第29話 私は…バイトを続けたい。だから…

 朝のHR前、貴志湊きし/みなとは、ランニング部担当の先生と出会った。

 都合が悪いことに、嫌なところを目撃されてしまったのだ。

 物凄く気まずい……。


 今、屋上には、湊の他に、楓音。そして、肩までかかる程度の髪をした、先生がいる。

 先生は近づいてくるなり、ベンチから立ち上がった二人を交互に見やり、様子を伺っていた。


「先生……どうして、ここに? いつから聞いていたんですか?」

「最初っからよ。あなた達二人が、屋上の方へ向かっている間、こっそりと尾行していたわ。さっきまで、屋上の扉のところで、聞いていたわけだけどね」


 先生は悪びれることもなく、淡々とした口調で言う。


「先生……私は、別に疚しいことをしたくて、あのバイトをしているわけじゃないですから……」


 石黒楓音いしぐろ/かのんも予想外の事態に動揺し、声を震わせていた。


 それにしても、どうしたらいいんだ?

 と、湊は思う。

 すべてを聞かれていたのであれば、もう言い逃れなんてできない。

 苦しい状況に、湊は苦虫をかみしめた顔を見せた。




「先生……なんで、バイトをしてはダメなんですか? 否定するなんて」


 楓音は言う。


「別に、私は否定していないわ。普通のバイトだったら、私だって何も言わないし」

「でも、私は、そのバイトをやめたくはないです」


 楓音は勇気をもって、口にしたのだ。

 普段であれば、好戦的な態度ではあるのだが、現状が現状なだけに、少々弱腰気味である。




「もしかして、先生が、その噂を広げたんですか?」

「……いいえ、違うわ。あなた達のクラスメイトが、多分、街中で知ったんだと思うわ」 

「……だったらなぜ、その噂を否定しなかったんですか? 一応、他にやることがあったとしても、なんで生徒を守ってくれないんですか?」


 湊はハッキリと言い切ったのだ。


「でも、それ、楓音の問題でしょ? 別に疚しいことがなければ、楓音自身で解決すればいいわ」

「でも、困っているなら、先生が助けるものじゃ……」


 湊は違憲した。


「あなた達は、もう社会人に近いの、高校二年生だし。だから、バイトをするにしても、周りで問題があるのなら、自分で解決するのが普通じゃない? それができないと、後々大変になるよ?」

「……そうかもしれないですけど」


 湊は声が小さくなった。言葉の切り替えしができなかったのだ。




「わかりました……私が悪いですよね……あんなバイトをしているから。変に誤解されても……」


 楓音はボソッと言った。


「……」


 ただ、先生は無言のまま、二人の方を交互に見ているだけだった。

 それ以上、何かを多く語るということはなく、ジッと様子を伺っているようである。


「先生……でも、私、バイトはやめたくないです……」

「そう?」


 楓音は勇気をもって口にする。

 先生はただ、相槌を打つような感じに返答しただけ。


「今後のこともありますし。丁度いいところまでたどり着けましたから。絶対に、諦めるなんて……」


 楓音はゆっくりと力強い話し方になってきていた。でも、手が微かに震えているのだ。

 湊は彼女が必死に頑張っていることを知っている。だから余計に助けたくなった。


「それで、湊は、このことを知っていたのよね?」

「はい……つい最近、街中で知りました」


 湊は恐る恐る、先生の顔色を伺いながら答えたのだ。




「先生は、いつから知ったんですか?」

「私も、つい最近知ったわ。だから、この頃、ランニング部の部活から離れていたのよ」


 先生は意外にも素直に話してくれた。


「そうなんですね」

「ええ」

「先生?」

「なに?」

「やっぱり、俺……。楓音がバイトを否定したくないです」

「え?」

「俺も最初はよくないバイトかと思ってたんですけど。そういうわけじゃなくて、楓音は必死に頑張ってるんです。どうにかできませんか?」


 湊は、必死に訴えたのだ。


「楓音は、あのバイトをして、ようやく芸能事務所の人からスカウトされたんです。だから、そんな頑張っているところを崩したくないので」

「私だって、本当であれば、楓音のバイトのことは否定したくないわ。でも、あなた隊はもう、数年で社会人のなるの。どうにかしたいなら、あなた方で対処すればいいわ」

「……


 湊は非力である。そこまでできることも殆どない。心内が苦しくなり、グッと押し黙ってしまったのだ。




「でも、どうしてもバイトをしたいなら、私は否定したくないけど。湊はどうしたいの? 楓音のために責任をとれるの?」

「それは……わからないですけど……」


 湊の声質はハッキリとしなくなる。


「以前ね。私の知り合いで、芸能関係で大変な目にあっている人がいたの。だから、あまり無理してほしくないっていうのが、本音なの」


 先生は、過去を振り返るように言った。


「その人はね、事務所にも色々と裏切られたりして、行方を眩ましてしまったわ。有名になれば、それなりの負担も大きくなるの。私がその時、その子の助けになってあげられたらよかったんだけど」


 先生の雰囲気が暗くなっていく。

 思い出したくない過去と向き合うように、行方を晦ました人を想い、後悔に押しつぶされそうな顔つきになっていた。


「それでもできます……」


 静かな空間にあった屋上。ただの風だけが吹いている。

 そんな中、楓音が発言したのだ。


「私、それでも頑張れますから……部活だって、真剣にやってましたし。それなりに忍耐力もありますから……」


 楓音はいつも通りに、好戦的な口調になる。

 ようやく元の活力を取り戻してきたらしい。


「忍耐力だけじゃ意味ないわ」

「わかってます。それも、知っているから、今のバイトを続けてるんです」

「……」


 先生は無言になり、考え込んでいた。


 先生は、一人の生徒として楓音のことを心配しているのだろう。

 だから、真面目な顔つきで、試すように、楓音を見ているのかもしれない。


 先生は、溜息を吐く。

 頭を抱えていた。


「楓音」

「は、はい……」


 楓音は驚きつつ、先生の方を恐る恐る見やる。


「楓音は、本当にあのバイトを続けるの?」

「はい……そのつもりです」

「そう……だったら、決めなさい。部活を続けるか、バイトに専念するか」

「どっちかだけですか?」

「ええ。そのバイトを続けたいんでしょ?」

「はい」

「だったら、ここで決めなさい」


 先生は淡々とした口調で言い、反応を仰いできたのだ。


「どっちかですよね」

「そうよ、決められないから、その程度ってことよ」

「……」


 楓音は考え込むように、俯きがちになった。


 楓音はどちらも続けたいと思っているのだろう。

 だから、すぐには結論には至れないようだった。


「楓音。どうしたいんだ?」

「別に、あんたに言われなくても……もう答えが出てるし」

「そうなのか、ごめん……」


 湊は余計なことを言ってしまったようだ。

 

「私は……バイトの方に専念します」

「……わかったわ。じゃあ、部活の方は? やめるってことでいいわね?」

「はい。この頃、部活の方に行けていなかったですし。皆に迷惑をかけるなら。このタイミングでやめます」

「では、後で、もう一度、職員室に来るようにね。そこで正式に受理するから」


 先生は話を進めた。


 けど、湊は――


「俺が、責任を取りますから」


 湊は、二人に向けて、一言告げたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る