#4 スタートラインを飛び越えて

「はぁ、疲れた……」


 窓側の後ろから二番目、クラスでの定位置に腰掛け、俺は上半身を机に投げ出す。これが放課後なら良かったのだが、残念ながらHRすら始まっていない。

 友達との登校、恐るべし。それが、俺の得た今朝の教訓だった。正確には、”小野寺との登校”だが。

 

 翔太と蓮が、あまりにも普通に接していたから忘れていたのかもしれない。小野寺は高嶺の花。そしてそれは、クラスに限った話ではない。この学校の生徒の大多数が、彼女を神聖視し、近寄りがたい存在だと認識している。


 そんな彼女が他の生徒、それも男子生徒と歩いているとなれば、それだけで好奇の目に晒されるものだ。おまけに俺は、大して目立ちもしない一般生徒。だから周囲の視線は、小野寺ではなく、俺に向けられていた。


『癖毛菌が移って小野寺さんの髪が台無しになる』『あれは見えてはいけないものだから、幽霊だ』『髪を染めた悪い生徒に騙されている』『離れろブサイク』など、散々な言われようだった。


 俺だって癖毛は気にしてるし、この茶髪は生まれつきだ。というか最後のやつ、いくらなんでもブサイクは言いすぎだろ。翔太にも、そこまでは言われたことが……ないよな? 急に不安になってきた。


「なぁ翔太、お前って俺にブサイクって言ったことあったか?」


 俺は顔だけ動かして、自分を見下ろすキザ男に尋ねる。


「あるわけないじゃないか。いつも言っているだろ? 君は外見に気を遣えさえ――」


「ほら、席に着け!」


 チャイムと共に、怒号と聞き違う号令がかかる。筋骨隆々の肉体に、肉食動物すら射殺せそうな鋭い眼光を持つ担任教師――通称ゴリラの登場だ。


「明日の放課後、今年の文化祭実行委員を選出する。興味のある者は心積もりをしておくように」


 ゴリラは簡潔に連絡を済ませると、踵を返して教室を去る。そこに入れ違いで別の教師が現れ、本日一限目の授業が始まったのだが……。

 

「えー、前回の復習からです。教科書の三十三ページを開いてください」


 あれ、まずいな。話が全く入ってこない。どうやら今朝の心労が、思っていたよりも堪えていたらしい。幸い、新学期始まりたてということで、授業はスローペースだ。一度くらい寝ても――


 コトン。

 何の音だろう。消しゴムでも落としただろうか。まぁ、起きてから拾えばいいか。


 コトン。コトン。

 一定のリズムで鳴るこの音が、徐々に心地良くなってきた。それに、なんだか子守歌みたいで――――


 俺が意識を手放すのに、時間はかからなかった。


「ん、んん……」


 気づけば授業は終わっていた。授業中に熟睡するという、初めての経験にそわそわが止まらない。

 父さん、母さん、飛鳥、俺はワルになってしまったみたいだ。


「なんだこれ」


 机に目を落とすと、折りたたまれたノートの切れ端が群れを成していた。大きさは小さいものの、目を引くのはその膨大な数だ。消しカスですら、ここまで溜めるのは難しいんじゃないか?


 その中の一つを手に取り、中を開く。


「『間宮君、起きて』」


 端正にしたためられた文字に、俺は件の果たし状を思い出す。これの書き手は、間違いなく小野寺だ。授業中に眠りこけてる俺を、どうにか起こそうと頑張ってくれていたらしい。せっかく書いてくれたんだ。全ての内容を見るのが、誠意ってものだろう。


