4.魔王 - 前

 小鬼の悪さと言えば、時々家畜やこどもをさらって巣に持ち帰ったり、という被害の程度が典型ですが。いつまでも駆除されないでいると、繁殖し、巣穴には収まらない数となります。そうしたとき、小鬼は新しい巣を作るか……徒党を組んで、人里を襲う習性があります。

 わたしたちを守ろうとした父は群がられて殺され、母はその場で喰われ、アルテイアは山刀を構えて、気丈にわたしを守ろうとしていて、わたしはただ、震えていた時。

 叙事詩の一節のごとく、現れたのがあなたというわけです。

 かっこいいですね。本当に。

 今でも、そう思っていますよ。


 パチリパチリ。チカチカチカチカ。


 どの文献にも記さされていなかった事実をわたしはいろいろと知ることができました。まずレベルゼロは存在しないということ。レベル1から下がった場合、レベルは-1になるようなのです。神さまがそう教えてくれました。


 レベルが-1と化したあなたは、一言で言うと小さくなっていました。年齢的には十二程度でしょうか。……いえ、よく見るとそうではありません。顔立ちや全体のバランスは、十五相当であったレベル1の時と同じだったのです。等身を保ったまま、彼は小さくなっていました。頭の高さは私の胸ほどです。


 あなたは鏡に写った自分とわたしの姿を見比べて、震えていました。叫びはしませんでした。口を布で塞がれているので、叫べない、と表現したほうが適切ですね。怪我が治りきっていませんが、まあ、いいですよね。すぐそんなの、どうでもよくなるし。ついでにいうと、手も後ろに回され、縄で縛られています。『不死の願い』で戻ってきた直後は人事不省になっているので、こんなこともできるんですね。もっと早く気付けばよかったです。


「さ、今日も小鬼討伐に向かいましょうか。勇者さま」


 縄を引き、教会を後に。向かうのは、あの小鬼の巣。

 じたばたともがいたりしていますが、なにしろ大人とこどもの体格差ですから、全然かないませんね。昔とは逆です。この間までずっと死に戻り続けていたのに、何がそんなに怖いんでしょう?


「次はどんな敗け方でしょうね。美食グルメな小鬼って、内臓だけ食べたりもするんですって。わたしの母がそうでした」


 そう口にするわたしはなんだかひどく楽しそうで、わたしからは遠く、別人になりかわられているような気持ちでした。魔族にでも取り憑かれたのでしょうか──ああ、でも、あなたが言うには、そんなことは、ないんですよね。


 あなたのことは、いまでも、尊敬していますし、感謝しています。

 でも。ほんの少し。

 ──

 という、感情が湧き上がることを、無視できませんでした。

 でもわかっています。

 勇者さまは素晴らしいお方だと。

 だから責めるのはお門違い。

 感謝こそすれ、恨むことはできない。


 でも、勇者さまが素晴らしいお方でなかったとき、前提が崩れ、自分を納得させることは、不可能になります。だから、勇者さまには、ずっと完璧な存在でいてもらわなければいけなかった。

 わたしごときに、救いを求めるような男では、いけなかった。

 わたしごときを好きになるあなたでは、いけなかった。


 パチリパチリ。チカチカチカチカ。


 後にして考えてみれば、わたしはあなたのことをまだ信じたかったのかもしれません。勇者さまがやはり勇者であるのだと。間違ったわたしのことを罰してくれるのではないかと。


 パチリパチリ。チカチカチカチカ。


 レベル-5(次のレベルまで、あと0.15625)のあなたの身長は私の腰ほどでした。もう手足は枝のように細く、力を加えれば折れてしまいそうです。同じ背丈の幼児とけんかになれば勝ち目はないでしょう。

 ぶかぶかな古着をまとったあなたは女の子というよりすでに人形のようでした。戸棚に飾っておきたいほどかわいらしいです。


「わかっていますよね? 叫んだら」


 震えるあなたの、首筋をそっと指で撫でてあげます。

 口枷や手枷はもう必要ありませんでした。あなたはすっかり、わたしに逆らうことの愚かさを、学んでくれたのですね。


「お、オール」


 あなたはわたしの胸に抱きついて泣きました。そこには、もはや"死"に対する恐怖はなくても、このまま小さくなっていけばどこへと向かってしまうのか、――消滅してしまうのではないか、という畏れがありまいした。


「だいじょうぶですよ。勇者さまがどれだけ小さくなってしまっても、わたしが側にいます。わたしだけが、あなたを識別してあげます」


 ──でも。


「あのね。無理があるんですよ。いつかは露見します。一緒に旅ですって? 夢みたいなことを言わないで。勇者としての力がもうないあなたが、対魔王連合に見つかってしまったら、それは酷いことになるでしょうね」


 ──だからといって。


 これ以上小さくなる必要なんかない?

