聖女様に婚約者を奪われたので、魔法史博物館に引きこもります。

美雨音ハル

プロローグ

泣きたいのはこっちなのですが。


「君との婚約を、解消したいんだ」


 メリーアンは、こんなにも緊張した婚約者の顔を初めて見た。

 もう十年近く連れ添った婚約者だ。

 喜びや悲しみ、怒り。さまざまな感情を見てきたつもりだった。けれど本当に緊張した時、彼はこんな顔をするのかと、メリーアンは新鮮に思った。まだ彼──ユリウスには、こんな一面もあったのか、と。


「……」


 ……分かっている。そんなことを考えているのは、現実逃避したいからだ。


 住み慣れた伯爵邸の応接室。

 向かい合って座るユリウスの隣には、美しく着飾った、見慣れない女性がいる。

 

 薄くて特徴のない地味顔のメリーアンと違って、女性──ララは、眩いプラチナブロンドと青い瞳を持つ、御伽噺から飛び出してきたプリンセスのような出立ちをしていた。


「……さっきも言ったけど、ララのお腹には、子どもがいるんだ。まだ見た目には分からないかもしれないけど、医者に診てもらったから確実だ」


「……」


「こんなこと、許されないってわかってる。だけど俺との子どもができてしまったからには、責任を取らないといけない。本当にすまない!」


 そう言って、ユリウスは頭を下げる。

 そんなユリウスを庇うように、ララが砂糖菓子のような甘い声で言った。


「違うの! ユリウスは悪くないの。婚約者がいるユリウスを好きになってしまったララが悪いのよ」


 ガラス細工のように美しい青い目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。

 ララはほっそりとした指で顔を覆って、しゃくり上げた。


「ごめんなさい。メリーアンさんの大切な婚約者を奪ってしまって、ごめんなさい……」


「……」


「婚約者がいる人を好きになっちゃいけないって、浄化の旅の間、ずっと我慢していたの……」


 でも、とララは涙ながらに、メリーアンを見つめた。


「心は自分だけのものだから……好きになる気持ちを止めるなんてことは、誰にもできない。ララ、自分の心に嘘をつき続けるくらいなら、ちゃんとユリウスに気持ちを伝えたかったの」


 ユリウスとメリーアンは、聖職者と立会人の元、神の御前で結婚の約束を交わした。また婚姻継承財産設定も、法律家に頼んで文書にし、両親と共にサインをしたのだ。メリーアンが結婚可能年齢である十八歳になれば、そのまますぐに結婚していただろう。


 この国では、婚約は結婚とほぼ同義であり、どちらかの落ち度によって婚約解消に至る場合には、慰謝料要求の権利が発生する。

 つまり、婚約者がいる人を略奪するというのは、違法行為なのだ。


 だから好きになってしまうことと、それを口に出して体の関係を持つというのはまた別の問題のような気がするが、メリーアンはポカンとしたまま、何も言えずにいた。


「そうしたら、ユリウスも応えてくれたから。ララ、思うの。政略結婚で好きでもない人と結ばれるなんて、ひどいなって……」


 ララは顔を手で覆って、ポロポロと涙を流した。


「……メリーアン」


 ユリウスに静かに声をかけられる。


「君に何を言ったって、どんなに謝罪したって、許されないと言うことは分かっている。幼い頃から共に過ごした君を裏切る俺は、きっと地獄に落ちるだろう」


 でも、とユリウスは言う。


「俺は責任を取らないといけない。ララはこの国を救った聖女だ。その子どもに、父親がいないなんてことは許されないだろう」


 ララは涙たっぷりに、ユリウスを庇うように言った。

 

「メリーアンさんの大切な婚約者の心を奪ってしまってごめんなさい。でも、ユリウスの心は、ユリウスのものでしょう? だからユリウスを解放してあげて?」





「あっはい」





こうしてメリーアンとユリウスの婚約は解消されることになったのだった。

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