雪の中、ただ君を待つ

夏蜜

謎の少年1

 早朝の通学路に雪がちらつく。バス停へ行くまでのわずかな距離を、遠夜はわざと時間をかけて歩いていた。街路灯は未だ消えず、ぼやけた光を道端に放つ。その下をくぐる人々は、冷気から一様に顔を背け、肩をすくめて足早に通り過ぎてゆく。

 遠夜は裏路地を抜け、表通りに出た。一台のバスが目の前を過る。座りきれずに立つ乗客を揺らしながら、バスは道路の曲線に沿って見えなくなる。本来なら、乗っているはずのバスだ。書籍を片手に吊り革を握る青年が、つい秋頃までの自分と重なる。

「隣、いいですか」

 うっかり寝過ごしたその朝、たまたま声を掛けてきた学生と隣り合った。仕方なくいつも利用する車両ではなく、一本ずれた時間帯のバスに乗り込んだ日だった。伏し目がちな目もとが印象的な少年は、腰を下ろすなり真っ白に覆われたマフラーをはずす。彼が遠慮がちに雪を振り落とすと、バスは一瞬震えを起こして動きだした。

 車内は、いつもに比べて空いている。二十分ほど時間が遅いせいだろうか。二人掛けのシートに余裕があるのは珍しい。最後列の前の席を少年が選ばなければ、一人で余裕を持って座れたのにと遠夜は思う。景色を眺める振りをしながら、窓にうっすら反射した横顔を疎む。

 遠夜は本を読む気にはなれず、様変わりした街の景色に焦点を合わせた。

 先月末に初雪が舞い降りてから、降り止まずに積もる雪。秋には真っ黄色の銀杏を連ねていた街路は、今ではすっかり葉の落ちた梢に雪が被さり、侘しげである。木枯らしに吹かれていた朽ち葉は雪の下で眠り、その上を、足取りの鈍い人々が白い息を立ち昇らせながら行き交う。長い冬を迎えて間もない時期の、憂鬱な溜め息が聞こえてきそうである。

 遠夜は少年に気付かれないよう、密かに溜め息をついた。吐き出した息によって景色が霞む。コートの袖で曇った窓を拭うと、視線がまた少年にフォーカスを当てた。微動だにせず正面を向く彼の姿がふと映しだされたからだ。

 少年が微かにこちらを向いた気がした。初めは気のせいだろうと思った遠夜だったが、さらに彼を見ていると、今度ははっきりと、少年がガラスを通じて視線を合わせているのだと判った。おもむろに振り反ると、彼は確かに遠夜へ微笑みかけている。

「……何?」

 遠夜は幾分、声を低めて訊いた。見知らぬ少年に露骨に見つめられるのは、あまりいい気はしない。無言のまま、遠夜は少年としばし見つめ合った。いくらか体が温まってきたためか、彼の頬に赤みが差している。

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