第4話 シオンとホムラ

 フレイムポピーが光っている。

 タッタッタッタッタ…

 フレイムポピーが咲き誇る真っ暗闇を駆け抜ける。

 タッタッタッタッタ…

 肩まである髪が顔の横で揺れる。リタは幼子に戻っていた。

 フレイムポピーの群生はどこまでも続いているのに、辺りはちっとも明るくならない。

 タッタッタッタッタ…

「ーー」

 だあれ?

 小さなリタは立ち止まって振り向く。

 誰もいない。

 前を向いて再び走り出す。その途端、足元の地面がぐにゃりと歪んだ。

 どぼん

 リタは水の中にいた。

 ばしゃばしゃ、ばしゃばしゃ。

 もがいて、もがいて、もがいて。

 もがけばもがくほど、ねっとりとした水が腕や足に絡みつく。目や鼻や口の中に無理矢理ねじ込んでくる。

 助けて。

 それでもリタは全身全霊で抗う。

「ーー」

 ふいに、誰かの手が両脇を掴んで、水中から力強く引き揚げた。

 ざぱあ

 たかいたかいをされるように、小さなリタは高く掲げられる。

「リタ」

 今度ははっきりと聞こえた。リタはとても嬉しくなる。

 笑いながら、その人の名を呼んだ。

「エディ!」



「エディ…」

 夢とうつつを行きつ戻りつしながら、リタは徐々に意識を取り戻した。

 青い光で照らされた岩壁が目に入る。

(どこだ…?)

 そろそろと視線を右に動かす。

 そこには、さっきまでリタが必死に追いかけていた女がいた。

 女は手のひらを合わせてリタの顔を覗き込んでいる。

「えっと…」

「賞金首!!」

 女が話しかけるのとほぼ同時にリタは飛び起きた。戦闘態勢をとって短剣を抜こうとしたところで、腰からナイフホルダーが外されていることに気がつく。

「おい、俺の得物をどこへやった!」

 思わずカッとなって叫ぶ。

「ちょ、ちょっと落ち着いてちょうだい」

 女はリタの迫力に及び腰になりながらも、そばに置いてあったナイフホルダーをそろそろと差し出した。

「寝かせるときに邪魔だと思ってー」

「返せ!」

 言い終わるのを待たずに女の手から奪い取って距離を置く。

 女はムッとしたような表情を見せた。

「あなたねえ!命の恩人に対して失礼なんじゃないかしら?」

「はあ?何を言ってー」

 リタは途中で言葉を切った。

「…ん?」

 しばし黙考し、バッと自分の背中を確認する。 「…傷が、治ってる?」

 確かに革のベストには、ナイフが刺さった痕跡が残っている。裂け目がひとつと、その周辺にうっすらと残る血の跡。

 しかし、現にリタはこうして普段と変わらずに動くことができている。痛みも全くない。服を脱いで確認するまでもなく、傷が完全に癒えているのは明らかだった。

 そして、思い出す。

(そうだ、マイクにられたんだった…)

