#2 おかしなことは、立て続けに起きたりする

 深夜の公園で、その儀式は行われていた。

 

「ほらほら、そんなへっぴり腰じゃステージにいるアイドルに思いが届かないぞ!」

 

「あぁ、任せとけ師匠! L.O.V.E.N.I.N.A! L.O.V.E.N.I.N.A!」

 

「その調子だ! お前たちも続け! L.O.V.E.N.I.N.A! L.O.V.E.N.I.N.A!」

 

 センターを陣取るのは、癖毛交じりの少年。そして金髪、茶髪、茶髪のチャラ男たちが、彼を取り囲むように三点に陣取っていた。


「お前ら完璧だ! これで明日ライブも……」


 達成感を顔に滲ませていた少年は言葉を切ると、突然俯いてしまう。


「ど、どうしたんですか師匠?」


「たっくん、師匠なら大丈夫だって」


 そう言いながらも、チャラ男たちは不安げな面持ちで少年を見つめていた。


「ライブ、も……」


 そして、その言葉を最後に少年の意識は闇に沈んでいき――――


「起きてください、兄さん!」


「うわぁっ!」

 

 跳ねるようにして飛び起きたのは、いつもと何一つ変わらない俺の部屋。深夜の公園なんかじゃなかった。ということは、ここにいるのは俺を慕うチャラ男たちではなく……。

 

「もう、何度呼んだら起きてくれるんですか」


 腰に手を当て、こちらを見下ろす少女――妹の飛鳥の姿に安堵の息を零す。


「ごめん、なんか変な夢を見てたみたいだ」


「謝らなくていいです。可愛い妹の目覚ましよりも大事な夢だったんですもんね」


 なんだその天秤のかけ方は。

 

 飛鳥はそう言うと、腕を組んで顔を背けてしまう。ぷくっと頬を膨らませ、怒り心頭といった様子でも可愛さに溢れているのは、さすが飛鳥といったところか。


 しかし、一つ屋根の下で妹に拒絶されたままというのは心にくるな。もしかしたら、たっくんもギャルに拒絶された時、こんな気持ちだったのかもしれない。


 夢に出てきたことで勝手に親近感を覚えてしまったが、彼と違って俺は紳士だ。荒っぽい手段は嫌いだし、何より効率的ではない。こういう時、即効性と効率を備えた手段を、我々日本人は持っているのだ。

 ベッドから降り、床で足を畳むと、俺は飛鳥に向かって深々と頭を下げる。


「誠に申し訳ございませんでした」


 そうして新学期最初の朝は、おかしな夢と妹への土下座から始まったのだった。



「やぁ光、朝から陰気臭い顔だね」


 開口一番、昇降口で喧嘩を売ってきたのは、この時間には珍しい人物だった。


「翔太か。顔に関しては、いつも通りだから心配するな」


 翔太とは、小学生時代からの腐れ縁だ。だから俺の顔と同じで、こいつとのやり取りもいつも通りなのだ。

 いつもの軽口に、いつものように返すと、翔太は肩をすくめた。


「ちょっと外見に気を遣ったら、君にだって彼女の一人や二人できてもおかしくないと思うけどね」


 さらりとした黒髪を手で払い、翔太は星が出てきそうなウィンクを見せる。こういうキザな仕草が似合う男は、学内を探してもそういないだろう。


「相変わらず口が上手いことで。それにしても珍しいな、お前がこんな時間に登校してくるなんて」


「今日は蓮が日直なんだ」


「あぁ、そういうことか」


 蓮というのは、翔太の彼女だ。彼女とは、翔太と付き合い始めた中学時代からの関係になる。それ以来、朝に弱い翔太を蓮が起こしているのだが、こうしてやむを得ない場合はギリギリの時間に登校してくるのだ。


「たまには、一人で登校するってのも悪くないね」

 

「それは、常に一人で登校している俺への嫌味か?」


 俺の挑発を、翔太は涼しい顔で受け流す。


「変化があると、いつもの景色も違って見えるんだよ。もちろん、蓮と見る景色も好きだけどね」


「変化ね……」


 変化は少し怖い。環境や関係が変われば、それまでの当たり前は簡単に崩れ去ってしまう。だからこそ、こうして腐れ縁が続いているのは喜ぶべきことだ。とはいえ、転機が訪れることなんて普通に生活していれば、そうあることではないが。


 立ち話を切り上げ、靴を履き替えようと靴箱を開けると、見慣れない封筒が入っていた。封筒の中に入っていたのは、蛇腹に折られた十五センチ程度の紙。


「なんだこれ?」


「もしかして、ラブレターかい?」


「まさかな」


 翔太に覗きこまれる中、折り目を一つずつ開いていく。


「これは……ラブレターじゃなくて果たし状だね」

 

 手紙に書かれていたのは、『放課後、屋上にて待つ』の一筆のみ。差し出し人は不明だ。


「光、何か心当たりは?」


「いや、全くないな」


 あるとしたら昨日のチャラ男くらいだが、彼らをこの高校で見たことはなかった。それに偏見で悪いが、たっくん達にこんなロマンティックな誘いができるとは思えない。


「一応呼ばれてるわけだし、放課後屋上に行ってみるしかないか」


 

 そして、放課後。俺は果し合いのため、屋上に向かっていた。


「っていうか、屋上って勝手に入ったらまずいんじゃなかったか?」


 学年主任の教師が、集会で口酸っぱく注意していたことを思い出す。これがバレたら、新学期早々問題児扱い間違いなしだな。さっさと降参して許しを乞おう。昨夜は公衆の面前でコールをして、今朝は妹に土下座をしたんだ。今の俺には、恥も外聞もない。