 そうかもしれませんね。


「あなたに、選択肢なんてないんですよ、勇者さま」

 

 木製の裏口の扉の取手には手が届かなかったので、わたしがそっと開けてあげました。早く、戻ってこないかな。小さくなって。


 パチリパチリ。チカチカチカチカ。

 パチリパチリ。チカチカチカチカ。

 パチリパチリ。チカチカチカチカ。


 レベル-10(次のレベルまで、あと0.0048828125)の勇者さまは手のひらに乗る大きさでした。余っていた布を裁断して、お手製の簡素な服を作ってあげました。


「ほらほら、早くしないと。置いて行っちゃいますよ」


 わたしは冒険の支度をして、裏口の扉を開いてあなたが床の木目につまずきそうになりながらも、よたよたと追ってくるのを待っていました。少しだけ開けた扉の隙間からは、早朝の涼しい風が吹きこんできました。天気は良くて、絶好の冒険日和です。


 あなたはわたしの両足の間を潜りぬけ、あなたにとっては自分の身長ほどもある段差に苦戦し、わたしのブーツを踏み台によじ登り、扉の隙間に身体を通らせて外へと出ました。隙間は私の握り拳が入る程度のものでしたが、今のあなたにとっては十分すぎる広さでした。


 ようやく外に出られたあなたを、遅れて私も追いました。教会の裏口を出ると、そこには刈られずに放置されていた草むらが広がっています。勇者さまの姿が見当たらないと思ったら、私の股の下の草むらに埋もれていました。草の一本が足に絡まって身動きがとれないようだったので、指を伸ばして助けてあげました。ただの草むらも、勇者さまにとっては森に見えてるのかも知れません。そのままでは生い茂った草むらからは脱出できそうもないので、両足を使ってかき分けてあげました。


 全身に細かい傷を作りながら出てきた勇者様は、しゃがみこんだわたしの下ろした手のひらによりかかりました。わたしの三歩分の距離の草むらは、彼にとっては満身創痍になる思いで渡らなければならない荒れ道でした。わたしの残した足あとは、勇者さまがふたり入りそうでした。


 わたしはあなたを肩に乗せ、そこから落ちないように必死に服の皺にしがみつくのを横目に見ながら、教会裏手の林を進みました。数刻ほど歩くと、突風と共に西日がわたしたちを刺しました。林を抜け、見晴らしのいい切り立った崖までたどりついたのです。あなたは、風に煽られてわたしの肩から落ちていました。長い髪につかまって、背中をぶらんぶらんと揺れていました。


 あなたを手のひらに載せ、胸の高さまで持ち上げ、ひらけた景色へあらためて向き直ります。下を見ると、広大な草原と森が緑の霞のように広がっています。靴の下から、土くれがころころと転がって落ちていきました。目のくらむ高さです。あなたにもそれは同じでしょう。


 ちょうど、はるか向こうの魔王山の向こうに夕日が沈んでいくところでした。魔王山はその由来のとおり、複雑な生き物めいた曲線を描いています。その隙間のひとつひとつから、赤い日差しが幾条も差し込んでくるのです。悪しきものどもの住まいであることを忘れるほど、幻想的な光景でした。


 手のひらのうえのあなたといっしょに、わたしは見惚れていました。すべてが変わってしまったあなたも、わたしと同じ風景を見ているのでしょう。大地と神さまは誰にでも平等なのです。


 あなたの言うように、魔王なんていなくて。しかし世界は、闇になんて包まれていなくて。ただただ、美しいだけ。そう信じたかった。


 わたしは夕日を背にし、手の中のあなたをじっと見つめました。わたしの身体で光が遮られ、そこに濃い闇ができたため、あなたのちいさな顔に顕れた表情はわかりません。わたしの貌もきっとそうでしょう。