「……」

 ナイフホルダーを手に持ったまま、その場でずるずるとしゃがみこむと、膝を抱えて顔を伏せる。

 さっきまでの勢いは完全に消え失せ、何もかもがどうでも良いという気持ちになっていた。

「あの~」

 意気消沈するリタに、おずおずと女が声をかける。

「……」

「えーっと…そうだ、どうして服が乾いてるのかとか興味ないかしら?あと、どうやってあなたを生き返らせたのかとか…あなた、ほとんど死んでたのよ」

「……」

 リタがチラリと女を見た。女は得意気に何かを見せびらかしてくる。

「これ!マキモノっていうんだけどね、この中に色んな種類の妖術、つまり魔法が収められているの!凄いでしょ?私の師匠が作ったのよ」

 女は一方的に喋りながら、マキモノと呼んだ細長い巻紙を伸ばしてみせる。

「えっと、使い方は」

「どうして」

 リタが低い声で言った。いかにも投げ遣りといった雰囲気が、その全身から全方位に向けて発せられている。

「どうして、俺を助けた」

「どうしてって…」  女は困ったように顎に手を当てて考えた。

 しばらくして、ボソリと呟く。

「…話し相手が、欲しかったから」

「……」

「…嘘。ここを脱出するのに、あなたの力が役に立つと思っただけよ」

「…あっそ」

 リタは表情を変えずにそれだけ返す。女の軽薄な態度に少々呆れつつも、わざわざそれを指摘する気力は今のリタからは消え失せていた。

「ええ、それだけ?」

 女はリタの素っ気ない態度にあからさまに肩を落としてみせる。そして、また何か思いついたのか、すぐさま顔を上げてパチンと手を合わせた。

「あっ、そうだ」

 女は腰に提げていた緑色の筒に手を添えた。筒の口は開いている。

「出ておいで」

 そう言ってトントンッと指の腹で優しく筒を叩いた。筒の中から何かの小動物が顔を出す。

「キュイ?」

「うわあ!ネズミ!?」

 尖った鼻面にリタは思わずのけぞった。尻餅をついたまま少しだけ後ずさりする。

「ネズミじゃないわよ」

 女はクスリと笑って小動物の前に手を差し出した。それはするりと筒から這い出て、小さな足をちょこまかと動かして肩まで一気に駆け上がると、真正面からリタを見据えて高い鳴き声を発した。

「キュキュイ!」

「な、なんだあ、こいつは?」

「紹介するわ。管狐のホムラよ。よろしくね」

「くだ、ぎつね?」

 リタはまじまじとその小動物を見た。

 それは確かに狐だった。ただし、リタが知る狐よりもずっと小さく、身体も細長い。顔つきを除けばむしろイタチに似ている。青い光のせいで正確には分からないが、どうやら毛皮の色は濃いめの橙色のようだった。

「ホムラとはね、ずっと一緒に旅をしているの」

 女がホムラの顎の下を優しく撫でてやると、ホムラは小さく鳴いて気持ちよさそうに目を細める。女に全幅の信頼を置いているらしい。

「ホムラという名前はね、『燃え盛る炎』を意味するのよ」

 女は人懐っこくリタに笑いかけた。

「あなたとお揃いね」

「…あのさあ」

 リタは今度こそ心底呆れて訊ねた。

「5日前のこと、覚えてる?」

「ええ、覚えてるわ」

「俺は賞金稼ぎで、お前は賞金首なわけなんだが」

「でも、私を捕まえようなんてこと、もう考えてないでしょ」

 小さく首を傾げてこちらを見ながら、さも当たり前の事とばかりに返してくる。

(なんなんだ、この女)

