第4話 微笑みの肖像画

 ロゼの目を盗み。

屋敷の中を散策する。

守りが手薄な逃げられる場所があるかもしれない。

広い廊下。豪奢な扉。

目が痛くなるような輝きを放つ装飾品の数々。

時の止まったマディアの部屋とは正反対だ。

彼女はどんな気持ちでここで過ごしていたのだろう。

早くに亡くなった母親のことを思い出す日はあったろうか。

目もくれない父を憎く思い、剣を振る日はあっただろうか。

家族と呼ばれている人たちと声を交わした遠い過去。

思いを馳せる夜は星空を見上げたろうか。

幼い頃の幸せな記憶。

使用人たちの子供と遊び。

笑顔の絶える日はなかった。

まだ屋敷に来たばかりの頃。

不幸の忍び寄る足音に気が付くことのない充実した日々。

花の世話を教えてくれた乳母。

犬を連れてきてくれた侍従長。

光の中にいたことを否が応でも知ったあの日。

十歳の誕生日を機に持っていた全てのものを失った。

いや、この手にあると錯覚していたものが消えただけ。

使用人たちの目の色が変わり。好意は敵意になる。

所作が美しくないと教師から折檻を受けた部屋。

調理人の隙を縫い残飯を漁った調理台の隅。

汚された服を洗濯をしていた小川。

屋根裏部屋の針子道具で破かれた服を繕うことも多かった。

耳に纏わりつく陰口に心が乱される。

この感情はマディアのものかもしれない。

屋敷の中には苦い記憶しか残っていないのか。

早くここから立ち去らなければ。

王の腹心の屋敷とあって多くの使用人がいると書かれていたのに。

どの部屋を覗いてもひっそりとしている。

先ほどから一度も人を見かけていない。

皆どこへ行ったのだろう。

「ー …ディア ー」

「ー マ…ディア ー」

「誰か。呼んだ?」

廊下の先から声がした気がした。

若い女性の声が。

「この辺りだと思うんだけど」

角を曲がると目の前には壁が立ちはだかっている。

人がいるようなところではなかった。

「行き止まりかぁ」

諦めて帰ろうかと踵を返すと壁の一部が目についた。

ガラスのかけらに光が当たったように煌めく。

手をかざすとほんの少しだけ窪んだところがあるみたいだ。

力を入れるとかちりと音が鳴った。

先ほどまで何もなかった壁に隙間ができている。

恐る恐る中を覗くと埃の積もった小さな隠し部屋。

年季の入った木製の椅子が一脚だけ置かれたこの場所は…。

カーテンのかかった壁に向けられた椅子。

ここに座っていた者は何を見ていたのだろう。

色褪せた布を触るとほつれるように下に落ちた。

「これは」

布地に隠されていたものが露わになる。

それは胸から上が描かれた肖像画だった。

こちらに向かって優しく微笑む女性。

若草のような瞳が印象的な高貴な乙女。

絵の下にはH・Kと書かれていた。

もしかして作者は父だろうか。

「うわぁっ!」

足元を何かが掠めた。

何かと思い目を凝らすとネズミが走っている。

封鎖されていたこの部屋にどうやって入り込んだのか。

「もしかして。どこかに外に抜ける場所があるかもしれない」

膝をつき部屋を隅々まで調べる。

空気が出入りするところを見つけた。

壁を叩くと軽い音がする箇所がある。

「令嬢なのにこんなことさせてごめんねマディア」

握り拳を振り上げ渾身の力で薄い部分を叩いた。

崩れ落ちた壁の一部を吸い込んでしまって咳が止まらない。

「思った通りだ」

外につながる隠し通路を見つけた。

階段を降りる。

城下に出て名もなき平民として暮らそう。

この屋敷にはもう二度と戻らない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る