魔力がないと勘当されましたが、王宮で聖女はじめます／新山サホ

【プロローグ】

　報（むく）われない人生は、父が亡（な）くなった五年前から始まった。

「こんな初歩魔（ま）法（ほう）も使えないなんて本当に駄（だ）目（め）な子ね。誰（だれ）に似たのかしら？　全く産むんじゃなかったわ」

「お姉様って本当に出（で）来（き）損（そこ）ないよね。私だったら恥（は）ずかしくてたまらない」

　母の冷たい目と妹の嘲（ちよう）笑（しよう）がユノ・ベリスターの心に突（つ）き刺（さ）さる。

　代々魔法使いを輩（はい）出（しゆつ）してきた名門ベリスター家。それなのに長女のユノだけ全く魔法が使えない。

「ごめんなさい。努力はしてるんだけど……」

　身を縮めてひたすら謝るしかない。そのたびに自尊心がごりごりと削（けず）られ、自分の価値の無さに身（み）震（ぶる）いしてしまう。

（本当に、たくさん魔法の勉強をしてるのに……）

　朝から晩まで時間のある限り。眠（ねむ）い目をこすり、時には泣きながら精（せい）一（いつ）杯（ぱい）頑（がん）張（ば）っている。

　けれど駄目なのだ。十一歳になっても、母や妹のシンディが片手間に出す小さな火魔法さえ発動できない。

　優（やさ）しかった父が病気で亡くなってから母は変わった。名門を背負うプレッシャーからかもしれない。特に今では名ばかりの名門に成り下がってしまったから焦（あせ）っているのだろう。

　出来ないユノに辛（つら）く当たり、出来るシンディばかり可愛（かわい）がる。

　妹はそんな母の真似（まね）をしてユノを馬（ば）鹿（か）にした。母に𠮟（しか）られて泣くユノを見て楽しそうに笑うのだ。

　そんな毎日は嫌（いや）でたまらなかったけれど、魔法が使えないのは事実なので何も言えない。

（明日（あした）なんて来なければいいのに……）

　毎夜ベッドで願った。けれど明日は必ず訪（おとず）れて心が折れそうになる。その繰（く）り返しだ。

　そんなユノの心が唯（ゆい）一（いつ）休まるのは、三歳上のディルクといる時だった。

　ディルクは、亡き父の友人であるサスカルの家に預けられている少年である。その理由も素（す）性（じよう）もわからないけれど、サスカル夫（ふう）婦（ふ）がたまにベリスター家を訪れる時にディルクを連れてくる。