 リタはそれ以上何か言うのを止めた。小さくため息をついて立ち上がると、気怠げにナイフホルダーを装着した。

 その様子を興味深げに眺めながら女が訊ねる。 「ねえ、名前を聞いても良い?」

 そう言って胸に手を当てる。

「私の名前はシオン。あなたは?」

「…リタだ」

「良い名前ね。よろしく、リタ」

 シオンが柔和な笑みを浮かべて手を差し出す。リタは躊躇いがちにそっとシオンの手を握った。 「ん、よろしく」


***


「それで、ここは一体どこなんだ?」

 リタが周囲をキョロキョロと眺めた。天井付近に青い蛍光石が埋め込まれていることと湿気が多いこと以外は、《大坑道》の洞窟とあまり変わらないように思える。

 リタは少し離れたところに濁った水が溜まっているのを見つけた。マイクに濁った湧水池に突き落とされたことを思い出す。

「まさか、あそこから入ってきたとかじゃねえよな」

「そのまさかよ」

 シオンは宙で絵を描くように指を動かしながら説明を始めた。

 まず、コップのような形を宙で描く。

「あそこ、実はここと繋がってるの。10mくらい潜ったところに横穴があってね」

 そのままツツッと指を横に滑らせる。

「そこから30mくらい泳いで…」

 終いにクイッと斜め上に指を跳ね上げた。

「3mくらい浮上すると水面、つまりあそこね」

 今度はシオンが水溜まりを指差す。

 リタは信じられないという思いで水溜まりとシオンを交互に見つめた。

「今、とんでもないことをすごく簡単に言ったな…」

 シオンがフフンと得意そうに笑う。

「私、泳ぐの得意なの。小さい頃から師匠に鍛え抜かれたから。と言っても、あなたを連れて泳ぐのはちょっと大変だったけれど」

 リタはぞっとして自身を掻き抱いた。リタはほとんど泳げない。潜水など以ての外だ。

「リタ、あそこから戻ることはできそう?最初に3m潜らなきゃいけないけれど」

「絶対無理」

 リタは即答した。

「うーん、それなら、やっぱり別の出口を探さなきゃいけないわね」

 シオンは水溜まりとは反対方向を指した。

「行きましょう。奥に何かあるかもしれないわ」

 シオンは壁際に置いてあった背嚢を背負って洞窟を進み始めた。リタも後に続く。

 青く照らされた洞窟を、ふたりは黙々と進んでいく。

(こんなところがあったんだな)

 数mごとに埋め込まれた青い蛍光石を眺めながら考えを巡らせる。《大坑道》が先住民の造ったものであるなら、当然ここも先住民の造ったものなのだろう。先住民が意図的に隠したのか、たまたま入植者たちの目をかいくぐってきたのかは分からない。ただ、それよりも気になるのは、どうやってシオンがここへ繋がる道を見つけたのかということだ。

 リタはシオンの背中で揺れる大きな背嚢をじっと見つめた。軍用品に見えるが、この国で手に入れたものだろうか。あの異国装束ではどこにいてもとても目立ちそうなものだが、普段はこの国の衣服を着ているのかもしれない。

 シオンの少し先を、肩から降りたホムラがちょこまかと走っている。ずっと旅をしてきたと言っていたが、そもそもふたりはどこから来たのだろうか。管狐という生き物も、そこでは当たり前なのだろうか。

 気になることは山ほどある。特に、シオンとこの場所の関係について、何か引っかかるものを感じる。しかし、今のリタにはシオンを質問責めにしようという気持ちはなかった。

(マイク…)

 兄貴分と慕っていた男の顔を思い浮かべ、すぐさま打ち消す。

 ふいに、ホムラが身を翻して走ってきた。

 ちょこんとリタの前で立ち止まる。

「なんだよ」

 数秒間だけ見つめ合うと、ホムラは再び身を翻して走り去り、今度はシオンの肩に登った。

 シオンがホムラを撫でながらリタを振り返る。

「リタのことが気になるのね」

「警戒してるんだろ」

 ぶすっとした口調で返す。

「お前よりよっぽどしっかりしてると思うぜ」

「確かにそれはよく思うわ」

 シオンはクスリと笑って肯定する。

 それから10分ほど歩いたところで広い空間に出た。

「うわあ…!」

 眼前に広がる光景にシオンが驚嘆する。

「なんだ、ありゃ」

 シオンに追いついたリタが目にしたのは、岩の地面を長方形にくり抜いて造られた池のようなものだった。リタ達とは反対側の縁には何かの肉食獣を象った石像が設置され、その大きく開いた口からは大量の水が迸っている。池から溢れた水は洞窟の壁際に掘られた浅い溝に流れ込み、どこかに排水されているようだった。

