4月07日:☁:お父さんとお母さんは、僕を「心理保健所」というところに連れて行った。

 4月7日。曇り。

 お父さんとお母さんは、僕を『心理保健所』というところに連れて行った。



 心理保健所とは、市民のメンタルヘルスをサポートする施設のことで、24時間・年中無休で、精神療法士や向精神薬コーディネーターが常駐している。

 AIが自動生成する当たり障りのないBGMと、木調の内装ホログラムに彩られたカウンセリング・ルームで、僕たち一家は『先生』と面談した。


 そこで僕は、お父さんとお母さんから、あることをカミングアウトをされた。


「お前には、パパとママの他に、もう一人、遺伝的な親がいるんだ。それは『第三の親』といってね、お前の遺伝子には、僕とママ以外の人のDNAが入っているんだよ」

「今日はね、その話をしにここに来たのよ」


「……?」

 三人目の遺伝的な親──通称『第三の親』とは、いったいどういう存在なのか。

そして、よりにもよって、どうしてこのタイミングに、僕はそんなことを両親から知らされたのか。

「──それでは、面談を始めましょうか」

 僕の疑問に答えるように、先生が色々と語り始めた。


 先生の話は、お祖母ちゃんの命を奪った、あの腸内事故の最重要関係者──アムリタ社の最高技術責任者C T OR氏の自殺から始まった。R氏の遺書には、腸内事故によって生じた責任とストレスに耐えきれなくなった、という旨が記されていたらしい。


 不本意な形で人生を終えたR氏ではあったが、その経歴は輝きに満ちていた。


 R氏は、大学在籍中にバイオベンチャーを起業。その後、20年にわたって医学・生理学分野における画期的な発見を連発。50歳を前にして権威ある賞を得て、その際の賞金を元手に、現アムリタ社の前身企業を立ち上げた。

 僕が産まれる数年前、学界でも経済界でも大成功を収めていたR氏の名声は絶頂にあり、彼の遺伝子配列は『天才のゲノム』と呼ばれた。


 呼ばれるだけなら、何ら問題はなかったのだ。


 受賞に先だって、R氏は自分のゲノム情報と精子を公開した。

 そして、R氏のような『天才児』を授かりたいと願う世界中のカップルに対して、自らのDNA情報を挿入するように促した。

 R氏は、受賞会見の場でこう言い放った。


──天才である自分が、世界の未来に貢献することは当然の義務である。と。


 これに倣って、著名な科学者や芸能人、大富豪たちが、次々と自らのゲノム情報と精子・卵子を公開した。『ゲノム・チャレンジ』と呼ばれたこの運動は、地球規模の社会現象となった。

 当時、子供を作ろうと考えていた僕のお父さんとお母さんは、R氏のゲノム情報を参考にして、自分たちの受精卵を加工した。その結果産まれたのが、僕だった。


 先生は、お父さんとお母さんの行いを擁護した。

「今から10年くらい前までは。『凡庸な子供の受精卵を改良しないのは虐待だ!』なんて言われることもありました。『優良な遺伝子を残す権利』といった物言いが、盛んに叫ばれていた時代でもあります。今では、先天的な性質よりも後天的な性格を重んじるという風に、学界の議論も軌道修正されつつあります。その点は、どうかご安心ください」


 先生によれば、R氏の自殺を受け、世界中にいるR氏由来のゲノム情報を持つ子供たちや、その親たちが、精神的な不調を訴え始めているらしい。


 僕は、そもそも第3の親がいることを知らなかったのだから、動揺も何もなかったのだが、R氏の遺伝子を宿していることに自負心を抱いていた子供たちや、良かれと思ってR氏の遺伝子を我が子に埋め込んだ親たちがショックを受けるのは、ある意味当然のことだった。


 ──R氏のゲノムは、それを有している人間の自殺率を高めるのか?

 ──うちの子も、将来R氏のような破滅に見舞われるのではないか?

 ──子供の身体からR氏のDNAを消すには、どうしたら良いのか?

 ──R氏の遺伝子を持っているせいで、今までは学校の人気者だったのに、最近は虐められるようになった。……など。

 ヒステリックな質問から深刻な相談に至るまで、心理保健所に持ち込まれる相談は多岐にわたり、カウンセラーたちも対応に苦慮しているようだった。


 先生は僕の方を向き、優しい口調で語りかけてきた。

「お父さんとお母さんの予定では、第3の親のカミングアウトは、もう少し遅らせるはずだったんだけど、私の方からアドバイスをして、開示を早めることにしたんだ」

「はい」

 僕は、てきとうに愛想笑いを浮かべて頷いた。

 カウンセラーは、また両親の方を見る。

「こういう問題は、親子間の親密なコミュニケーションが、トラブルの回避に向けた一番の特効薬になります。思ったことは、例えネガティブな感情であっても、素直に口にして、ありのままの感情をぶつけ合うように、心がけてください。何かあれば、心理保健所まで連絡を」


 心理保健所からの帰り道。

 今夜は外食にしようか、などと言っている親の背中を、僕は黙って見つめていた。


 遺伝子工学の進歩は目覚ましく、その影響は人間を含む全ての生命に及んでいる。

先天性疾患という言葉はなくなり、代わりに「生前教育」という概念が生まれた。

 子供が受精卵のうちから才能を見出し、或いは、才能を与え、英才教育の下準備とする行為を、この社会は生前教育と呼ぶのだ。


 ──R氏の件は、極めて希有な事例です。R氏のゲノムを利用した我々が間違いを犯したのではなく、R氏が、間違いを犯しただけなのです。


これは、心理保健所で、先生が繰り返し用いた言い回しだった。


 生前教育を施された子供たちが社会のそこら中にいる時代。

 たかが一人のゲノム提供者が自殺したくらいで、生前教育の歪みを問うことなど、誰も望んではいなかった。

 どうしても不安が消えないときは、心理保健所のお世話になれば良い。ドラッグとカウンセリングを通じて親子は互いの愛を確かめ合い、全ては丸く収まるのだから。


 ただ、一つだけ疑問に思うのだ。


 これから生まれようとする子供のことですら、ありのままに受け入れようとはしなかった大人たちが、今更になって、子供の気持ちを、ありのままに受け止めてくれることなど、果たしてあり得るのだろうか?

 そもそも、この作為とデザインに満ちた社会に、ありのままの感情など存在するのだろうか?


「……」

 僕の行く手を覆う夕方の空は、嘘みたいなオレンジ色だった。

 人工降雨や台風の進路制御が当たり前の時代。どこかの撮影会社が、撮影のために天気を操作しているとしても不思議ではない。


 そう思うと、僕は急に寒気と目眩を覚えた。

 僕の目には、この世の全てが作り物のように見えた。


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