「失礼しまーす」


 恐る恐る扉を開け、中の様子を窺う。

 屋上一帯は鉄のフェンスに囲まれており、果し合いにはおあつらえ向きといったところだ。


 屋上に足を踏み入れると、先客がいた。

 腰まで伸ばした黒髪に、すらっと伸びた背筋。後ろ姿ではあるが、俺は彼女を知っていた。


 小野寺渚。入学当初から同級生、先輩問わず注目を集めた高嶺の花だ。整った目鼻立ちもさることながら、入試から常に学年トップの学力を誇る才女でもある。唯一の難点は口数が少ないことだが、それがミステリアスな雰囲気に拍車をかけている。というのは翔太の弁だ。


 俺と彼女の接点といったら、席が前後というくらいのもので、これまで一度も話したことはない。


 けど、小野寺がどうして屋上に? 彼女も果し合いに呼ばれたのだろうか。


「あ、来てくれたんだ」


 振り返った小野寺は、俺の顔を見ると笑顔を見せた。

 そのはにかむような仕草に心臓が高鳴る。でも、これは一目惚れじゃないと直感した。前に経験したよりも、もっと胸の奥の方が痛むみたいな、不思議な音色だったからだ。


 果たし状の差し出し人は、どうやら小野寺だったらしい。

 ……少し待ってほしい。平等は美しいと思うが、俺に女性を殴る趣味はないぞ! 果し合いをするにしても、もっと穏便な方法で解決させてくれないか。


「昨日は、助けてくれてありがとう」


「え?」


 意図しなかった小野寺の第一声に、俺は間抜けな声を出す。

 俺が小野寺を助けた? たしかに俺は、昨日ナンパを撃退したが、俺が助けたのはギャル、それも金髪のギャルだ。決して黒髪ロングの高嶺の花ではない。


「人違いじゃないか?」


「ううん、違わない」


 俺の問いに、小野寺はこちらを真っ直ぐ見据えて答える。彼女の意思は固かった。

 前に聞いたことがある。賢い人間は、自分が間違いを犯すとは思っておらず、それを指摘されても認めようとしないと。ワイドショーの戯言だと思っていたが、今回は的を射ているようだ。さて、ここから彼女をどう説得したものか。


「念のために確認するぞ。俺は間宮光、この高校の一年生で――」


「ニナさんってアイドルが好きなんだよね?」


「……!」


 俺がニナのライブに通っていることは、翔太と蓮も知らないことだ。それを知っているということは……俺が助けたギャルは、本当に小野寺なのか?


「……どうしてそう思ったんだ?」


「間宮君、昨日光る棒を持って……その、『ニナちゃんLOVE YOU』って叫んでたから、好きなのかなって……」


 肝心のコール部分こそ恥ずかしそうにしていたものの、今小野寺が口にした言葉こそが、昨日のギャルが彼女であることの証明にほかならなかった。俺は知らぬ間に、クラスメイトの前で醜態を晒していたらしい。もし、ここにフェンスが無ければ、俺は間違いなく身を投げ出していただろう。そうでなくても、今すぐこの場から消えてしまいたかった。


 降りかかる羞恥から逃げるようにして、小野寺に一つの疑問を投げかける。


「お、俺の記憶では、あの場にいたのは金髪のギャルだったはずだが?」


「あれはウィッグ。……髪を染めたら怒られちゃうでしょ」


 当たり前と言わんばかりに口を尖らせ、小野寺は抗議する。

 そもそも、普通だったらギャルに扮して外を出歩いたりはしないんだけどな。


「……昨日で夏休みが終わったでしょ。でも、まだ友達がいなくって……。だから、心機一転で明るい私になろうと思って、あの格好に挑戦してみたの……」


 結局、裏目に出ちゃったけどね、と笑う小野寺の姿に昨日のギャルの姿が重なる。彼女は昨日も、そうして眉を下げ、困り顔で笑っていた。

 

「でも、私は変わるのを諦めたわけじゃないんだ。……今日、間宮君を呼んだのも、その一歩なの」


 小野寺は口元を真一文字に引き結ぶと、改めて俺と目を合わせる。

 昨日は外れていた視線が、今日はぴたりと重なった気がした。


「その、私と友達になってくれないかな……?」


 思えば、俺は小野寺渚という人物について何も知らなかった。翔太から話は聞いたが、それはあくまで周囲に象られた虚像にすぎない。現にここまでのやり取りで、彼女にミステリアスという印象は抱いていなかった。口数はたしかに少ないし、表情も豊富とはいえないが、ちゃんと話せば気持ちは伝わってくる。

 小野寺渚は、高嶺の花なんかじゃない。ただ人付き合いが苦手なだけの、普通の女の子なのだ。


 俺は小野寺に、偶像としての美しさを見出した。そんな彼女が、変わるために一歩を踏み出そうとしている。ファンとして、それを応援しなくてどうするんだ。


「喜んでと言いたいところだが、一つ条件がある」


「何?」


「小野寺は、俺を友達だと思ってくれて構わない。でも、俺はファンだ。だから、友達作りに協力する。小野寺には、俺以外の友達をたくさん作ってほしいんだ」


 俺の中の弱虫が、歩み寄って裏切られることを恐れていた。だから、こうして予防線を張ることで、傷を軽くしようとしている。

 けど、成し遂げた時、まだ友達になってもいいと思ってくれてたら――。彼女に、そんなエゴは押し付けられなかった。だから俺は、ファンとして小野寺を応援すると決めた。


「……うん、分かった。じゃあよろしくね、ファン一号さん」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべる小野寺の瞳は、俺の内心を見透かしたかのように、温かさに満ちていた。

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