第36話 やめられない止まらない
「せい君、寝よ?」
俺のベッドに先に入って、誘うように神岡が聞いてくる。
もう、飛び込んだら何をしでかすかわからない俺は、やはりここで躊躇した。
「……同衾、というのはさすがにだな」
「一緒じゃないとヤダ。こっちきて」
「……わかった」
俺は断る雰囲気ではないと、覚悟を決める。
なに、寝るだけだ。
そう、今からすることは隣に神岡を置いて寝るだけ。
別に何かしなきゃいけないとか、そんな約束はない。
俺がムラムラさえしなければ、静かに眠って朝を迎えるだけだ。
冷静になれ。
こんな一時の気の迷いで既成事実なんて展開は俺らしくない。
冷静に、冷静に……。
「し、しつれいします」
なぜか自分の布団なのによそよそしく。
入ると、もう布団の中は神岡の体温で少しあたたかい。
「ふふっ、一緒に寝ちゃうとかドキドキ。電気消して?」
「……ああ」
部屋を暗くする。
暗闇に目が慣れないうちは、隣の神岡の顔さえ見えないくらい、今日は外も曇っているせいか真っ暗闇に包まれる。
そしてようやく目が慣れてくると、大きな神岡の目がきらりと。
こっちをまっすぐ見ているのがわかる。
「せい君、ドキドキしてる?」
「……普通するだろ。でも、何もしないからな」
「ん、いいよ。今日はね、せい君とこうして一緒に寝たかったの。毎日、こうして一緒に寝れるだけでいいの」
「……そうか」
「おやすみ」
「おやすみ」
家に帰ってからの神岡は人が変わったように従順だ。
しつこくないし、凶器も出してこない。
ただ甘えたがりな女の子だ。
そんな様子を見ていると、俺もさっきまでの強固な考えが崩れそうになる。
案外、こうして俺を一途に思ってくれるやつなんてこいつくらいのものかもしれない、とか。
副会長としては有能だし、何より俺の志にも理解がある。
もちろん邪魔もするが、そういう面を差し引いても仕事に欠かせないパートナーではある。
「……もう、寝たのか」
すうすうと寝息を立てる彼女の横顔を見ていると、どうも憎めない。
どころか、ずっとこうしててもいいという気分にさえさせられる。
このまま、押し倒したって多分こいつは文句どころか喜ぶんだろう。
でも、俺も男だ。
正々堂々闘って、破れた時にはこいつの言うことをきくことにすると決めた。
だから今日は寝る。
寝て、また神岡に起こしてもらって朝が来るはずだ。
「……おやすみ、紫苑」
俺も目を閉じる。
最初はそわそわして寝付けないかと思ったが、やはり神岡といると疲れるせいか、だんだんと意識が薄れていく。
そして、いつの間にか眠りについていた。
◇
「……ん、何の音だ?」
シャリシャリと、何かを研ぐような音で目が覚めた。
窓の外は少し明るくなりかけている。
そして、隣にいたはずの神岡はベッドではなく、机の上で何かをしていた。
「あ、せい君起きちゃった?」
「……何をしてるんだ?」
「えへへ、彫刻刀を研いでたの」
「……朝から版画でも掘るのか?」
「そんなわけないじゃん。朝掘るのはせい君のお顔だよー?」
「……え?」
鋭い彫刻刀の刃が向けられる。
「なんで私と一緒に寝てるのに何もしてこないの? ねえ、私ってそんなに魅力ないの? なんで? もしかして他に女いるの? 他の女で気持ちよくなっちゃってるの?」
「ま、待て待て朝からヒステリーを起こすな! こ、これだけ一緒にいてどの間に女と会うっていうんだ」
「ん、それもそっかあ。じゃあ浮気とかしてない?」
「す、するか。ていうかそれを置け」
「んー。よかった聞いてからで。危うくせい君にぶっさすところだった」
「……」
危うく寝てる間にぶっさされるところだった。
いや、昨日の俺の穏やかな気持ちを返せ。
やっぱり何もしなくてよかったよほんと。
「せい君、まだ朝早いからもうちょっと寝よ?」
「え、でも中途半端だろ」
「いいの。仲直りのキス、したいし」
「いや、それは」
「仲直りしたくないの? あれれ?」
「……します」
もう、思考がだいぶ汚染されていた。
キスで場が丸く収まるならと、考えてしまう自分が嫌になりながらも、それしか方法が思いつかず俺はキスを受け入れる。
そして、今日はベッドの中で。
そんなシチュエーションで朝から神岡とキスをしていると、だんだん俺は神岡が可愛く見えてくる。
よく聞く話で、エッチをしたら情が移るとかってあるけど。
こんな状況でキスしてたら情が移るどころの騒ぎではない。
好きになりそうである。
「……も、もういいか?」
「せい君はもっとしたくない?」
「そ、それは……」
「あ、否定しないってことはしたいんだ。ん、いいよ?」
「……」
そのままやめることもできたのに、またキスをした。
今度は俺の方から。
もう、陸上競技とか勝負とか、どうでもよくなってきていた。
勝っても負けても、多分離れられない。
ていうか勝っちゃったらどうしようとか、そんな心配までしていた。
そして、そのまま日が昇った。
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