第11話 邪悪なる存在と恋する乙女
ラプユスから血塗られた錫杖を突きつけられたアスカ。
アスカは頭の上に蒸気を飛ばす。
「どういうことじゃ!? かわゆいワシのどこが邪悪だと!?」
彼女の怒りにラプユスが答える。
「邪悪も邪悪です! 不穏な気配の正体はどうやらあなたのようですね。いいですか、耳に聞きなさい。私の瞳にはモチウォン様の奇跡の力が宿っています。一度、その力を振るえば、瞳に心の色が見えるのです!」
「ぐぬぬ、その奇跡の力とやらでワシに邪悪なる色を見たのか?」
「ええ、見ました。闇に
「ば、馬鹿な。ワ、ワシはこう見えてもかみ――」
「わかりやすく言葉をお渡しするならば、常にあなたは飲む・打つ・買うの三拍子で誰かに迷惑をかけていますね!」
「ぬ!? そ、そ、そのようなことはないのじゃ……」
急にアスカの瞳が泳ぎ始める。この様子、心当たりがありまくるようだ。
「なぁ、アスカ。たしか、ミュールって人から逃げてるんだよな? もしかして、酒とギャンブルと遊興が原因なの?」
「な~にを言ってるのかわからんのじゃ!? だいたい、ワシはおぬしの前でそのような姿を見せたことがあるか? ないじゃろ? な? な? な?」
三度も体を前のめりに振るようにして強烈なアピール。
これは……。
「たしかにそんな姿は見たことないけど……でも、本質はそれか」
「それとはなんじゃ!? ワシはめっちゃ頑張り屋さんで働き者だぞ!」
と、両手両足を広げて最大限のアピールをしているが、ラプユスの瞳は誤魔化せない。というか、誰の瞳も誤魔化せていない。
「嘘ですね! 毎日毎日、仕事もせずにごろごろごろごろ。かといって、家事手伝いもせずにぐーたら食っちゃ寝。同居されてる方がこれでもかと眉を顰めている姿が私の瞳には映っています」
「う、うそなのじゃ~! こやつはでたらめを言っておるのじゃ!」
両手をぶんぶんと振って幼子の癇癪のようにアスカは暴れまわる。
しかし、聖女ラプユスの言葉はさらにアスカを追い詰める――その行為が更なる問題を呼び起こした。
「いえ、真実です。あなたは邪悪なる存在です! 私のモチウォンの瞳は誤魔化せません!!」
「な~にが誤魔化せませんじゃ! たしかに奇妙な力を瞳に宿しておるようじゃが、おぬしは本質を見抜いておらぬじゃろうが!!」
アスカの一言に、ラプユスはもちろん、お付き人たちと町の人々が凍りついた。
それはそうだろう。ラプユスはモチウォン教の聖女。その彼女の力を否定したのだから。
俺は錫杖を小刻みに震えさせるラプユスの姿を目にして、アスカの口を手で塞ごうとしたが、こいつはさらにとんでもないことを口にしやがった。
「アスカ! もうこれ以上は――」
「本質を見抜いておらぬから、おぬしはシャーレを魔王だと見抜けぬのじゃ! とーんだ
「馬鹿、アスカ!!」
アスカはシャーレを指差して魔王だと言った。
すると、怒りに錫杖を震わせていたラプユスの動きがピタリと止まった。
そして、緑の虹彩に包まれた黄金の瞳をシャーレへ向ける。
町の人々もお付きの人たちも瞳をシャーレへ動かした。
しかし、魔族の象徴である胸元のファワードはアクセサリーで隠してあるため、彼らの瞳に映るのはなんの変哲もない女の子。
誰もが馬鹿な嘘だと感じていたが……ラプユスはゆっくりと言葉を生む。
「な、なんという膨大な魔力。邪悪なる存在に瞳を奪われて、彼女の力が映らなかった」
「まだ邪悪と言うか!!」
アスカのツッコミの声が飛ぶがラプユスには届いていないようで、彼女は錫杖を握り締めたままシャーレへ近づいていく。
それに対して、シャーレは身構える。
「底知れぬ力。魔王……たしかにこれほどの力を有しているのならば、魔王と言われても信に置けます」
