいる。あくまで最終手段だ」

「どうかしていますわ! あなたには国で一番の魔術師という自覚がありませんの!?」


 どんな理由であれ、呪いを宿した庶民の肩代わりをしてその身を危険に晒すことなどあってはならない。それは全ての魔術師に言えることだが、ウィルフレッドは実力だけなら王国一の魔術師だ。はっきり言えば、絶対に死なせてはならない重要人物なのだ。


「あの者は、もう十日も一緒に暮らしているが、何の不調も訴えない」

「その方、あの屋敷にいるんですの……!?」

「そうだ。だから呪いで死んでもらっては困る」


 グレースは信じられないという表情で黙り込む。ウィルフレッドが穏やかに暮らすためだけに造られた彼の屋敷は、今まで他人を拒んできた。魔力の高いグレースはもちろん、あえて魔力をあまり持たない者を選んで住まわせても、一週間あの屋敷に滞在できた者はいなかった。そのことがウィルフレッドを益々孤独にしていることを彼女はよく知っている。

 ウィルフレッドがシャノン・エイベルという名の女性を保護したことはもちろん知っていたが、いまだに彼の屋敷で過ごしているという事実はグレースにとって寝耳に水だ。


「わかりました。わたくしもできることは協力しますわ。必要な物の手配はすぐにしておきます」

「そうか。よろしく頼む」


 純粋に魔術師として、『砂時計の呪い』を宿す者に対し興味を持っていたグレースだが、その興味はウィルフレッドの屋敷に住んでも体調を崩さないというシャノン個人に対するものに変わりつつある。

 グレースは早いうちにシャノン・エイベルに会わなくてはと考えた。


 ***


 シャノンは夕飯の材料を買うために近所の商店をまわっていた。

 王立学園を中心としたこの地区は学園の周辺に商店が集まっている。王都の中心街のような大きさはないが、狭い範囲に必要な店が並んでいて日々の買い物をするには便利な場所だ。

 夕方になると、買い物やお茶を楽しむ生徒たちで賑わうが、昼食の時間を少し過ぎた今の時間帯は比較的人も少なく、のんびりと買い物をすることができる。

 都会に来て彼女が驚いたことは、いろいろな地域の食材が集まることだろうか。チェルトンでは近隣の村との交流はあるが、基本的には村でとれた物を村で消費する生活だった。例えば魚だったら、自分で川から調達するのが当たり前、旬の野菜を使って何日も同じような食事内容になるのも当たり前。肉は塩漬け、野菜は酢漬けにしたり地中に埋めたりと各家庭で保存食作りにいそししむのだ。

 王都では、いつでも新鮮な野菜や果物が手に入る。これは彼女にとっては衝撃だった。まだウィルフレッドの屋敷で暮らすようになって十日ほどだが、セルマに教わりながら知らない食材の調理方法を学ぶ日々が続いていた。


「シャノンさん、こんにちは」


 食材の調達を終えたシャノンに声をかけてきたのはひょろひょろとした印象の黒髪の軍人――――ドミニクだった。ウィルフレッドは今日、学園ではなく王宮で仕事をするのだと言って出かけて行った。ウィルフレッドのいないときに彼が訪ねて来ることは初めてだ。


「こんにちは。レイ先生ならお仕事に行かれていますよ?」

「知っています。今日はあなたに用事があって来たんです」

「そうなんですか? お手数をおかけしました」


 あるじは不在だが、呪いに関する話なら道端でするのはまずいだろう。そう思って屋敷に戻ってから話を聞こうとするシャノンをドミニクは引き留める。


「屋敷に入ったら、私があなたを訪ねたことがレイ様に伝わってしまいます。……別にそれでもかまわないのですが、あの方けっこう面倒くさい種類の人間なんですよね」

「……面倒くさい種類の人間ですか?」

「大した話ではありませんからここで。屋敷での生活はどうですか?」


 ウィルフレッドに知られたくないというドミニクのことをシャノンは少し警戒する。


「はい。先生にもセルマさんにもよくしてもらって、困ることはありません」

「そうですか。……ですが、もしかするとあなたは今後、とても困ったことになるかもしれません」

「一人で旅をしていたとき以上に困ったことなんて、起こらないと思うんですが……?」


 シャノンには呪いを宿して旅をしてきたことより困った状態など、全く想像ができない。仮に屋敷から出て行くように言われたとしても、ウィルフレッドの判断ならばそれに従うつもりだし、結果として牢屋行きになったとしても、かまわないと思っている。


「レイ様に相談できないようなことがあれば、ここを訪ねなさい」


 ドミニクが手渡したのは簡単な手書きの地図だ。地図の下には住所も記されている。シャノンが先日行ったばかりの中心街から少し東へ行ったところにある上流階級の屋敷がある地域だということは読み書きが苦手な彼女にもわかる。もしこの場所に行きたいのなら辻馬車の馭者ぎょしゃに見せれば連れて行ってくれるだろう。


「か、らい? ……カーライル邸? ドミニクさんのお家ですか?」

「いいえ。私は分家の人間なので、正確には違います。ですが、いつ訪ねて来ても通すように言ってありますので」


 ドミニクという人間は、いつも柔和な表情をして口調も柔らかい。だが、シャノンが困らないように手助けをしてくれる人間だろうか。彼の職務はウィルフレッドの護衛――――ウィルフレッドは監視だと言っていた。私情で助けてくれるほどシャノンとドミニクは親しくないはずで、職務だとしても助ける理由はない。

 だからシャノンは、彼がウィルフレッドのために動いているのだと理解した。


「私がレイ先生にとってよくない存在だということですか?」


 シャノンははっきりとしない物言いが苦手だ。だから、単刀直入に言う。それに対し、ドミニクは驚くことも表情を変えることもない。


「今、そうだとは言っていません。もしそうなった場合には屋敷を出ろという意味です。あの方は情に厚すぎるところがありますので、あなたが自主的に出て行きたくなっても阻止するはずですから」

「わかりました」

「……ご理解いただけて光栄です」


 シャノンはウィルフレッドの負担にはなりたくない。だからドミニクの地図を受け取るが、彼の言うとおりにはならないと思った。

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