第2話 邂逅

 リタはソファにどっかと腰掛けて応接室の中を見回しながら、ぶつぶつと悪口あっこうを吐き捨てた。

「結構なお屋敷じゃねえか。流石はウォルター・ザ・ウォーターだ」

「おい、それ絶対本人の前で言うなよ」

 同じく隣に腰掛けたマイクが窘める。

「分かってるって」

 耳の下まで伸びた毛先を指でくるくると弄びながら生返事をする。

 この屋敷の主であるウォルター・スミス氏は、広大な土地と牧場、そして鉱山を所有する大富豪である。そして、一応は今回の仕事の依頼主ということになっている。

 リタとマイクが屋敷に辿り着き訪いを告げると、使用人によりこの応接室に案内された。それから30分ほど経過したが、スミス氏は未だに現れない。

 リタは改めて部屋の中を観察した。床には朱色のカーペットが敷き詰められ、天井には豪奢なステンドグラスが吊り下げられている。目の前の壁には異国の街並みを描いた風景画が掛けられ、その隣にはリタの身長と同じくらいの振り子時計が据え置かれている。背後の壁には幅の広いキャビネットが設置され、ガラス細工や小さな彫像、白磁の壷など何やら高価そうな品々がこれ見よがしに並べられている。そして、部屋の中央を陣取るのは、樫材のローテーブルと、カーペットと同じ色で布張りされたソファだった。

 部屋の中を見飽きたリタは、今度は向かって左の張り出し窓に目を向ける。

「あれもそうなのかな」

 リタに倣いマイクも窓の外を確認する。

「ああ、そうだな。ありゃ完全に道楽だろう」

「ケッ」

 リタが悪態をついた。

 窓の外に見えるのは「気球」という名前の大きな乗り物だった。構造は至って単純で、巨大な正方形の駕篭に巨大な布袋がロープで繋がれているだけである。なんでも、一切の魔法を使うことなく空を遊覧することができるという触れ込みらしく、実際に大都市の上空を浮遊したという噂を、リタも何度か町で耳にしたことがある。しかし、まさかスミス氏が所有しているとは思わなかった。

「ウォルター・ザ・ウォーター。ウォーター様々じゃねえか」

 ウォルター・ザ・ウォーター。スミス氏に対する軽蔑を含んだこの不名誉な二つ名は、彼がこの一帯の水源を独占していることに由来する。

 一族以外の人間からは高額な手数料を徴収する一方、自己所有の牧場や屋敷内では文字通り湯水の如く好きなだけ水を使っている。

 そうして稼いだ金で莫大な財産を築き上げ、応接室にある様々な調度品や気球を購入したというわけだった。

(あんなんで一体、どうやって空を飛ぶんだ)

 一度だけ新聞で目にした挿絵の中では、布袋は水滴を逆さまにしたような形をしていた。しかし、今リタが目にしている気球の布袋は、完全にしぼんだ状態で芝生の上に寝かされている。

(まあ、俺には関係のねえことだけど)

 そんなことを考えていると、突然、ノックも無しに応接室の扉が開いた。

「全く、どうして賞金稼ぎ連中に頼まねばならんのだ。それも魔法使いに…」

 でっぷり太ったスーツ姿の男がぶつくさ文句を言いながら部屋に入ってくる。

「申し訳ありませんな、スミスさん。我々警察組織も、慢性的な人手不足でして」

 続いて部屋に入ってきたのは、白髪交じりの痩せこけた警察官の男だった。

「捜査協力を依頼しておきながら、一体どういうことなのだ。これだから官憲というのは…」

 スーツ姿の男はローテーブルを挟んだ向かいのソファに腰掛けると、警察官の男にも座るように顎で促した。

「私がウォルター・スミスだ」

 ぶっきらぼうにそれだけ口にすると、顔をしかめながらじろじろとリタの姿を無遠慮に眺め回す。今のリタは、ダスターコートとつば広帽子はもちろん、馬具であるチャップスも取り外している。そのため、極短のジーンズとブーツの間は完全に素足だった。

 スミス氏がリタの外見にどんな感想を抱いたかは、おおよその見当がつく。リタが臆することなく睨み返してやると、スミス氏は慌てて目を逸らした。

「警部補のダニエル・フロストと申します。以後、お見知りおきを」

 警察官の男が片手で眼鏡の位置を直しながら穏やかな声で名乗った。フロストはリタの右斜め向かいに着席すると、手提げのバッグを膝に乗せてゴソゴソと中を探り出す。

「それでは早速ですが、本題に入らせていただきます」

 フロストがバッグの中から取り出したのは、ちょうど人の顔が収まるくらいの大きさの鏡だった。縁取りの装飾は簡素ながら、鏡面に映る像にはほとんど歪みが見られない。かなり質の良い鏡にみえる。

