第6話 語らい②

「さて、どうしたものかな」

 食事を済ませた後、リタはシオンに借りた薄いマットの上で仰向けに寝転がりながら、これからのことをぼんやりと考えていた。

「この洞窟を脱出して、それから町に戻るのでしょう?」

 荷物を整理しながらシオンが訊ねる。ホムラは既に筒の中に引っ込んでいた。

 天井を見つめたままリタが小さく首を振る。

「あそこには、マイクがいる」

「あっ、そうか…困ったわね」

 シオンも何が問題なのかを理解し、手を止めて考え込んだ。

 このまま町に戻ったとして、どんな顔をしてマイクと顔を合わせれば良いのか。致命傷を負わせたはずのリタが無傷の状態で町に舞い戻れば、マイクは顔面蒼白になるに違いない。問題はその後だ。

「傷跡が綺麗サッパリ無くなっちまってるからなあ…いや、綺麗に治ったのは良いんだよ」

 ボヤいてからすぐにフォローを入れる。

 しかし実際、リタの身体に傷跡が無いとなると、マイクによるリタの刺殺未遂事件を信じる人間は、せいぜいがメアリーくらいなものだろう。それでなくとも、マイクには人望がある。

 かといって、マイクの罪を不問として、何事も無かったかのようにあの町で賞金稼ぎを続けることは、おそらくリタにはできない。

(もう、あの町を出るしかねえのかな…)

「あーあ、どうしようかな」

 陰鬱な気分を振り払うようにワザと大げさな声を出して空元気を出す。

 しばし沈黙が流れ、熾火がはぜる音だけがふたりの間に響く。

 しばらくして、躊躇いがちにシオンが口を開いた。

「ねえ、聞いて良いかしら?」

 リタは目だけでシオンの言葉を促す。

「エディというのは、誰なの?私てっきり、あの男がエディかと思っていたけど」

「ああ、そのことか」

 リタは、意識を失っている間に見たフレイムポピーの夢を思い返した。

 目を閉じて、遠い思い出に耽る。

「エディ…エドワードは、俺の兄だ。もう死んじまったけどな」

 エディの夢を見ることなど久しく無かったのに、あの時何故、エディが夢に出てきたのだろうか。

「エディも賞金稼ぎバウンティハンターだったんだ。魔法は使えなかったけど、剣の腕は相当良かった」

 少しずつ記憶の糸を手繰り、浮かび上がった順にポツポツとエディの断片を語っていく。

「外では荒くれ者の賞金稼ぎだったエディも、家に帰ると優しかったぜ。毛むくじゃらのぶっとい腕で、絵本を読んでくれたりもしたな」

 遠い国のおとぎ話を語るエディの穏やかで心地良い声が蘇る。

『ずっと南のそのまた南、千の花々が咲き誇る常春の国に、可愛らしい妖精の王女様が暮らしていました』

(こんなこと、賞金稼ぎになってからは全然思い出さなくなっていたな)

「エディは、賞金首の魔法使いに殺された。もう3年以上前のことだよ」

 リタはなんの感情も込めずに淡々と語る。狂おしい程の悲しみも、己の身を焼き尽くさんばかりの怒りも既に過ぎ去り、今はただ、エディは死んだという事実だけがリタの中に横たわっている。

「俺はそのまま賞金稼ぎになった。剣の使い方はガキの頃からエディに教えてもらっていたし、しかも俺は魔法が使えたからな」

「お兄さんは、どうしてリタに剣を教えていたの?」

 少しだけ驚いた様子でシオンが訊ねた。 「エディは、俺が賞金稼ぎとして生きていけるようにと考えていたんだと思うぜ。はっきりと言われたことは一度も無かったけどな」

 リタには生まれつき、強力な魔法の力が備わっていた。それも、炎を自由自在に操る力が。加えて生来の気性の荒さもあり、普通の町娘がするような仕事はリタには不向きであると考えたのだろう。また、リタが娼館で働くような境遇を選ばずに済むようにという意図もあったのかもしれない。

「それでも、賞金稼ぎを始めた頃は失敗続きだったぜ。剣と魔法がちょっと上手く使いこなせる程度じゃあ賞金稼ぎは務まらないんだな、これが」

 そんなときにリタに近づいてきたのが、あのマイクだった。

『同じ魔法使いの賞金稼ぎとして、仲良くしようぜ』

 そう言って握手を求めて右手を差し出してきた光景が、裏切られた今でも、まるで昨日のことのように鮮烈に思い出せてしまう。

「マイクはな、右も左も分からなかった俺に、色んなことを教えてくれたぜ。道具も譲ってもらったし、分け前が減るのも構わずに仕事に誘ってくれたりもした」

 マイクに付き従って賞金稼ぎをしていた頃のことを思い出し、リタの胸がズキリと痛む。

「でも、この数ヶ月間のマイクの態度は、確かにおかしかった。よそよそしいというか、あんまり俺と絡んでくれなくなったな」

 漠然とした違和感を感じながらも、きっと忙しいだけだと、たまたま仕事のタイミングが合わないからだと、心のどこかで自分に言い聞かせていた。

 だが、違和感は的中していた。

(最初から、俺の炎の魔法を利用しようとしていただけだったんだな)

