サイエンスお祖母ちゃん

七海けい

8月10日:☼: 部屋で育てていた『肉』が、食べ頃になった。

 8月10日。晴れ。

 部屋で育てていた肉が、食べ頃になった。


 2週間前までは、一本の『骨』だったそれは、半透明の培養液に満たされた容器の中で、拳骨げんこつサイズの骨付き肉に──いわゆる『マンガ肉』に生長していたのだ。

「マジか……」

 まだセミの鳴き声がうるさい小学5年の夏休み。僕はイスの上にひざちになって、容器の中を見つめていた。

 お父さんから、この『マンガ肉生成キット』なるものを買ってもらったときは、もっとショボい仕上がりになるだろうと勝手に思っていた。でも、支柱と肥料を兼ねた白色の『擬似骨シミラー・ボーン』に、ドネルケバブのごとく巻き付いた分厚いタンパク質のかたまりは、前に図鑑の写真で見た、「生肉」にソックリの色をしていた。

 生成キットに付属していた学習パンフレットには、『小学校高学年向けの自由研究素材:世界の食卓を支える先端技術、培養肉の謎を追え!』という見出しがおどり、その下には、『トイレットペーパー製法』と題されたマンガ肉の育て方が書いてあった。


 植物の葉脈から着想を得た網目状のシートに、培養液の中を漂うタンパク質を絡め取らせ、それを、擬似骨でゆっくりと巻き取っていく。このとき、切り傷の手当にも使われるナノマシンで、新しく巻き取った肉の層を癒合させていく。マンガ肉の中心部分は培養液から栄養を取れなくなるので、擬似骨から養分を補充する。云々……。


 実際のところ、僕はキットを組み立てただけで、あとは肉が勝手に育つのを眺めていただけだった。

 とは言え、キットを組み立てたのは僕である。

「お祖母ちゃんに自慢しよう」

 僕は、下の階にいるお祖母ちゃんを呼びに行った。


 お祖母ちゃんは、昔は海外を飛び回っていた古生物学者で、僕が産まれてからは、子供向けAI玩具がんぐのデザイナーに転身していた。

 お祖母ちゃんは培養液に浸かったマンガ肉を見て、すごいわねぇ、と言ってから、僕の頭をなでてくれた。

 その日の夜。僕が育てたマンガ肉を、家のグリルで丸焼きにした。ちゃんと、学習パンフレットにあったレシピの通りに料理したはずなのに、味はいまひとつだった。この前、お祖母ちゃんの誕生日にレストランで食べた培養肉は、とても美味しかったのに。

 一口味見をしたお父さんは「まぁ所詮はオモチャだからな」と言って笑っていた。


 晩ご飯の後。僕は、お祖母ちゃんに質問した。

「お祖母ちゃん。僕のお肉、何で美味しくできなかったのかな?」

「そりゃぁ、どの動物の、どこの部位にもない肉を作るんだから、そう簡単にはいかないさ。いっそのこと、新しい生き物を生み出すくらいのつもりでやらないとね」

「ぅへー……。何か大変そう」

「そうだよ。何かを育てるっていうのは、けっこう大変なことなんだよ」お祖母ちゃんはそう言って、僕の頭を撫でた。「それが子供であっても、イヌやネコであっても、虫であってもね」

 お祖母ちゃんの言葉に、僕は首を傾げた。

「イヌとか虫とか、生き物を育てるのが大変だっていうのは知ってるけどさ、マンガ肉は生き物じゃないよ? もっと簡単に、美味しく育つようにできないの?」

「もっと簡単に、美味しく育ててあげるのが、人間の仕事なんだよ」

 お祖母ちゃんは、僕のほっぺたを優しくつねった。


 その日の夜遅く。僕は、寝る前にマンガ肉生成キットの学習パンフレットを見た。その末尾には「最高の隠し味は『思い出』だね!」と書いてあった。


 何て非科学的なんだ! と、僕は叫んだ。

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