13-CHAPTER4

 ミルフィの咳はしばらく止まらなかった。皆には大丈夫だと笑ったが、このまま息が吸えなくなって、呼吸が止まったらどうしよう、と密かに思っていた。

 穏やかな眠りに落ちることが出来なかった。眠ったと思えば、自分の咳で起きてしまう。何度も寝返りを打つ。その度に肺が押し潰される気がする。


 ミルフィは結局ゆっくりと起き上がって、枕元の机に置かれたままのグラスを手に取った。咳をし続けていることで、喉の奥がひゅうひゅうする。

「水が無くなったら、直ぐ持ってくるからな」

 その声に驚いた。暗くてよく見えなかったが、ヴァルダスは此処にずっといてくれたらしい。手のひらが布団に添えられている。ミルフィは慌ててグラスを机に戻した。

「ヴァルダスさんは、えほ、お部屋で寝てください」

「咳がうるさいから、ごほごほ、申し訳ないのですけど」

「気にすることはない」

「言ったろう、俺は眠る時間が少なくて済むのだ」

「まあ、お前が出ていけというなら直ぐにゆくから言ってくれ」

 ミルフィはむせながらも、かぶりを振った。

 ヴァルダスは一度立ち上がりミルフィの傍にゆくと中腰になり、背中をゆっくりさすった。その手の温かさからか、安心したからか、咳が少し楽になってきた。ミルフィはヴァルダスの腕のなかに傾いてきてしまい、うとうとした。

「このまま眠るとよい」

 ヴァルダスの言葉を遠くに聞きながら、ミルフィはやっと眠った。


 ふと目が覚めて、身体を少しだけ起こすと、ヴァルダスがあぐらをかいたまま、ベッドに寄り掛かるようにこちらを向いて眠っていた。手のひらだけはミルフィの布団の上に乗っていたので、思わずそっと握ってしまった。

 

 どうしてこのひとは、こんなに優しいのだろう。こんなに大きくて、強くて、こわい顔をしているのに。

 ああ、こわい顔は余計だった。くすりとした。


 わたしはヴァルさんの顔も、ぶっきらぼうな仕草も、低いけれどどこか優しい声も、謎めいた美しさを持つ澄んだグリーンの瞳もすべて、と考えて、そのあとに続く言葉を飲み込んだ。

 

 母を思い出した。お母さまはどんな気持ちだったのかな。愛するひとは別の世界にいて。出会ったあとで、ひとりになって。このように、そのひとを前にすることもなく。それを思うと苦しくなる。


 ん、と言ってヴァルダスが目を覚ました。

 ミルフィは慌てて握っていた手を引っ込めた。ヴァルダスが直ぐに心配そうにこちらを見たので、ミルフィはシャンとルーを起こさないように、小声で言った。

「咳、だいぶ楽になりました」

「もう眠れそうです」

「そうか」

 ヴァルダスは安心したように息をついた。

「ヴァルさん」

 改めて口を開いたミルフィに、ん、とこちらを見たままのヴァルダスが不思議そうな顔をした。ミルフィは軽く頭を下げた。

「いつもいつも、ほんとうにありがとうございます」

「わたし、もっとしっかりしなきゃいけないのに、すぐさまこんなことになって」

「助けられてばかりで、ごめんなさい」

 ヴァルダスは不満げに半目になった。

「直ぐそのように謝るのはよせ」

 えっとミルフィが言うと、

「いやなことだったら俺はやらぬ」

 と答えた。

 はい、と呟いて、ミルフィは照れ臭そうに下を向いたが、ん、と何かに気付いたように言った。

 どうした、とヴァルダスが訊くと、

「どうしてヴァルさんがあのお薬の味を知っていたんですか」

 と言う。

 ヴァルダスは静かに答えた。

「ああ、それはな、毒味をしたのだよ」

「解毒薬ではなく、ただの毒薬が出来たかも知れぬと思ったのでな」

 ミルフィは納得した。なるほど、確かにそうかも知れない。しかしミルフィははっとした。

「毒味などいけません!」

「ヴァルさんに何かあったらわたしは――」

 言いかけたミルフィにヴァルダスがベッドに片腕をついて、じっと見た。

「わたしは、何だ」

 ミルフィは目を逸らした。

「お、お助けする戦士がいなくなると」

「薬を作る張り合いがなくなるというものです」

 ヴァルダスは慌てたようなミルフィを真っ直ぐに見たまま言った。

「そう心配せずともよい」

「ほんとうにお前はいつも物事に対して悩みすぎる」

「まるでそれが仕事のようだな」

 そう言われて、へへ、とミルフィは笑った。しかし直ぐに上目遣いになって、口を開いた。

「ヴァルさん」

「何だ」

 ヴァルダスは片肘をついたままの姿勢で、ミルフィを見つめる。

「ど、毒ではなかったわけですから」

「ややや、やっぱりお薬はあの、」

「ヴァルさんのお、お口で、あの」

 ヴァルダスは諦めたように言った。

「そうだ」

「お前が薬をぼろんぼろん口からこぼすのでな」

「まさかこんな形で――」

 今度はミルフィがヴァルダスを赤い顔のままじいっと見た。

「こ、こんな形で何ですか」


 ヴァルダスは黙り、部屋がしん、とした。

 枕元に置いてあったグラスを手にして、水を入れて来る、と言うとヴァルダスは部屋を出て行ってしまった。

 敢えて気付かないふりをしたほうが良かったのだろうか。しかし訊かずにはいられなかった。

 だってそれはとても、大切なことだから。ううん、とミルフィは悩んでしまった。

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