第5話 ちょこっとレッスン

5-CHAPTER1

 ピチチチ…


 穏やかな小鳥の声がする。

 ヴァルダスの耳がぴくりとして、ゆっくり起き上がった。頭の毛はもさもさとして、目は半開きだ。くわあとあくびをしてはたと気付く。隣に娘がぐうぐう眠っている。ヴァルダスは全てを思い出した。


「ミルフィ、おい、ミルフィ」


 揺さぶると、目を開けないまま、んんーと言いながら寝返りを打とうとしたが、直ぐにがばりと起き上がった。


「すみません寝てました」

「そのようだな」

「いま何時ですか」

「日が昇ってしばらくは経っているな」


 ふたりのあいだに沈黙が流れた。


「お前起きていると言ったではないか」

「ヴァルダスさんこそ余り寝ないと言っていましたよね」


 ヴァルダスはミルフィの声を聞きながら、鞄を確認し、剣に目をやった。


「誰も近付いていなかったようだ」

「良かったです」


 ミルフィも胸を撫で下ろす。


「お前に見張りは任せられぬな」

「ヴァルダスさんだってひとのこと言えるんですか」


 またもふたりでわあわあ言っていると、


「ワタシから見たらどっちもあんぽんたんニャ」


と声がして、ふたりはその声のほうを見た。

 

 レインコートが荷車に身体を傾けてヴァルダスとミルフィを見ていた。


「ワタシが歩いていたら無防備に眠っているひとたちがいて」

「近づいたらヴァルダスとミルフィだったニャ」

「ワタシが見張りをしていなければ何があっても仕方なかったのニャ」


「すまない」

「ごめんなさい」


 ふたりは同時に謝った。レインコートはため息をついて、手首を上下に振った。


「良いのニャ」


 そしてきらりと目を光らせた。


「もちろん警備費はしっかり払ってもらうのニャ」


 その言葉にミルフィは冷や汗をかいて、価格を計算し始めた。ヴァルダスは平静を装っていたが、尾がぶるぶるとして動揺を隠し隠し切れない。

 俺としたことが、一晩中爆睡してしまうとは。今までの自分では到底考えられなかった。


「用を足して来る」


 ヴァルダスは草むらの向こうに行ってしまった。


 その背中を見ながら、レインコートは面白そうに言った。


「あのヴァルダスがニャあ」


 何です、とミルフィが問うと、レインコートはミルフィの方にやって来た。そして隣に座った。


「ヴァルダスは此処に来たばかりの頃」

「ワタシに見向きもしなかったのニャ」

「そうなのですか」


 ミルフィは驚いた。薬の数はともかく、旅の道具は一通り揃えているようだし、実際アメネコ、と呼びながらレインコートと取り引きしている。そのような時期があったとはとても思えなかった。


「すれ違う時もワタシをツーンと無視していたし」

「ワタシもヴァルダスのこと苦手だったのニャ」


 ああ、とその様子がありありと頭に浮かんだ。


「ぎろりとした目で見て来るし怖かったのニャ」

「あんな目で睨まれたこと今までなかったニャ」


 ミルフィはレインコートの気持ちが良く分かり、思わず眉を下げて、うんうん、と頷いた。


「だからいつからか、あのおっきな人影が向こうから来たら」

「ワタシは台車を横にずらして、ヴァルダスから距離をとっていたのニャ」

「そこまでしてたんですか」


 驚いた声を出したミルフィに頷き、レインコートは続けた。


「ある日、またヴァルダスがこっちに来るのが見えたので、ワタシは慌てて台車をずらそうとしたのニャ」

「そうしたらワタシとしたことが、バランスを崩して台車ごと横転しそうになったのニャ」


 まあ、とミルフィは口に手を当てた。


「途端ヴァルダスがものすごい勢いでこちらに駆けてきて、ああワタシはもう駄目ニャ、と思ったら」

「台車とワタシを同時に支えると、ぐいと起き上がらせてくれたのニャ」

「そのとき台車にはいつもより売り物をたくさん積んでいたから、とても重かったはずなのニャ」


 ミルフィは口に手を当てたまま、目を見開いた。


「ヴァルダスはそれから、ワタシを見て」

「猫よ、旅に必要なものが欲しい、と言ったのニャ」

「ワタシがお礼を言う暇もなかったニャ」


 へええ、とミルフィは感心した。思わず微笑んで、


「流石はヴァルダスさんです」


と言うと、レインコートは続けた。


「だからヴァルダスがミルフィと歩いてるのを見て」

「ワタシは驚いてしまったのニャ」

「なるほど、確かにそうですね」


 レインコートへの態度を聞いてから、ミルフィは出会って直ぐに同行を許してくれたヴァルダスを改めて不思議に思った。


「哀れに見えたのかも知れません」

「様子から見て、きっと行き倒れると思ったのです」


 しょんぼりしながら言ったミルフィに、レインコートが笑った。


「ヴァルダスはそんなこと思わないニャ」

「ニャぜなら」

「おい、お前たち」


 低い声にふたりは、はっとしてそちらを見上げた。


「何の話をしていたか言ってみろ」


 レインコートとミルフィは同時に目を逸らした。


「アメネコ、余計なことを話しておらぬだろうな」


 もちろんニャ! とレインコートは立ち上がり、台車の取手に手をかけると、


「それニャら!」


と手を振って走るように行ってしまった。


 レインコートが去ってから、ヴァルダスはミルフィを黙って見下ろしていて、ミルフィも何も言えずそのままだったので、辺りは静かになった。フン、とヴァルダスが鼻を鳴らしたのでそろりと見上げると、


「警備費が浮いたな」


と真顔で言った。

 意外な言葉にミルフィは笑いそうになったが、レインコートから布を買いそびれた事を思い出した。


「どうせまた直ぐに会うだろう」


 ミルフィは納得した。確かにそんな気がする。レインコートが何を言いかけたのか少し考えて見たが、また話を聴く機会はあるだろう。


「レインさんは面白いし、優しいですね」

「わたし好きです」


 好き、という言葉にヴァルダスはびん、とまた耳を動かしたが、そうか、と言って敷かれていたシートを丸め出した。ミルフィが手伝おうとすると、座っていてよいと言われてしまったので、自分のブランケットだけ畳んだ。

 ヴァルダスがそのブランケットを見て、言った。


「それ、暖かったぞ」

「だから良く眠れたのかも知れぬ」


 ミルフィからはヴァルダスの背中しか見えなかったが、ミルフィは微笑む。


「良かったです」

「また使いましょうね」


と言ってから、並んでまた眠るのかな、と思って、何だか恥ずかしくなった。それはヴァルダスも同じだったのか、小さな声で、ああ、とだけ言った。尾が少しだけ左右にゆれたように見えた。

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