この聖女の一言で、この場に居たすべての人々がシャーレを魔王として認識し始めた。
誰かが何かを声に出そうとする。
それは恐怖による悲鳴だったのか、憎き魔族に対しての罵詈雑言だったのかわからない。
なぜならば、多くの声よりも早く、ラプユスの声が世界を塗りつぶしたからだ。
ラプユスは一気に間合いを詰めてシャーレへ近づく。
シャーレは右手に魔力を宿そうとしたが、ラプユスは錫杖を地面に突き刺して素早く彼女の右手を両手で握り締めてこう言い放った。
「愛に満ち溢れていますね、あなた!」
「へ?」
「お名前は?」
「シャ、シャーレだけど……」
「シャーレ。魔王の名もシャーレ。なるほど、その膨大な魔力といい、あなたは魔王シャーレなのでしょう」
「だとしたら、何?」
「魔王シャーレ。あなたの心は愛に染まり、愛に溢れています。これほどの愛の色を私は見たことがありません! シャーレさん、あなたは誰かを愛していますね!!」
「へ、そ、それは……」
シャーレは頬を赤く染めつつ、俺の方へ黒水晶の瞳をちらりと振った。
その瞳の動きに惹かれ、ラプユスもまた俺へ顔を向ける。
「彼があなたの想い人ですか?」
「う、うん。あの、あまり声に出さないで」
シャーレは頬だけじゃなくて顔も耳も真っ赤。
普段は俺にガンガン迫ってくるのだが 今は異様に照れている様子。
それは心の準備ができていなかったのか、はたまた誰かに面と向かって愛してますねという言葉を掛けられることに照れているのか?
ともかく、かなり恥ずかしいそうだ。
しかし、ラプユスはそのようなこと全く意に介さず、さらに愛を語る。
「素晴らしい。人間の敵と言われ、恐れられていた魔王たる存在が愛の前に無垢なる少女へと生まれ変わる。やはり! 愛の力は偉大です!! かの魔王を、一人の恋する乙女に変えてしまったのですから!!」
「お、お願いだから……人前で恋する乙女とかいわないでぇ」
恥ずかしさに悶える悲痛なシャーレの声。
だが、ラプユスには届かない。
「皆さん、御覧なさい。いま私たちは愛の奇跡を目にしているのです。たしかに彼女は人間の天敵となる存在。ですが、今は恋する一人の女の子! さぁ、愛の力と魔王シャーレに祝福を!!」
ラプユスがシャーレへ拍手を送る。
それに合わせて町の人々もお付きの人たちも何となく拍手。
聖女の言葉とは言え、さすがに聖都に住まう人々も魔王の存在に加え、愛と祝福という状況についていけていないみたいだ。
拍手に包まれ、全身から火が出るくらい真っ赤なってカチコチに固まり動けずにいるシャーレを見て、俺はラプユスへこれ以上の愛の言葉を編むことをやめさせる。
「ラプユス、でいいのかな?」
「ええ、構いません。あなたは魔王シャーレの想い人ですね」
「まぁ、そうなるのかな。ちょっと照れるけど……フォルス=ヴェルだ」
「初めましてフォルスさん。何か御用でも?」
「これ以上、愛について語るのは勘弁してほしい」
こう伝えると、愛に浮かれていたラプユスの態度が一変する。
「……この、聖女ラプユスに愛を語るなとおっしゃるのですか?」
声に冷たさが宿り、急激に周囲の温度が下がり始める。瞳には殺意の波動。
俺はこれを知っている。
(この人もシャーレタイプか。自分を否定されると許さないタイプだ)
このひと月の旅で、こういった方との付き合い方は十分に学んだ。
なので、適当に受け流す。
「君の愛について否定はしない。だけど、人によっては愛は秘めておきたいもの。シャーレはそのタイプなんだ。だから、あまり愛を喧伝するのは控えてもらいたい」
「なるほど、そうですか……そうですね。素晴らしい愛の純度を前にして少々舞い上がってしまいました。シャーレさん、貴方の心へ
