建御名方之剣

タントラム

第1話 蛟龍〜水の拳〜 第一節


 夜が明けたばかりの木立の合間を緩やかな風が通り抜けていく。


 古来から千丈ヶ嶽と呼ばれるその山深くの雑木林の中に、不意に木々が途切れ開けた草地があり、その中央に周りの木々より一際大きい巨木があった。


 大人が腕を回しても半分程しか届かない立派な幹だが、梢を見上げてもその先に拡がる枝や生い茂る葉は無く、誰が何を用いて為したのか、幹の途中からが異様な角度で断ち切られている。


 そして、その巨木の前に少女が一人、幹の鋭利な切り口を見上げて立っていた。


 黒いおさげ髪を左右に垂らし白い空手道着を身に付け、腰には黒い帯を巻いている。

 足は砂礫混じりの草地を気にしていないのか裸足である。


 少女は険しいとも真剣であるとも取れる凛とした表情で、しばらく幹を見上げていたが、何かを決意したかのように頷くと、両腕を脇腹に沿って締めるようにゆっくりと曲げ、両足を肩幅程に開き息吹を付き始めた。


 やがて少女の息吹と共に辺りに霞が掛かったような大気のゆらぎが生じ、次の瞬間、

シャッッ!!」

 少女の右腕が消えたかの如く閃き、巨木の幹へ手刀が叩き込まれた。

 ……が、幹の寸前で手刀は静止している。

 同時に辺りに掛かり始めていた霞も消えていた。


 少女ははにかんだような表情をすると、

「やはりまだ師匠のようには行かないか……」と呟き、巨木の傍らに脱いでおいた鉄下駄を履くと、背筋を伸ばし木に一礼をし、草地を後にした。


   ――第1話 蛟龍〜水の拳〜 ――


「…………」


 日野照真ひのてるまは悩んでいた。


 本棚の隙間から、机を並べて談笑してる一団をチラチラと覗き見つつ、今日こそ、


『私、漫画研究会に入りたいんですが……』


 と言おうと思いながら、転校してきたばかりで知り合いも友達も居ない自分があの輪の中に入って楽しくやっていけるのだろうか、と。


 それにもしかしたら自分が好きな漫画が彼らの好みには合わなくて浮いてしまうかもしれない……そんな事も考えてしまい、なかなか言い出せずに結局図書室を出て行ってしまうという日々を過ごして来ていた。


(やっぱり出直そう、クラスの人で漫研に入ってる人と話をしてみて、どんな活動をしてるのか知ってからの方が良いかもだし……)


 そうして照真は今日も図書室を去る事を決めた。


 沈んだ気持ちで階段を降り、一階の渡り廊下を歩いていると、前から一人の少女が歩いて来るのに気付く。

 

(あれは……確かクラスに居た……何て名前だっけ……)


 照真が思い出そうとしてる内に少女の方から話しかけて来た。


「日野さんか、今から帰るの?」

「あっ、はい、えっと……」

「私はちょっと調べたい事があって図書室へ行こうと思ってるんだけど、開いてるかな?」

「図書室なら漫研の人達が居るから開いてました」

「そうか、ありがとう」

 少女は照真に礼を言うと歩み去った。


 その後ろ姿を見送りながら、照真は少女の名を思い出そうとした。


(そうだ、那美さん……御槌那美みづちなみさんって名前だった)


 黒いおさげ髪を揺らして校舎の中へ入って行った少女の名をようやく思い出すと、彼女の噂話をしていたクラスメイト達の事も思い出した。


 実家は空手の道場を開いていて彼女自身かなりの腕だとか、近隣の他校生と喧嘩になって、無傷で全員叩きのめしたといった感じだ。


(見た感じは小さくて可愛らしくて全然そんな風には見えないんだけどな……)


 那美よりはかなり背が高い照真から見た那美の印象はそういった印象だった。


 自分が女子の中でははっきり目立ってしまう位背が高くて、同じ年頃の男の子達と比べても頭一つ程も高い身長は、照真のコンプレックスにもなってしまっていた。


 運動がそれほど得意では無いのに背丈だけを見られて、バレー部であったりバスケ部なんかに誘われてしまい、生来の気の弱さから仕方無くついて行ってみはするものの、妙に期待されて、いざ練習をしてみると付いて行く事も難しくすぐに失望の眼差しを浴びてしまう事になる、それの繰り返しだった。


 だからという訳でも無いが、スポーツをする事を自然と避けている内に、体育の成績まで悪くなっていった。


 そして外で遊ぶ事より家で漫画を読む事が照真の趣味となった。


 幸い(?)家には昔から祖父の集めた漫画本が大量に有り、暇さえあればそれらを片っ端から読んでいく日々を過ごして来たのであった。


 両親には漫画ばかり読んでいないで勉強もしなさい、と言われた事もあって学校の宿題や予習復習はしっかりとして来た。


 だから、転校して来たこの高校では絶対に漫画に関係した部活に入るんだとも決めていた。


 そんな漫画と勉強しか知らない自分からすると、那美のようなスポーツをしている子は、妙に眩しく見えて苦手なタイプだった。


(何か調べ物をするとか言ってたけど何だろう……まぁいいか、帰ろう……)


 気付けば辺りはすっかり夕暮れになっている。

 今日も漫研に入れなかったという残念な事もあり、沈んだ気持ちのまま、照真はとぼとぼと帰宅のみちについた。

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