　サスカルはもう引退したが、王立騎（き）士（し）団の団長を務め上げた名（めい）誉（よ）人だ。だから母は諸（もろ）手（て）を挙げて歓（かん）迎（げい）した。

　その時ばかりはユノに辛く当たらない。かりそめの食（しよく）卓（たく）はひどくそらぞらしかったけれど、それでもホッとできる時間だった。

　それにディルクは優しい人で、ユノにいつも温かく接してくれた。

「ユノは優しくていい子なんだから、魔法なんて使えなくたって大（だい）丈（じよう）夫（ぶ）だよ」

　ディルクのあざやかな青い目で見つめられると泣きそうになった。その時だけは、ほんの少しだけ自分に価値があるんじゃないかと思えた。

　母が友人宅を訪れる時はシンディだけを連れて行く。ユノは連れて行ってもらえない。だからユノがディルクに会えるのは本当にたまにだ。

（それでもいい……）

　多くは望まない。たまに会えればそれで充（じゆう）分（ぶん）だった。

　そしてユノが十四歳になった時のこと。

　その日は朝から雨が降っていた。

「ディルク、いらっしゃい」

　夕食後にディルクがユノの自室へやってきた。

（久しぶりに会えたわ……！）

　嬉（うれ）しさを抑（おさ）えきれないユノに、ディルクはいつもと違（ちが）ってぎこちない笑（え）みを浮（う）かべた。

　胸の内がたちまち不安でいっぱいになった。虐（しいた）げられて育っているせいか、不幸の匂（にお）いを敏（びん）感（かん）に感じ取ってしまう。

　ディルクが硬（かた）い声で告げた。

「実は来週、実家に戻（もど）ることになったんだ」

（嘘（うそ）……）

　観念して天（てん）井（じよう）を仰（あお）いだ。恐（おそ）れていたことが起きてしまった。

　預けられているディルクがいつか実家に戻ることはわかっていた。覚（かく）悟（ご）していたけれど、いざその時がきたら絶望しか感じない。

「実家はここから近いの……？」

　ほんの少しの希望を込めて聞いた。けれど無情にも、ディルクは首を左右に振（ふ）った。

「いや、遠い。それにちょっと事情があって──もうこの家には来られないと思う」

「……そうなの」

　元気でね、と笑顔で言わなければいけない。そう思うのにどうしても笑えない。それどころか顔の筋肉を必死に突っ張っていないと号（ごう）泣（きゆう）してしまいそうだ。

（駄目よ、ちゃんと笑ってお別れしないと）

　ディルクは唯一、自分に価値があると思わせてくれた人なのだから。

「実は、ユノにこれを渡（わた）したくて」

　思い詰（つ）めた顔のディルクが、ビロード地の小箱を差し出して蓋（ふた）を開く。中には──。

「えっ……？」

　想像もしていなかったものを見た時の反応は、きっと皆（みな）同じだと思う。呆（ぼう）然（ぜん）とそれを見つめるしかない。

　それは指輪だった。女性の──ユノの薬指にぴったりの大きさの、金のリング。

（婚（こん）約（やく）指輪……なの？）

　はじかれたように顔を上げた。ディルクが今まで見たこともない、はにかんだような笑みを浮かべていた。

「これを受け取って、俺と一（いつ）緒（しよ）に来て欲しい。ずっと一緒にいたいんだ」

　突（とつ）然（ぜん）のことに言葉が出てこない。幸せなんて自分には縁（えん）のないことだと思っていたから。

　一言も発しないユノに、ディルクが不安げな顔をした。

　ハッとして慌（あわ）てて「もちろん」と答えようとした時、ノックもなしに突然扉（とびら）が開いた。シンディだ。

「ディルクったらこんなところにいたのね。おじ様とおば様がそろそろ帰ろうと言ってるわ。その前に、私の部屋にも来てよ」

　甘えるようにディルクの腕（うで）を取る。そこでディルクの右手にある小箱に気がついたようだ。サッと顔色が変わった。

「じゃあユノ、考えておいてね」

　ディルクが小箱を置いて部屋を出て行く。

　出て行く直前、シンディがちらりと振り返った。その目に浮かぶ憎（にく）々（にく）し気な色に、夢見心地（ごこち）でいたユノは気づかなかった──。

　ディルクたちが帰った後でいつものように皿洗いをした。台所は広いけれど、置いてある調理器具は年季が入っていて古い。

　いつもは辛いだけだが今日は違う。胸の内が幸せでいっぱいだ。

（考えてみれば、ディルクの素性を何も知らないわ……でも構わない。どれほど貧（びん）乏（ぼう）でも訳ありでもいい。ずっと一緒にいたい）

「ユノ」

　母に呼ばれた。苦々し気な顔の母と、その後ろでほくそ笑むシンディの顔を見た時に嫌な予感が胸をかすめた。

「これは何なの？」

　差し出されたのはディルクからもらった小箱だ。自室の棚（たな）にしまっておいたのに、どうして母が持っているのか。

　動（どう）揺（よう）するユノに母が口元を歪（ゆが）めた。

「問い詰めてもサスカル様は絶対に答えないけど、ディルクはかなりいい家の子息だと思うのよ。上流貴族かもしれないわ」

（まさか。そんなはずない）

　確かに行（ぎよう）儀（ぎ）作法はいいけれど、ディルクは優しい人だ。ユノの知る上流貴族といえばこの町の領主一家だけれど、彼らのように偉（えら）ぶったり威（い）張（ば）り散らしたりしない。

「いいえ、絶対にそうよ。だからシンディならまだしも、魔（ま）法（ほう）も使えない出（で）来（き）損（そこ）ないのお前と釣（つ）り合う相手ではないわ。よく考えなさい。──お前はディルクをカーソン様のようにしたいの？」

　カーソン様。その言葉が呪（のろ）いのように頭の中を駆（か）け巡（めぐ）った。

　領主の息子（むすこ）であるカーソンのことは、この町の者なら誰（だれ）でも知っている。

　周囲の大反対を押し切って下働きの侍（じ）女（じよ）と結婚し、父親から勘（かん）当（どう）された。それでも一（いち）途（ず）に愛を貫（つらぬ）いたが、贅（ぜい）沢（たく）な暮らししかしたことのない子息には貧乏暮らしは耐（た）えられなかったようだ。

　みるみるうちに疲（つか）れ切ってやつれ、最終的には周りの全（すべ）てを呪い、自ら命を絶ってしまった──。

　目の前が暗くなった。たたみかけるようにシンディの声がした。

「あんなに優しいディルクを、お姉様のせいで不幸にするのね。お姉様は役立たずなだけじゃなくて人でなしね」

　ユノは震（ふる）えながらうつむいた。自分には何の価値もないと散々刷り込まれてきた頭では、ディルクがカーソンの二の舞（まい）にならない未来はとても描（えが）けなかった。

「これはサスカル様からディルクに返してもらうわ。もちろん婚約だなんてとんでもないと伝えてね」

　母が苛（いら）立（だ）たし気に小箱をポケットにしまった。

　反論する気力がなく、ユノは頷いた。

　それから半年後、ユノは母から勘当されて家を追い出された。未（いま）だに魔法が使えないからという理由だったけれど、本当はシンディがそう仕向けたのだと知っていた。

　大事な跡（あと）継（つ）ぎにへそを曲げられては大変だと母は考えたのだろう。元々天（てん）秤（びん）にかけるまでもない。

　最低限の荷物とともに放（ほう）り出されたユノに、シンディはいつものように愉（ゆ）快（かい）そうに笑っていた。

　辛（つら）かったけれど、それよりもこの半年間心に重くのしかかっているのは──。

　指輪を返すとディルクが青ざめていたと、サスカルがこっそりと母に話していたのを耳にしたことだ。『ユノには二度と会いたくない』と言っていたと。

　ショックだった。何より自分で決めたことなのに落ち込む自分自身が嫌（いや）になった。

（ディルクを傷つけたのは私なのに、なんて勝手なの……）

　けれど絶対に絶対に、ディルクを不幸にだけはしたくないのだ。

　どうすればいいのかわからない。こんな情けない自分は、どこかで下働きでもして小さくなって暮らすのがふさわしいのだろう。

　ユノはのろのろと乗り合い馬車の乗り場へ向かった。行くところなんてない。目的地も、行きたいと思うところも。

　だから、ちょうどやってきた王都行きの馬車に乗り込んだ。

　他（ほか）の労働者たちと一緒に揺（ゆ）られていると、涙（なみだ）がこぼれた。