#5 友達になるということ

 昼休み、俺は中庭に足を運んでいた。

 入学後の学校案内を除いて、ここに来るのは今日が初めてだ。四方を校舎に囲まれているものの、空が見えるからか開放的な印象を受ける。

 

『昼休み、中庭に来て』

 

 小野寺にそう告げられたのは、今朝の登校中のことだった。

 その一言以外に会話がなかったので、俺にはここに来る以外の選択肢はなかった。

 

 そういえば今朝の小野寺は、なんだか変だった気がする。登校中、話しかけても反応がなかったり、俺の方をじっと見つめていたり。

 

 もしかしたら、怒っていたのかもしれない。昨日の一件を考えれば、仕方のないことだとは思うが。


「お、いたいた」


 中央に位置する円形のベンチに、目的の人物を発見する。

 さて、どうやって声をかけたものか。


「良かった、来てくれて」

 

 迷っている内に、先手を取られてしまった。

 

 俺の姿に気付くと、小野寺は柔らかな表情を見せる。

 今朝の強張った面持ちが消え、解けた様子に安堵する。


 怒っては……ないのか?

 それなら、なんのために俺を呼んだのだろう。


「実は、お弁当を作ってきてて……。良かったら一緒に食べない?」


「そんなことしたら、小野寺の分が減らないか?」


「……二人分作ってあるの」


 小野寺は照れ臭そうにしながら、弁当を膝の上に乗せた。

 包みはそれぞれ、藍と緑を基調とした涼しさを感じる色があしらわれている。俺が受け取ったのは、藍色の物だった。


「中、開けてもいいか?」


「どうぞ」


 楕円形の容器は三つに区切られており、中には白米と卵焼き、ミニトマト――そして、生姜焼きが入っていた。


「それじゃあ早速……いただきます」


 俺は手を合わせると、生姜焼きに箸を伸ばす。

 

 おぉ、小野寺の家の生姜焼きは、甘めの味付けなのか。生姜が効いた味付けもいいけど、こっちの方がご飯が進むな。

 新たな刺激を受けて、がっつくように弁当を食べ進める。


 その様子を、小野寺は凝視していた。


「……美味しい?」


「すっごく美味いよ。小野寺、料理上手いんだな」


「そっか、良かった……」


 そう言って、小野寺は「よし」と小さくガッツポーズをする。


 ……今のは見なかったことにしよう。また昨日みたいなことになったら、心臓がいくつあっても足りない。


 夢中で食べていたこともあってか、食べ終わるのに時間はかからなかった。


「ごちそうさま。わざわざありがとな。容器は、洗って返せばいいか?」


「ううん。そのまま私が持って帰るから大丈夫。それより……」


 小野寺は一度言葉を切ると、まだ手付かずの自分の弁当に目を落とす。


「まだ食べ足りないんじゃない?」


 たしかに、弁当の量は決して多いとはいえなかった。だが、弁当を用意してもらっておいて、そんな横暴な振る舞いはできない。


「それは小野寺の分だろ。俺のことは気にしないで、全部食べちゃってくれ」


 そう答えた矢先、俺の腹が節操なく音を鳴らす。


「あ……」


「ふふっ。お腹は正直者みたいだね」


 笑いかける小野寺の姿に、顔が熱くなる。俺は思わず、小野寺から顔を逸らしてしまう。


「私、そんなに食べる方じゃないのに、間宮君のと同じ量入れちゃったんだ。だから、手伝うと思って食べてくれないかな?」


 そんな言い方されたら断れないじゃないか。

 胃袋だけではなく、会話のペースも小野寺に掴まれているようだった。


「……分かった。それなら、お言葉に甘えさせてもらう」


「じゃあ…………あ、あーん」

 

 小野寺はそう言って、摘まんだ生姜焼きを俺に差し出す。

 