 リタはごろりと焚き火側を向いて、少しだけ身体を縮こまらせた。熾火のじんわりとした暖かさが、マイクの裏切りに対する失望や悲痛な気持ちを、多少なりともごまかしてくれるような気がする。

「マイクは、俺のことなんか、好きでも何でもなかったんだなあ」

 シオンは何も言わなかった。ただただ、リタの話に耳を傾けている。

 再び、熾火がはぜる音だけがふたりの間に響いた。認めたくなかった事実をいざ口に出してしまうと、もうそこから目を逸らすことはできない。芯から冷え込むような侘しさが身体の隅々までしんしんと広がり、遣る瀬無い感情で胸の中が満たされていく。

 そんなリタに、シオンがそっと声をかけてきた。

「リタは、マイクのことが好きだった…?」

「え、そりゃあ…」

 シオンの質問に少しだけ考え込み、その意図を察すると、可笑しさのあまり思わず吹き出す。

「あはは!好きか嫌いかで言ったら、そりゃあ好きだったよ!でも、そういう好きじゃねえよ」

「ああ、そうなの」

 シオンはホッとした表情を見せる。

「もしそういう意味の『好き』だったら、傷口は相当深いだろうなって思って」

「これでもかなり傷ついてるけどな」

「わ、分かるわよそれくらい」

「いや、いいよ。お前らしくて」

 リタはクスクスと笑い続ける。悲しみは相変わらず胸の中を満たしてはいたが、シオンの少しばかりズレた励ましと、出会って間もない相手に「らしさ」を感じ取ってしまうことの可笑しさが、リタの沈んだ心を引き上げてくれる。

「なあ、シオン」

 リタは身体を起こして座ると、気持ちを切り替えようと別の話題を振った。

「旅って楽しいか?」

「うーん、そうね…」

 シオンは少し考えた後、ゆっくりと答えた。

「故郷とは違う、色んな国や都市の文化を見たり知ったりすることができるのは、私は楽しいと思うわ。それに、ホムラが一緒だし」

 そっとホムラの入った筒に手を添える。

「でもね、リタ」

 シオンはリタを見た。

 思いがけず真剣な目つきに、リタはたじろぐ。

「もし、あなたに居場所があるのなら、簡単に手放すべきではないわ。自分の居場所があるって、かけがえのないことなのよ」

 それから、ポツリと呟くように付け加えた。

「故郷にはもう、居場所が無かったから」

 シオンの顔に陰が差し、すぐに消える。

 シオンがリタに問いかけた。

「それとも、どこか行きたい場所があるの?」

「そ、それは…」

 リタは言葉に詰まる。

(シオンこそ、どこか目指す場所があるっていうのかよ)

 質問に質問で返そうとして、しかしリタはそれをするのを止めた。

 シオンには、無いのだろう。

 1人と1匹の、気ままで当ての無い旅路。

 それを察していながら敢えて質問するほど、リタは意地の悪い性格はしていない。

 しかし、このまま言い返せないのは悔しい。

(行きたい場所…)

 リタは必死で考える。居場所を捨ててまで求めるに値する旅の目的地とは、どのようなものなのか。

 ふいに、エディの声が蘇ってきた。

『ずっと南のそのまた南、千の花々が咲き誇る常春の国に、可愛らしい妖精の王女様が暮らしていました』

 次に、夢に見たフレイムポピーの群生が脳裏に浮かぶ。

「…花」

 リタは思わず呟いていた。

「色んな花が、たくさん咲いているところを見てみたい」

 シオンが目を見開いた。熾火がひときわ大きくはぜる。

 リタがハッと我に返った。

「あ、いや…」

 リタは急に恥ずかしくなった。カッと全身が熱くなる。

 そんなリタに追い討ちをかけるように、シオンがポロリと感想を漏らした。

「意外だわ…」

「意外ってなんだよ!失礼だな!」

 思わず立ち上がる。顔が紅潮していることが自分でも分かった。

「ごめんなさい。悪い意味じゃないのよ。その、可愛いなって思って」

「は?」

(俺が、可愛い?)

 可愛い。かわいい。シオンの言葉が頭の中で反響する。

「…ええい、もう寝る!」

 たまらなくなったリタは背を向けてマットの上に寝そべると、薄いタオルケットを頭から被った。

 シオンはそれ以上何も言ってこない。

 しばらくして、静かな寝息が聞こえてきた。リタは、自分だけが取り乱したことに不公平感を募らせる。

 どうすればシオンを恥ずかしがらせることができるかを考えているうちに、リタも深い眠りに落ちていった。

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