『寝ちゃダメだよ』『頑張って!』『起きろー』『目覚めるんだ!』『眠気に負けるな!』


 豊富な呼びかけに、思わず口角が上がってしまう。口数は少なくても、内に秘めた思いはお喋りなくらいだった。


 次第に俺は、中身を確認するのが楽しく感じ始めていた。しかし、それも束の間の出来事だった。


『起きてってば』『ねぇ、起きて?』『起きて』『起きて起きて起きて起きて起きて起きて起きて起きて起きて起きて起きて起きて起きて起きて起きて起きて』


「いや、怖いって!」


 全力でツッコミながら、俺は後ろに座る小野寺へ振り返る。


「ぁ……えっと……おはよう?」


「お、おはようございます……」


 二人の間に流れる気まずい空気に我慢できず、俺はそさくさと席に着いた。



 気を取り直して、二限目の授業に臨む。一限目でしっかり寝たおかげか、身体はすっきりしていた。


「あれ?」


 板書を書き写そうと目線を落としたところで、俺は机上に見覚えのある紙片を見つける。

 全部片づけた思っていたが、生き残りがいたようだ。

 

 コトン。

 魔王のセリフみたいなことを考えた矢先、新たな刺客が現れる。

 差し出し人はもちろん、後ろの席の小野寺だ。たった今投げ込まれたそれを手に取ると、ゆっくりと中を確認する。

 

『友達と手紙交換をしてみたいの』

 

 手紙交換か。小学生時代、クラスの女子が頻繁に手紙を回していたことがあったような。当時の俺も、それに憧れて手紙を書いたが、渡す相手と言ったら翔太くらいだったので、中々に寂しかったのを覚えている。


 コトン。

 そうして逡巡している間に、次なる刺客が送り込まれる。

 

 そこには、『最初の手紙を読んで』という指令が書かれていた。


 最初の手紙。ということは、二限目が始まって最初に見つけたやつか。

 俺は中を開いて、内容に目を通す。


『好きな食べ物は、なんですか?』


 他に聞くことなかったか? いや、俺たちはまだ知り合って一日も経っていない。互いを知るためには、こういう小さなところから距離を縮めるべきなのかもしれない。

 俺はノートの最後のページを小さく切り取り、『しょうが焼き』と書き込むと、それを四つ折りにして後ろの机へと乗せた。


 チョークが黒板に擦れる音、シャーペンがノートと擦れる音が響く中で、紙を開く音がカサリと耳に届く。


 少しすると、またコトンという音を立てて、机の上に便りがやってきた。


『卵焼きは甘い派? しょっぱい派?』


『どっちも好きだが、強いて言うならしょっぱい派』


『休日は何してるの?』


『ライブに行くか、だらだらしてるかだな』


『部活は入ってる?』


『帰宅部だ』


『同じだね』


 取り留めもない内容なのだが、これが思いのほか楽しい。授業中に隠れて何かをするというスリルが、適度な高揚感を生んでいるのだろう。

 そうやって手紙交換を繰り返している内に、授業は終わりを迎えようとしていた。


「では、次回までに練習問題を解いておくように」


 終了を告げるチャイムに併せて、俺は軽く伸びをする。

 

 結局、俺が質問責めをされただけな気がするが、小野寺は楽しめたのだろうか。


 振り返って後ろの席を盗み見ると、答え合わせの時間がすぐにやってきた。

 

「ふん、ふふん。ふふふーん」

 

 頬杖をつきながら顔を綻ばせ、鼻唄を歌う小野寺。その姿に、つい目を奪われてしまう。


 だが、その隙が仇となった。


「ふふん、ふん――――え?」


「あ……」

 

 見るつもりはなかった。そんな言い訳ができる状況ではなかった。


「…………」


「…………」

 

 なぜだか分からないが、俺たちは目を逸らそうとはしなかった。互いに固まったまま、言葉を交わすことなく時間が過ぎていく。顔が熱を帯びていくにつれて、秒針のカチリという音が遠くで鳴り始めていた。小野寺の顔は茹でダコのように赤くなっているし、俺も両耳と顔の境は曖昧だ。


「おや、二人とも熱々だね。友達からのステップは、ひと飛びかい?」


 勝負に決着をつけたのは、翔太のこの一言だった。


「~~~~~~!」


 小野寺は声にならない悲鳴を上げると、教室の外へと一直線に飛び出していってしまった。

 その様子に、翔太は虚をつかれていた。


「……もしかしてお邪魔だったかな?」


「いや、ナイスタイミングだ」


 このまま勝負が続いていたら、俺もどうなっていたか分からない。

 

 そしてこの日、小野寺が教室に戻ってくることはなかった。

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