 シオンは小走りに池に駆け寄り、湛えられた水に手を付けた。

「うん、良いお湯加減ね」

「それ、暖かいのか?」

 リタはシオンの背後から池の中を覗き込んだ。確かに、表面に湯気が漂っている。加えて、少し濁っているため、どのくらい深いのかがよく分からない。

 シオンは背嚢を壁際に置くと、上腕に巻いた黒い布を外し、足に結わえていたサンダルのようなものを脱ぎ捨てた。続いて、親指だけが別れた靴下状のものも脱ぎ捨てる。

「…何してんの」

「そこに入るの」

「はあ?」

 呆気にとられるリタをよそに、シオンはみるみるうちに衣服を脱ぎ捨てて一糸纏わぬ姿になると、なんの躊躇もなくお湯の中に足を浸けた。

「あら、中に階段が付いているわ」

 そのままザブザブと進んで肩までお湯に浸かってしまう。

「はあ~」

 ふにゃりと表情を崩して悦に浸るシオンを、リタはかける言葉を思いつかぬまま、ただただ眺めている。

 シオンはその場に立ち尽くすリタに気がつくと、あっと口に手を当てた。

「あら、ごめんなさい。久し振りの温泉についついはしゃいじゃって。ねえ、リタもご一緒しない?」

「は、それって、俺もその濁ったお湯に入るってこと…?」

「そうよ。私だけ楽しむのは申し訳ないわ」

 ニッコリ笑って手招きするシオンに、リタはもうどうにでもなれという気持ちで服を脱ぎ出した。が、シャツのボタンを外そうとしたところで手が止まる。

「あのさ…やっぱり恥ずかしいというか…」

「そういえば、この国の人ってあまり人前で裸になったりしなかったわね」

「普通しないと思うけど」

「その中にタオルが入っているから、使って良いわよ」

 シオンが背嚢を指差す。そんなに簡単に荷物に触らせて良いのかという疑問は口には出さず、言われたとおりに背嚢を探ってタオルを取り出すと、残りの服を全て脱いで腰にタオルを巻き付けた。

 池に近づき、そっと足先をお湯の中に入れてみる。

「…ほんとだ、暖かい」

 そのままゆっくりとお湯の中を進み、池の中の階段部分に座った。

「どう?気持ちいい?」

 シオンがひとつに結っていた髪をほどいて湯の中で押し揉みながら話しかけてくる。

「よく分かんねえ」

 答えながらバシャリとお湯で顔を流す。心なしか、普通の水で洗ったときよりも汚れが落ちているような気がする。

 リタはそれとなくシオンを見た。シオンの動きに合わせて、お湯がちゃぷちゃぷと胸の辺りでたゆたっている。

「…デカいな」

 思わずリタは口にしていた。シオンがキョトンとしてリタを見る。

「っ!いや、何でもねえっ」

「デカいって…ひょっとして、私の」

「だから何でもねえってば!」

 とっさに目の下まで湯の中に潜って気まずさをやり過ごそうとする。

「気にすることないわよ。私の故郷では、大きいより小さい方が控え目で良いなんて言われて」

「俺は全く気にしてねえよ!そういうことじゃねえ!」

 湯から顔を出して反論する。湯に浸かったせいか、やけに身体が熱い気がする。

「私はかわいいと思うわよ」

「だーかーらー!」

 そこまで言って、リタはハッと気づいて再び目の下まで湯の中に没した。

(俺は、一体何をしているんだ)

 賞金稼ぎであるはずの自分が、あろうことか賞金首とお近づきになっているこの状況。しかも、出会って間もない異国の女と互いに裸体を晒し合うという、賞金稼ぎとしてあるまじき、警戒心の欠片も無い行動。いくらマイクの一件で弱り切っていたとはいえ、勘が鈍り過ぎている。

 そんなリタの心中など露ほども知らないシオンは、ゆったりとした手つきで艶やかな長髪を高く纏め上げた。

「はあ、やっぱり温泉は最高ね。ちょっと大変だったけど、やっぱり来て良かったわ」

「…ん?」

「あっ」

 シオンがしまったという顔で慌てて視線を逸らしたのをリタは見逃さなかった。

 サッと背嚢に目を向ける。

(…そうか)

 ふいに、違和感の原因が分かった。

 リタはザパアっと勢い良く立ち上がると湯をかき分けてシオンに詰め寄った。

 睨みを利かせて無言でシオンを見下ろす。

「な、なにかしら?」

 シオンがリタを見上げてへらりと笑う。

「…最初から、この場所に来るつもりだったんだな」

 グイッと顔を近づける。

「話せ。何もかも、全部だ」

「……はい」

 火を吐かんばかりのリタの気迫に気圧され、シオンはコクコクと素直に頷いた。

「キュ?」

 背嚢のそばで毛繕いしていたホムラは、顔を上げてシオンとリタの様子を確認すると、すぐに興味を失って毛繕いを再開した。

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