「あ、いえ、大丈夫」
シャーレは小さく手を振って、次にちらりと俺を見て
この様子にラプユスは一言呟き、俺へ身体を向けた。
「素晴らしい……そして、フォルスさんもまた素晴らしいですね」
「ん、俺が?」
「はい。あなたの心はとても清廉です。とても透き通った心。それでいて正義に意固地というわけでもなく、非常に柔軟な思考の持ち主と見受けられます」
「そ、そうかな? そんなに清廉でもないと思うけど……」
俺は照れ隠しに頬を掻く。
ラプユスは暖かな笑みを浮かべて言葉を続ける。
「ふふふ、あなたの優しさが魔王シャーレの心を一人の少女へと変えてしまったのでしょう。やはり愛は素晴らしい。世界に変革を与えるとするならば、やはり、愛!」
彼女は空を見上げてグッと拳を握る。そして、瞳を降ろしてアスカを見つめる。
「愛によって魔王を変えた。そんなあなたがそこの邪悪なる存在を引き連れている。さらにはとても深いつながりを感じる。これは、邪悪なる少女を改心させるためですね?」
「ええっと、それは……」
「だから誰が邪悪なる存在じゃ!! ホントに本質が見抜けておらぬの!!」
「ふふふ、はいはい。彼の近くで改心するのですよ~」
「上から目線の生暖かな目は止めるのじゃ!」
「落ち着けってアスカ。これ以上、文句を言っても場が混乱するだけだから」
と言ったが、すでに場は混乱状態。
なにせ、聖女がびっくりするぐらいの邪悪なる存在と魔王がこの場いるんですから……。
アスカはペッと唾を吐き、地面を蹴り上げて、見知らぬ誰かに愚痴をぶつけている。
態度悪いし、その人に迷惑だけど、ひとまずラプユスに言い返すのはやめたようだ。
俺はアスカとシャーレに瞳を振ってから、ラプユスへ顔を戻す。
「まぁ、あれだ。シャーレの正体がバレたわけだけど、御咎めはなし?」
「それについてはさすがに黙認というわけには。たとえ愛に染まったとはいえ魔王。町を自由に散策というわけにはまいりません。ですので、一度、トラトスの塔へお越しいただき、そこで詳しくお話を」
「塔へ? それは俺たちを拘束するということか?」
「いえいえ、そういうわけではありません。あなた方のことをもっと知りたいと。特にフォルスさんのことを詳しく知りたいと思っています」
「俺のこと?」
「私は常々、世界に変革を与えるとするならば、愛の力しかないと思っています。ですが、現実は暴力と欲望のぶつかり合い。ですから、魔王の心を愛に満たしたフォルスさんという存在を私は知りたい。そこに、
「世界をどうこう変えるほどのものは持ってないと思うけど、まぁ、話を聞きたいだけなら別に。シャーレとアスカもそれでいい?」
「私はフォルスの判断に任せる」
「ワシは気に食わんが、うまい飯を出してくれるなら勘弁してやるのじゃ。おぬしもそう思うよな? な?」
アスカは見知らぬ若者に絡み、若者は非常に迷惑そうな表情でうんうんと首を振っている。
このままこの場に居続けると周りの人に迷惑が掛かりそうなので、塔へ移動することにしたのだが――。
「話はまとまったな。それじゃ、ラプユ――!?」
聖女の名を口にしかけた途端、大きく地面が揺れた!?
それは大きく地面を震わせる地震とは違い、巨大なハンマーで地面を叩きつけたようなもの。
ドンとした衝撃の後には、一定のテンポで揺れが続く。
揺れの正体は足音。
地面から伝わる痺れと鼓膜を響かせる音へ、多くが瞳を寄せる。
寄せた場所は町の南側の壁外。
そこには――
「な、なんだあれは? 緑色の化け物?」
町全体を影で覆う、緑色の皮膚を持つ巨人が立っていた……。
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