第8話 ピンチにパンチ

8-CHAPTER1

 街を出てしばらく歩いていると、ああ、と言うので、ヴァルダスはミルフィを見下ろした。

 

「軽食を買うのを忘れました」

 

 問題ない、とヴァルダスが鞄から紙に包まれたサンドイッチを出した。ミルフィは目を丸くした。

 

「これどうしたんですか」

「宿屋のおばちゃんがな、俺らにと持たせてくれたのだ」

「ひと部屋しか貸せなかったお詫びだと」

 

 まあ、とミルフィは口に手を当てた。

 

「それじゃあさっきは何も買わなくて良かったんですね」

「止めてくださっても良かったのに」

 

 そう言うと、

 

「それならそれで良いのだ」

「俺はいくらでも喰えるのだからな」

 

 ヴァルダスが胸を張ったので、ミルフィは可笑しかった。

 

「ありがたいですね」

 

 ヴァルダスは頷き、すぐ先を指差した。

 

「川が近いから、そこで喰うことにしよう」

「水も汲めるしな」

 

 はい、とミルフィは明るく言った。街に向かう途中に聴こえた水の音は、そこからだったのだろう。


 小川に着いた。さらさら、と穏やかに流れ、所々に頭を出している小さな岩は水に濡れてきらめいている。ミルフィが手を差し入れるとひやりと冷たく、さらしている手のひらの両端に、まるで水を切り分けているかのように流れた。

 

 ヴァルダスは芝にそのまま座り、鞄をごそごそしている。ミルフィが傍に戻ると、ああ忘れていた、と言ってシートを広げた。ミルフィはわくわくしながらそこに腰を下ろした。

 

「何だかピクニックみたいです」

 

 そうだな、と言ってヴァルダスはサンドイッチを取り出した。サンドイッチはチーズと柔らかいレタス、そして薄く切られたスモークハムが数枚挟んであった。

 

 こんなに平和で良いのだろうか。ヴァルダスは辺りを見回して誰もいないのを確認したが、念のため大剣を傍に引き寄せておいた。

 

「美味しいですね」

 

 そう言ってミルフィが顔を上げると、ヴァルダスは何も聞こえないのか、サンドイッチをがつがつ食べていたので、ミルフィは笑ってしまった。

 

「これもどうぞ」

 

 ミルフィは自分の分を差し出した。ヴァルダスは食べるのをやめて、言った。

 

「いや、良いんだ」

 

 ミルフィが紙ナプキンと一緒に尚も差し出すと、悪いな、と言ってそれも食べた。

 

「わたし、手を洗うついでに水筒に水を汲んで来ます」

 

 ミルフィはにこっと笑うと、前もって出しておいた水筒を手にして立ち上がった。


 川に向かいながら、ヴァルダスと初めて出会った晩を思い出していた。

 ディルムさんが言っていた、初めて会った時こわかったろ? と言う言葉を思い出す。あの夜、ヴァルさんへの恐怖心はなかったけれど、少なくとも今よりは何と言うか、距離を感じる厳しい男性、と言う感じだったのに、今は狼と言うより子犬みたいに思う時がある。

 

 気を許してくれているのだと良いな、と思う。わたしはどうだろう? 考えなくとも初めから彼に頼り切りだ。もう少し支えることが出来たらなあ、と思っていると、小川に着いた。

 

 しゃがんで水を汲んでいると、その向かいに、何か話しながらこちらに来る三人の男性が見える。男たちがミルフィに気付いた。ひとりがにやりといやな笑い方をしたので、ミルフィには直ぐに相手が悪人なのが分かった。

 

 水筒を置いてダガーに手をやる。しかし、はっとした。先日のように隠れたうえで敵を前にすることはあったが、今はそうではない。更に一対三だ。

 

 じり、と後退りした。三人ともミルフィを見ながら川に入ろうとしている。ダガーを向ける必要はないかも知れない。しかし男たちは確実に近づいて来る。


 どうしてこうも、こやつらたちはいやらしく笑うのだろう。悪人にと言うより、ミルフィはあのにやけかたがたまらなく嫌だと思う。最初に追いかけられた相手だったからかも知れない。

 

 とにかく、あの男たちのひとりだけでも何とかしよう。駄目だったら、そのとき考えよう。

 ヴァルダスに助けを呼ぶことは容易かったが、ミルフィにその考えはなかった。

 

 ひとりが相変わらず、にやにやしながら川をざばざばと渡ってこちらに来た。

 ミルフィは手元のダガーをゆっくり引き抜くと、相手がぐん、と伸ばした両腕をステップで素早く回避し、男の真横からしゅっと斬り付けた。敢えて服だけに切れ目を入れたので、男の上着の半分がはだけた。脇腹が見えている。