 わたしは夕日だけが見守る中、あなたに顔を近づけました。豆粒のように小さく、小突けばそのまま胴体と引き剥がされてしまいそうなあなたの頭部に、くちづけをしました。


 あなたがそれをキスと認識できていたかはわかりません。わたしの指先――彼にとって、木の幹のように太い――が触れるたび、あなたの華奢で繊細な骨組みがさくりさくりと新雪を踏むような音を立てて壊れていくのがわかりました。けれど、止めませんでした。あなたが壊れていくのと同じように、わたしの祭服のボタンは外れ、肌着のひもは緩み、理性は溶けていきました。


 アルテイア。あなたがいたら止めてくれたのかな。

 こんなことが本当に、わたしの願ったことだったのかな。


 パチリパチリ、チカチカチカチカ。


 視界の端に、はみ出した黒い数字の群れが踊っていました。


 いつのまにか日は沈みきり、いつのまにか新たな日が登っていました。

 朝日がじりじりとわたしの身体を焼きます。はしたなくも脱ぎ散らかしたまま野外で寝てしまったので、いくつか虫さされが出来ていることでしょう。獣に襲われなかったのは僥倖というほかありません。


 力の入らぬ全身に鞭をうち、ほうほうのていで上半身を起こす。

 どろりと温かいものが、肌の上を滑り落ちる。

 両足の間に生えているやぶが赤い血で濡れている。


 あなたはいなくなっていました。まるで溶けたかのように。


 パチリパチリ、チカチカチカチカ。


 すべてが茶番ゲームなのではないと思います。

 魔王山も、不死の願いも、あの屈強な仲間たちも、真実味を持たせるためだけに存在するわけではないでしょう。魔王は、きっと実在するのです。

 わたしが想像していた魔王とは、同じではないだけで。


 ──勇者さまは死んでしまった。

 ──死んでしまったんだよ。


 村の人達は今ではそう噂しています。実際そうなのでしょう。勇者さまはもういません。だから、わたしのやってることも限りなく一人遊びソロプレイなのでしょう。誰とも仲間の組めなくなった勇者は、どうなってしまうのでしょう。剣を持てなくなった戦士は、どこへ行くのでしょう。


 誰かがどこかでラッパを鳴らしていました。誰にも聞こえない音で。

 パチリパチリ、チカチカチカチカ。


 次のレベルまで、あと0.000152587890625だったとき、あなたは正気が曖昧な状態でした。あなたはわたしのことを魔王だと罵りました――意思の疎通が可能だったのです。わたしが手を近づけるとこう騒ぐのです。


 またよみがえったか いつつくびのりゅうめ。

 いいどきょうだ なんどでもそのくびをおとしてやる。


 わたしはその時たしかに笑っていたのでしょう。

 お望みどおり、あなたと五つ首の龍の再戦を果たさせてあげました。

 もちろんレベルの足りないあなたは首の一つにもかないません。たちまち肌色の龍に押し倒されてしまいます。

 ゆうしゃよ りゅうにまけたものは どうなるとおもう。

 指先であなたをつまみ、わたしの口の前まで運んであげました。

 さらわれた むすめは どうなるとおもう。

 あなたを手のひらに載せ、それをだんだん傾けていきました。

 ラッパの音以外は、何も聞こえなくなっていました。


 パチリパチリ、チカチカチカチカ。


 次のレベルまで、あと0.00000475837158203125だったとき、わたしは、あなたに信仰される女神さまでした。あのおそるべきいつつくびのりゅうをたおすため ちからをおかしください めがみさま。

 わたしは可能な限りに、荘厳な口調であなたに応えました。よろしいでしょう。しれんのどうくつへと おゆきなさい。そこに あなたのもとめるものが あるでしょう。あんないして さしあげましょう。

 わたしはあなたを手のひら、ではなく指へ乗せました。あなたは手のひらによじ登るのも困難なほどに小さくなっていました。

 わたしはスカートをたくしあげました。


 次のレベルまで、あと0.000000000――


 わたしは、『不死の願い』に干渉し、あなたの復帰場所を変更しました。


 ──パチリパチリ、チカチカチカチカ。


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