 フロストが鏡をリタ達に向けてローテーブルの上に設置した。そのまま両手を鏡にかざす。

 ボウッと鏡が虹色の淡い光を帯び、鏡面の像がフワリと揺らぐ。次の瞬間、鏡面にひとりの人物の胸像が映し出された。

「…女、だな」

 マイクが呟く。

「…だけど、顔がよく分からねえぞ」

 リタが身を乗り出して鏡を覗き込んだ。

 像は全体的にぼやけていた。比較的明るい肌色をした黒髪の女で、紫色の衣服を身につけていることまでは分かる。どうやら長い髪を高い位置で結っているらしいことも見て取れる。しかし、女の顔立ちや衣服の細部となると、どんなに目を凝らしても判別できない。

「この女がどうしたんだ?」

 マイクの疑問にフロストは頷いてみせると、平坦な口調で今回の依頼内容を話し始めた。

「おそらく今夜、この屋敷にこの女が忍び込みます」

 それはこういうことだった。

 数週間前、この国の大都市で数件の盗みが発生した。被害を受けたのは金持ちばかりで、いずれも自宅の金庫やキャビネットから数点の宝飾品が盗まれたというものだった。

 どうやら犯人は一度に盗む宝飾品の額を少なく抑えているらしく、全ての被害額を合わせてもさほど大した金額にはならなかった。このことから都市警察は、大々的な捜査を実施する程の重要案件では無いとの判断を下したということである。

 もちろん、被害を受けた金持ち連中が納得するはずがない。その中のひとりが都市警察の上層部に伝手があり、かつ非常に執念深い人物であったため、再三の働きかけの結果、どうにか犯人の行方や人物像についての捜査がなされることになった。

「そういうわけで、つい昨日、都市警察から情報提供がありましてな。ひとまず私の《千里眼》で犯人像を探ってみたわけですが」

 フロストは鏡に映る女の像をチラリと見た。

「ごらんの通りの有り様でしてな。あとは、どうやら異国の女であることと、今夜辺りこの屋敷に忍び込むつもりらしいことが、辛うじて見通せたくらいです」

「フンッ、これだから魔法などという不確かなモノは当てにならんのだ」

 スミス氏が侮蔑を込めて吐き捨てた。彼は大の魔法嫌いでも有名である。

「いいや、そうとも言い切れねえぜ」

 フロストが弁解の言葉を述べる前にリタが口を開いた。スミス氏が不快そうに顔をしかめる。

「おっちゃん、あんたかなりの使い手だろ」

 リタがフロストをじっと見つめる。

「《千里眼》もさることながら、見たものを鏡に像として映し出す光魔法まで使いこなしてる。誰にでもできることじゃねえよ」

 フロストは否定も肯定もせず、目を細めてリタを見返す。

 リタは顎に手を当ててしげしげと女の像を眺めた。

「どういう手口が知らねえが、おっちゃんの《千里眼》が及ぶのを妨害してやがるな。むしろ、これだけのことが分かっただけでもすげえよ」

 リタはもう一度フロストを見た。

 ニカリと笑いかける。

「俄然興味が湧いてきた。おっちゃんもそうなんだろ?あとは賞金次第だ。いくら出すか教えろよ」

 フロストはしばしリタを見つめたあと、バッグの中から革製のブリーフケースを取り出した。1枚の紙切れをリタに見せる。

「これでは少ないかな?」

「うーん…まあ、良いだろう」

 少しだけ考えて了承する。列車強盗で大金を稼いだばかりではあったが、差し出された賞金首をわざわざ逃す理由はない。何より、異国の女泥棒がどんな方法で盗みを働く気なのか、とても興味があった。

「なあ、マイクはどうする?」

 リタは意気揚々とマイクの方を振り向く。

「俺は降りる」

「えーっ!なんでだよ!マイクが一緒に居てくれた方が確実だぜ?」

 マイクの気のない返事にリタはあからさまに落胆してみせた。フロストも怪訝そうに眉を吊り上げる。

「賞金額は山分けではなく、お二方それぞれにこの額を出させてもらうつもりだが。私としても、異国の技術を持つ盗人には、実力ある魔法使い2人以上に対応してもらえると助かる」

「悪いが、つい最近稼いだばかりだし、しばらくはノンビリ過ごしたい気分なんだ」

 マイクはソファから立ち上がり、応接室の出口に向かって歩いていく。扉を開けたところでリタ達の方を振り向いた。

火竜サラマンデルが居るなら十分だろ。頑張れよ、リタ」

 薄い笑いを浮かべてそう言い置くと、リタの返事を待たずにさっさと扉を閉めた。

「ハンッ、どうせ怖じ気づいたのだろうよ」

 スミス氏が顔をしかめて吐き捨てる。

「そんなワケねえだろ!マイクは強力な水魔法の使い手だぜ!」

 威勢良く反論しながらも、リタの心中には一抹の不安がじわりと広がっていった。


***


 振り子時計が深夜2時を打った。リタはその音を聞くとも無しに聞きながら、応接室のソファに寝そべって捕縛用の手錠を指で弄んでいる。

(来るなら早く来ねえかなあ)

