2月10日:☂:

 2月10日。雨。

 お祖母ちゃんが死んだ。


 お祖母ちゃんは、どうして死んだのか。

 ことの始まりは、今から約5年前に確立された『腸内環境デザイン技術』に遡る。

 かねてから、人間最大の臓器──大腸は『第二の脳』などと呼ばれ、心身の健康や脳機能活性化の鍵を握っているとされていた。


 世界的なバイオ企業『ケイロン社』は、腸内の日和見菌を善玉菌に置き換えるナノマシン『サジタリウスα』を開発した。当初は医療機器として、うつ病や神経難病の治療に用いられたが、高い効果と安全性が証明されたことを受け、市販化することが解禁された。サジタリウスαを乳酸菌飲料に混ぜたものを売り出したところ、これが大ヒットした。

 そんな中、新興食品企業『アムリタ社』は、増えすぎた細菌を退治し、腸内環境の多様性を保つという独自の菌『アルタ・バチルス』を開発。これを『腸内フローラの番人』と称してヨーグルトに添加し、大々的に売り出した。

 ケイロン社は欧州に、アムリタ社は南アジアに、大きな市場を持っており、両社の製品に競合関係はなかった。それが今年に入って、両製品がそろって東アジア市場へ進出。ケイロン社の商品とアムリタ社の商品を同時に消費する地域が、世界で初めて出現した。


 そして、事件は発生した。


 ケイロン社製の発酵乳とアムリタ社製のヨーグルトを両方、1ヶ月以上食べていた消費者の一部が、急性腸炎や腎不全、尿毒症を発症。激しい腹痛・下痢・血便・脱水症状により、高齢者と小児を中心に3000人以上が入院、80人余りが死亡した。


 この死者の中に、お祖母ちゃんがいた。


 当初は、しばしば起こる悲惨な食中毒として処理されたが、似たような患者が続出したことを受け、保健当局が調査を開始。一定の共通点を持つ死者が10人を超えた辺りから、だんだんとメディアが取り上げ初め、お祖母ちゃんが死んでから三日ほどだった頃には、『食べ合わせ型食中毒事件』や『腸内事故』といった単語がニュースを席捲していた。


 サジタリウスα及びそれらが繁殖させた善玉菌を、アルタ・バチルスが異物と見做して攻撃、これが炎症に繋がった。……というのが現在有力な仮説だが、両社がナノマシンや細菌の製法・機能を企業機密としていることや、中毒症状に大きな個人差があることから、その相互作用の検証には、長い時間を要するとのことだった。


 子供の僕にとって、ケイロン・アムリタ両社が出した、互いに責任を擦り付け合うような謝罪文も、SNSで拡散される『生物兵器テロ説』も、企業を擁護したり叩いたりするメディアの馬鹿騒ぎも、目や耳には入らなかった。


 独り、お祖母ちゃんの忘れ形見のようになってしまったミクの身体を、潰れそうなほど抱きしめて、淡々と葬式の準備を進める両親の背中を、眺めているだけの時間が過ぎていった。

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