11-CHAPTER5

 次の瞬間、押し倒されたミルフィの首筋のかたわらには、ヴァルダスの剣が、深く刺さっていた。

「俺たち狼が誰も知らなかった、いいや」

「知ることが出来なかったふたりの最期を」

「何故お前が知っている」

 ヴァルダスの剣を握りしめた両手は、震えていた。尾も同じように小刻みにゆれている。

 

 ミルフィの瞳と表情は戻った。そして改めてヴァルダスを見た。

「それはわたしが」

月詠つくよみの血を引き継いでいるからです」

「!」

 ミルフィは首筋の剣と目の前の狼に、臆する事なく言った。

「わたしは月詠みなのです」

 ヴァルダスはミルフィを睨み続けた。初めて会った時よりも強く、牙を剥いて、唸り声すら上げていた。

「お前よくも、あのような一族に生まれて、呑気に旅が出来ると思ったな」

「それも俺と、狼と、一緒に」

「お前、最初から騙していたのだな」

 

 ミルフィは目を閉じた。こんなわたしに夢を見せてくれたこのひとに、わたしは感謝しかない。そもそもわたしは、やはり此処に来てはいけなかった。

 

「となりで、次は俺だと思っていたわけだな」

「あの洞窟で迷わず殺していれば良かった」

「いや、そもそも」

「あの晩、お前を助けなければ良かった」


 ミルフィは涙を堪えた。けれど自分が此処で泣くなど、卑怯者も良いところだ。

 ヴァルダスの肩越しに見える月がゆれる。

 

「お前に見せるためだけにこの剣を持って来ていたが」

「丁度良かったな」

「俺たち狼に手を出すとどうなるか教えてやる」

 瞳を閉じたままのミルフィに、ヴァルダスは両手を振りかぶった。その大剣の先端が、その光に反射した時だった。

 

 ヴァルダスは血のにおいに気が付いた。それは赤く染まりゆく、ミルフィの左手首からであった。

 何故だ。俺はまだこやつを刺してはいない。だが確かにそれは流れ、あたりの砂に広がってゆく。

 目の端に、淡い光を湛えたダガーが落ちている。


 こやつ、自分を? ならば都合が良い。一族の血を吸ったこの剣で串刺しにし、引き裂いたあとに噛みちぎり、この手首だけをそのままの形で残しておいてやろう。

 こんな穢らわしい存在、喰う価値もない。

 

 ヴァルダスは再度大剣を高く掲げ、それを思い切り突き立てた。

 ガツン、と言う音が辺りに響き渡った。

「……どうぞ、此処に刺してください」

 ヴァルダスの影が落ちる自分の胸に右手を当て、ミルフィが小さく言った。剣はミルフィの頭上にある、流木に刺さっただけであったのだ。ミルフィがそう言う間も、手首からの血は止まらないようだ。

「……最後に聞かせろ」

「お前はどこから来た」

 剣を突き立てた姿勢のまま、ヴァルダスは言った。その表情は月の逆光により、ミルフィには見えなかった。

「わたしは――」

「わたしは此処、ヴァルさんたちの世界」

「この世界の狭間からです」

「狭間だと」

「ほんとうは此処に来ることが出来ない存在でした」

「それでも来られたのは、わたしの月詠みの血が半分しかなかったから」

 ミルフィの声が、弱々しく続く。

「母は月詠みだったけれど、父はこちらの人間だったのです」

「!」

「受け継いだ血は半分だったけれど、わたしは幼い頃から此処に憧れていました」

「父と母が出会ったこの世界をずっと夢見ていたから」

「きっと此処に来ることが出来たのだと思います」

「あの光の力で」

 その〝光〟のことは良く分からなかったが、月詠みはそこを通り、こちら側までやって来ていたのだろう。

 長い間。狼である皆を殺してゆくために。

 また怒りが込み上げた。ヴァルダスの歯が改めて剥き出しになる。


 ミルフィにはヴァルダスの姿は良く見えなかったが、強い怒りが降ってくるのは痛いほどに感じられた。そしてミルフィは、はっきりと、言った。

「此処で月詠みが誰かを傷付け続けていたのなら」

「もうこの力は失くすべきです」

「それにどんな意味があったとしても」

 

「わたしはだれもころしたくない」


「だからいま此処でわたしの血をすべて月に流せば」

「わたしが開けてしまったものも、元に戻ると信じたいのです」

「ヴァルさんがもう誰とも戦うことがないように」


「俺の名前を気安く呼ぶな!」


 ヴァルダスの汗なのだろう、ミルフィの頬に生ぬるい雫が落ちて来る。

「……」

「申し訳ありません」

「もう直ぐ、影詠みが来ます」

 ミルフィはゆっくりと起き上がり、硬直したまま動かないヴァルダスの横を抜け、立ち上がった。

「お逃げください」

 すれ違いざまに、微かに聴き取ることが出来るような小さい声でミルフィがそう言ったので、咄嗟に振り返ると、ヴァルダスに背を向けたままよろよろと進み、ぼわりと浮かぶ月の真正面に立った。それは格段に強い光を放っていたが、今のミルフィにはそれが何番目の月かは、分からなかった。

 

「お父さま、お母さま、ごめんなさい」

「ローズおばあさま、ごめんなさい」

「わたしはこのような形で、月詠みの力をけがします」

「これが正しいのか、分からないままに」


「わたしは、半分だったけれど」

「それゆえに出来たこともあった筈なのに」

「護ることすら、あきらめて」

「中途半端なままで」


 ミルフィは、両腕をゆっくりと目の前に掲げた。

 ヴァルダスからその表情は見えなかったが、左の手首から血液が絶えず流れているのは良く分かった。それは肘までも伝ってゆく。


 ミルフィは口を開いた。


「此の力無くなるとき」

「過去の娘たちの魂は鎮められん」

「最後の者は未来永劫」

「共に歩いた者と幸福に満たされるよう」

「此処に永遠とわに願う」


 そして腕を静かに下ろした。指先からは赤い雫がぼとぼとと砂に落ち、足元はなおも濡れてゆく。それは腿を伝い、かかとまで染めていた。

 ミルフィはゆっくりと瞳を閉じた。もう、涙も出なかった。

 

 月は先ほどのように、きちんと明るいままなのだろうか。まぶたの裏にそれは感じられない。

 意識が混濁してきた。自分の頭の中が、みえない。

「ほんとうに……な、さい」

 呟くようにそう言うと、ミルフィは倒れた。

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