 フロストとの打ち合わせにより、侵入する可能性が一番高い応接室をリタが、その他の部屋をフロストと屋敷の使用人らが見張り、他の部屋で異変があれリタに知らせる手筈になっていた。

(まさか、もう盗み終わってとんずらしてるなんてことねえだろうな)

 リタもフロストも魔法の気配には敏感な質だったが、そもそも侵入者が魔法を使っているとは限らない。気球のような、魔法に見えて魔法ではない技術が存在するのかもしれない。

 正直なところ、スミス氏の持ち物がいくら盗まれようと知ったことではなかったが、侵入者を逃がしたとあれば、魔法嫌いのスミス氏にどんな嫌味を言われるか分かったものではない。

 真っ暗な闇の中でいつまでもソファに寝そべっていると、ついついウトウトしそうになる。一旦起きて部屋の中をぶらつこうと身体を起こしたその時、ドアノブが回る小さな音がリタの耳に届いた。間髪入れずに跳ね上がると、音を立てずにソファの背後に着地して身を屈める。

 部屋の扉が小さく開き、するりと人影が忍び込んできた。リタはそっとソファの陰から顔を出して扉の方を確認する

 人影は静かに扉を閉めると、足音を立てずにキャビネットに近づいた。キャビネットの上の置物類を一瞥した後、片膝をついてキャビネットの扉に手をかける。

 リタはソファの陰から出ると、顔の横に火の玉を浮かべて声をかけた。

「おい」

 サッと人影が振り向いた。空中でまばゆく燃える火の玉がその姿を照らし出す。

 フロストが見通したとおり、侵入者は異国の女だった。頭部は目元だけを残して全てが布で覆われているため顔は分からなかったが、胸部の豊かさと大きめのヒップが女であることを示している。

 また、その肢体を覆う衣服は、リタが初めて目にするものだった。互い違いに重ねられた袖の無い前開きの上衣に、太ももにスリットが入ったパンツ。膝から下と上腕にはそれぞれ黒い布が巻かれている。

 女の腰には、棒だか筒だかよく分からないものが左右それぞれ1つずつ提げられている。武器のようには見えなかったが、決して油断はできない。

「お前、大都市で金持ち相手に盗みを働いた女だろ。俺と一緒に来てもらう」

 ジャラリと手錠を掲げながら投降を呼びかける。しかし、女は微動だにしない。

(ええい、まどろっこしい)

 リタは短剣を引き抜いて一振りした。炎の刀身が一層まばゆく部屋の中を照らす。

「まあいいさ。まずはそのツラを拝んでやるぜ」

 言うなり、勢い良く踏み込んで女に切りかかった。間合いが詰まり、炎の刀身が女の頭巾に迫る。  

 バシュン!

「!?」

 リタの身体が後方に弾かれた。床に尻餅をつきそうになるのをどうにか堪える。

 炎の刀身は消失していた。

(魔法か?)

 女が腰に差していた棒を抜いて構えていた。棒は反りのある剣のような形をしており、リタの攻撃を受けたからか、白い煙が立ち上っている。

「チッ」

 再度、炎の刀身を出現させて次の動作に移ろうと腰を落とす。と、女が上衣の分け目から何かを取り出し、リタに向かって投げつけてきた。

「!!」

 反射的に撫で斬って攻撃を防ぐ。

 ボボッ…

 いくつかの小さいボール状のものが燃え上がって床に落ち、もくもくと大量の白煙を吐き始めた。

(煙幕か…!)

 部屋中に白煙が満ちて女の姿が紛れる。リタはケホケホとせき込みながらも、とっさに火の玉と刀身を消した上で窓の前に移動した。この真夜中に窓から屋外に逃げられては、捕らえるのが難しくなる。

 閉め切ったカーテンに背中が触れる位置に立ちはだかったところで、目と鼻の先に女の姿が浮かび上がった。

「きゃっ!?」

「おらあ!」

 ほとんどぶつかるようにして女に飛びかって床に押し倒す。

「いいから面を見せやがれ!」

 馬乗りになって叫びながら女の頭巾に両手をかけて強引に引き剥がし、火の玉で女の顔を照らした。

「……」

 思わずリタは手を止めた。

 奥二重のアーモンドアイに、細いがくっきりとした眉と厚めの上唇。そして、リタが初めて目にする彫りの浅い顔立ち。

 女が、キョトンとしたような顔でリタを見上げている。

「あ…」

 ふいに、身体がぐらりと傾いだ。視界が回り、猛烈な眠気がリタを襲う。

(まさか、この煙…)

 立ち上がろうとするが、身体に力が入らず、前のめりに倒れる。

 とすんと誰かに受け止められた。

 顔に柔らかくて暖かいものが押し付けられる。

(花の、香り…)

 ほのかな花の香りが眠りに誘うかのようにリタの鼻をくすぐる。

「おやすみなさい、お嬢さん」

 いなすような女の声を聞いたのを最後に、リタは深い眠りへと落ちていった。

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