 

 男は何が起きたか分からないような顔で、その体勢のまま、首だけでミルフィを見た。

 その様子に残りのふたりはたじろいだが、そのままミルフィの傍に近づいた。

 

「やるなあ、嬢ちゃん」

「俺は嬢ちゃんみたいな強気な娘が好きでなあ」

 

 ふたりのうち、ひとりがげへへ、と笑う。

 先ほどの男をしっかり斬れば良かったのだろうか。ミルフィは若干後悔した。

 

 考える。相手を殺す必要があるのか。ほんとうにそれをしてしまって良いのか。それより自分にその力があるのか。一応、相手にはまだ何もされてはいない。あくまでされようとしているだけだ。しかし。


「驚いたよ」

 

 先ほど服を斬られた男がミルフィの肩に手を掛けた。ぐぐ、と込められてゆく力にミルフィはぞわりとし、反射的に振り返ると、自分の肩に乗せられた男の手首にダガーを刺した。

 

「近寄らないでください!」

「うわああ!」

 

 このようなことをされるとは思っていなかったのだろう、男は刺された手首をもう片方の腕で支え、叫んだ。男の血がぼたぼたと足下に流れてゆく。その様子に残りのふたりが明らかに動揺と同時に怒りの表情を見せ、ミルフィに向かって来た。

 どちらを先に斬れば良いのか、ミルフィは一瞬迷ってしまって、動けなくなった。

 

 その時だった。

 

「何をしている」

 

 背後から声がして、えっ、と我に返るとヴァルダスがミルフィを追い越した。水飛沫が上がる。

 そしてミルフィの目の前にいた男たちのひとりめを殴り、ふたりめを蹴り上げ、血を流していた男の手首に手を掛けた。

 

「このまま折ってやろうか」

 

 やめてくれえ、と男は半泣きになり、元来た道を走って行ってしまった。一瞬の出来事だった。

 

 残りの男たちは気絶したままだ。このままでは溺れて死ぬだろう。ミルフィの懇願するような顔を見て、ヴァルダスはため息をつくと、意識が戻らないままの男たちを岸辺に引き上げた。


 流れる川の水に足を入れたまま、何も言わないヴァルダスにミルフィが声をかけられずにいると、

 

「ミル」

 

 背中を見せたまま言った。初めて会った時の声に似ていた。

 

「こやつらを倒す自信があったのか」

 

 ミルフィは目を伏せて、ダガーを握り締めた。

 

「わたし、どうしていいか分からなかったんです」

「倒せなくても少なくは、何か出来ると思ったんです」

 

 ヴァルダスは振り返り、ばしゃばしゃと歩いて来ると、追い抜きざまにミルフィの手を引いた。そして水筒を拾うと、元いた場所に連れてゆく。

 

 シートの前まで来て手を離すと、ヴァルダスはしっかりとミルフィの顔を見た。

 

「良いか、それでは駄目だ」

 

 濡れたブーツを脱いでそれを振りながら言う。

 

「過信するな」

「何かあったら直ぐ俺を呼ぶのだ」

 

 ミルフィは言った。

 

「でもそれじゃ」

 

 俯いたまま続けた。

 

「それじゃわたしいつまで経っても強くなれません」

「ヴァルさんのお役にたてません」

 

 ヴァルダスは再度ミルフィの手を握ると、シートに座らせ諭すように言った。

 

「強くならなくてよい」

「役に立とうとしなくてもよい」

「それは俺がやるから」

 

 ミルフィは涙目になって、ヴァルダスを見つめた。

 

「お前は今、出来ることをすれば良いのだ」

「このようなつまらないことで、命を投げ出そうとするな」

 

 ミルフィはついに泣き出してしまった。濡れたままのヴァルダスの手を強く握り返した。

 

「暗殺者になれって、戦いかたを教えてくれたのは、ヴァルさんじゃないですか」

「いやまあ、確かにそうだが」

 

 ヴァルダスは困惑したように言った。

 

「まあ、ひとりめの服だけを斬ったのは正解だった」

「時間を稼ぐことは出来ただろう」

 

 しかしな、と続ける。

 

「とにかく無理だけはするな」

「良いな」

 

 ミルフィは鼻をすすりながら頷いた。

 その様子を見ながら、ヴァルダスは自分の手のひらがミルフィに握られたままなのにはたと気が付き、ミルフィもヴァルダスの視線を追うと、ぱっと手を離した。

 

 ふたりの間に沈黙が流れて、ミルフィは自分の真っ赤な頬に手を当て目を逸らし、ヴァルダスは慌てて下を向くと、自分の剣を鞘に戻した。

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