 小野寺さん、ちょっと不用心すぎませんか? 俺だから良かったものの、他の男がこれをやられたら、自分に気があると勘違いするぞ。ここはファン代表として、俺がしっかりと注意しなければ。


「小野寺、その……そういうことをすると勘違いする男もいる。だからあんまり――」


「間宮君は、勘違いするの?」


 揺れる瞳が、真意を問おうと俺を見据える。

 

 どう答えるべきか、俺は戸惑った。小野寺は時折、こうして距離を詰めてくることがある。俺はそれを気のせいだと、彼女の性質だと決めつけて見ない振りをしてきた。そうすることで過度な期待を捨て、自分が傷つくことから逃げようとしていた。


 自分に気があると勘違いして、距離感の近い女友達に告白し、失恋する。今思えば些細な出来事かもしれないが、当時の俺を偶像に引き込むには十分な出来事だった。

 現実の相手とは違い、偶像であればどんな時でも俺を裏切ることはない。どれだけ勘違いしても、歩み寄ろうとしても関係ない。俺が偶像アイドルを応援する限り、彼女たちは俺を裏切らなかった。


 だから俺は、小野寺の友達ではなく、ファンになると宣言したのだ。友達にならなければ、誤ることはない。勝手に歩み寄って、拒絶される不安からも目を背けることができた。


 たとえ小野寺の望みが、俺と友達になることじゃないとしても、現実と向き合う勇気がなかった。

 

「俺は、勘違いしない。……小野寺のファンだからな」


 絞り出した言葉は、自分に言い聞かせているみたいだった。骨を伝って耳に届く保身の言葉に、奥歯を噛み締める。


「うん、そうだよね。間宮君は、私のファンだもんね……」


 明るく努める小野寺だが、その表情に陰が差しているのは明白だった。

 そして一筋の光が、彼女の頬を伝った。一度流れ出したそれは、決壊したように次々と頬に線を描く。


「あれ? おかしいな……。泣くつもりなんてなかったのに……」


 小野寺は溢れ出る涙を手で拭いながらも、無理して俺に笑いかける。

 ナンパをやり過ごそうとしていた時も、彼女はそうして笑みを貼りつかせていた。

 

「ごめんね……。急に泣くなんて、びっくりさせちゃったよね……」


 その取り繕ったような笑顔に、かつての自分が重なった。

 

 ――はは、そうだよな。悪い、忘れてくれ。


 俺もあの時、そうやって笑っていた。小野寺を放っておけなかったのは、勝手に仲間意識を持っていたからなのかもしれない。


 俺が小野寺を助けたのは、偶像に通ずる何かを持っているからだと思っていた。

 けど、それは違った。恐怖を前に折れない彼女の姿に、俺は勇気をもらっていたんだ。

 

 あの日、小野寺は変わろうと一歩を踏み出した。

 俺はどうだ? いつまでも過去の傷に怯え、今も立ち止まったままでいる。


 小野寺となら、変われるのだろうか。一人じゃ踏み出せない一歩も、誰かと一緒なら踏み出せるのだろうか。


「小野寺!」


 はっきりと、そして真っ直ぐに名前を呼ぶ。

 俺の気持ちを伝えるためには、これしか方法がなかった。


「……どうしたの?」


 なおも涙に満たされた瞳をこちらに向けて、小野寺が俺を見つめ返す。その瞳に映る俺はゆらゆらと揺れていて、今にも崩れてしまいそうだった。


「前にあんなことを言っておいて、今さらだと思うかもしれないが……」


 覚悟は出来ているはずなのに、口を開けば言い訳が先行してしまう。

 でも、俺は変わりたい。今日を逃したら、もうチャンスはないような気がした。


「……俺と、友達になってくれないか?」


 その申し出に、信じられないといった様子で、小野寺は目をぱちくりとさせる。いつの間にか涙は引いていて、俺の像もくっきりと映し出されていた。


 そして小野寺は、大きく深呼吸をすると、くしゃりと笑ってこう言った。


「はい、喜んで」

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